思い出の「包丁」を買った&若い頃、新橋の思い出の写真、人生、トラウマなどいろいろ

包丁って男のロマンを感じるし、手にとって見ているだけでも嬉しい変態ジジーです。(笑)

我が家では鶏肉と言えばほとんどが「ドラムスティック」か「腿肉(メリーランド)」なんですわ。で、ドラムスティックは骨を外して使って、骨はスープを取る。

この骨外しに「小出刃」を使うのですが、なんだか中途半端で細かいことが出来ないのね。

豚肉や牛肉も「ブロック」を買うことが多くて筋切りとか、銀皮(シルバースキン)外しをするのにもなんだか小出刃って使いづらい。

かと言って我が家にあるペティナイフは弱すぎる。牛刀じゃデカすぎる。

ということで小ぶりの「骨スキ」用の包丁を買おうかと思ったんです。

どれがいいかなぁ・・とネットを見ていた所、目に止まったのが「有次の骨スキ」なんですわ。懐かしい~~~~と思いました。

これってそれこそ40年以上前、母が経営する新橋の飲食店でアルバイトをしていたときに私専用で使っていた包丁なんです。でも決して肉を切り分けたわけじゃなくて、万能包丁として使っていました。それもその時点で10年ぐらい経っていて、短くそして細くなっていたっけ。

当時は私は片刃も両刃も知らずに、普通に両刃の研ぎ方をしていましたが(元は片刃だった)、手に馴染んで凄く使いやすかったのを覚えています。

これを買おう、って思いました。

私が使っていたのは本焼きの鋼(ハガネ)でしたが(当時はそれが普通だったのかな?)、やっぱり今の時代は合金が良さそうですね。毎日使うわけじゃないから刃持ちが良い必要もないし、サビに強いほうが家庭では良いはず。

懐かしいなぁ・・・。

目を閉じると厨房の様子、働いていた人たちの顔まで浮かんできます。何がどこに置いてあったかもわかる(笑)。いつも忙しくて怒鳴りながら仕事をしていましたっけ。

その後、かなり経って結婚してからはヨメさんは臨月までフロアで和服を着て働いていたし(ヨメさんが三代目の女将になるはずだった)、今はもう黄泉の国へ行ってしまったヨメさんの妹も頑張って働いていた。もう30年、40年も前なのに、ついこの前みたいな感覚。でもその店も1990年には45年の歴史に終止符を打ち閉店しましたが、最終日には店の前から新橋駅前の広場まで100人以上の常連客が並んだのを思い出します(最長3時間待ちだったそう)。「今までどうも有難う」と花束を持ってきてくれた客もいて、母(二代目女将)が涙を流していたのも忘れられません。

私は小学校2年までそのお店の二階に家族と住んでいまして(お風呂もない三間しかないところに従業員も住んでいた)、当時の新橋は「サラリーマンの街」ではなくて、芸者や新内流し、ギターを抱えた流し、そして小指を立ててお尻をフリフリ歩く女形(売れない歌舞伎役者)が多くいる繁華街でした(新橋はゲイバーの発祥地)。お祭りには芸者神輿も出て華やかだったなぁ。

しかし私も歳をとったんですねぇ。

昔を懐かしむことが増えましたし、その当時、自分が何をしていたのか、何を考えていたのか、どんなことに悩んでいたのかそんなことを思い出しては懐かしさに浸っています。

20代は夢ばかり大きくて何もわかっていなかった自分。威勢の良いことばかり言っていたけれど、実は自信なんか全く無くて不安だらけだった自分。

あの頃と同じ包丁を使いながら、あの頃の自分に話しかけてみたいと思っています。

有次の骨スキ。刃渡り14.5センチ。使いやすそう。

骨スキなんてもう私の一生で買うことはないだろうけれど、大事に使おうと思う。

私が幼少期に住んでいた新橋ってこんなでした。新橋の駅前広場(西口)には「場外馬券売り場」があって、そこにテレビが設置されて初めてテレビを見た時はびっくりしたっけなぁ。力道山のプロレスを見た覚えがある。

向かって右側が新橋駅ね。

戦後、焼け野原だった新橋で祖母が始めたお店。(残念ながら借家 笑)

上の写真と同じアングルで「現在」を見ると(グーグルストリートビュー)こんな感じ。隣の松竹梅はまだ営業しているんだ。凄いなぁ。店の対面は「芸者の置屋」だったのですが、今は「寿司ざんまい」らしい。

親父とお袋が結婚して、お袋は店を手伝いだした(後に継いだ)。親父はこの当時は築地の魚卸売市場の仲買人(親父の実家の家業)だったっけ。でもすぐに「魚屋は嫌だ」と長男のくせしてあとを継がずに勝手気ままに生きることになる。そして波乱万丈な人生を送るのだけれど、そんな我が家がどうにか生き延びることが出来たのはコツコツと働き続けた母のおかげ。

この時の母に、「貴女は一生旦那のせいで70過ぎても苦労することになる」って教えてやりたい。(笑)

毎年のお祭りが楽しみでした。

母の店で私がアルバイトをして「有次の包丁」を使っていたのはこの頃だと思う。

人生ってしかし面白いですねぇ。若い頃は早く歳を取りたかったのに1年が恐ろしく長かった。でも今じゃあっという間に1年が過ぎる。そして次の世界に自分が行くのも見えてきた。

でも中身はまだ20代とは言わないけれど、30代の頃とほとんど変わっていないと思うし、精神的にはまだまだ子供。今ではジジーになったけれど世の中の何がわかるわけでもなく、波乱万丈と言えるようなアップダウンも経験して、気がついたら海外に住んでいて、そしてもう人生の終わりが見えてくる歳になってしまった。

トラウマから逃げることが出来なくて笑うことより泣くことが多かった人生のような気がするけれど、強度の偏頭痛で仕事も出来ず、外出も出来ないようになってしまった私を救ってくれたのが今のヨメさん。私の命の恩人。でも彼女はその事実を今でも知らない。いや、信じない。(笑)

そして結婚。でも実はこの時点で私は仕事に失敗して無職。サラリーマンをやる気は全く無いし将来の不安は半端じゃなかったのだけれど、なんでそんな男とヨメさんは結婚しようと思ったのか今でも不思議ですわ。ヨメさんは「あんたは今で言うストーカーに間違いなかったわよ」というけれど・・・。(笑)

両親への花束贈呈の時に、涙が止まらないヨメさんに「大丈夫か?行くぞ?」と声を掛けた瞬間。本当についこの前みたいに思い出します。

神様が可愛い二人の男児を授けてくれて、それぞれ3歳1歳の時に全く知り合いも仕事のつてもないオーストラリアに移住。やっぱり今思うと家族4人が団結して頑張ったと思いますわ。長男は中学部の終了式典でも「死にたい」って泣くくらいいじめにあっていたのですが、そんな彼らもどんどん逞しくなって大学、大学院を卒業し立派に成人した。今では長男は私と一緒にマレーシアで次なる夢を追い、公認会計士の次男はシドニーで監査法人のサラリーマン。彼らが年老いた私の両親を本当に大事にしてくれるのが嬉しいし有り難いと思う。(幼い頃からおジーちゃんに馬乗りになったり頭を叩くなんて絶対にしなかった)

今現在の我が家の4人+将来の家族。

そんな風に考えると、私の人生って何の苦労もなく順風満帆なような気もしてくるから面白い。(笑)

子供の頃から青春時代は自分に存在する価値はなくて自ら消えていくべきだと考え続けていたし、生きることに忙しくなってからは親父と似た自営業のジェットコースターみたいなアップダウンで先が見えなかったし、サラ金にもお世話になったし(笑)、なんだかそれらは私の過去じゃない他人の話みたいな気がしてきます。

何十年も私にまとわりついて悩まされ続けたトラウマも、それがあったからこそマイナス面を逆に利用してビジネスで使えることにある頃、気がついたし、わけがわからない面白い人生を送れたのもそのトラウマがあったからこそと思えるようになりました。今ではトラウマがあってよかったと思うくらい。そしてあのトラウマの辛さって半端じゃなかったのだけれど、それで耐性ができたんでしょう、「日頃の諸々のこと、悩み」なんて「あの頃の辛さ」に比べたら全然、痛くも痒くもない。(笑)

もし今トラウマで悩んでいる方がいたら、それは大きなチャンスだと気持ちを切り替えることも考えてみたら良いと思います。死ぬのも良いかもしれないけれどなかなか死を選ぶのは簡単ではないし(笑)、七転八倒しているうちに自分は鍛えられているのと同じで強くなるし、のほほんと生きている人には見えないことも見えるようになるのは間違いがありませんから。「死んだ気になれば怖いものはなにもない」のを是非ともお忘れなきように。(^_^)v

ただただ、こうやって過去を思い出してみると、お礼を言わないとならない人たちが山のようにいて、感謝したくても出来なかった人もいて、私が手を差し伸べることも出来ずに消えていった大事な人も決して少なくない。そんな人達の顔が本当に走馬灯のように次から次へと脳裏に浮かんで来ます。だから今の幸せを素直に喜べない自分がいて、どうやって世間に、世の中に、縁ある人達に、そして神様に恩返しをしたら良いのかわからない。それが私の今の悩み。劣等感の塊だった私が今までやってこれたのは自分の力なんてことは全く無くて、誰かにいつも助けられてここまで生きてこれたと思っています。ただこのまま大きな借りを返すこと無くニタニタしながら人生双六を上がってしまうわけにはいかない。でも救いは私の心の中に浮かんでくる人たちがみんなニコニコ笑っているってこと。

有次の包丁を使いながら、自分の今までの人生を思い出し省みて、やらねばならいことは残された時間の中できっちりやろうと思う。

まだまだこれからだ~。マハティール氏にしてみれば、私はまだまだ鼻垂れ小僧。(笑)

「このままでは終われない。まだ夢の途中、諦めない・・・」

 
 
 

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思い出の「包丁」を買った&若い頃、新橋の思い出の写真、人生、トラウマなどいろいろ” への6件のコメント

  1. 何か感動しました。
    人生80年って長いようで短くて、歳を重ねて行く中でいろいろなモノや人と縁ができ、それがつらかったりたのしかったり‥
    私も些細なきっかけでマレーシアにきて、そうでなければダボさんのブログにはたぶん出会えてなくて、そんなのも縁だなあ、などと思ったり。
    今後も一ファンとしてブログ楽しみにしております。

  2. SKさん、コメントを有難うございます。

    ほんとに人生って長いんだか短いんだか良くわからず。

    SKさんと私の間にもなんらかの「縁」があるんでしょうね。

    「袖擦り合うも他生の縁」といいますが、人生ってもしかしたら偶然ではない何かがあるのかもしれないし、偶然だとしても、それの蓄積で人生が決まるのが面白いですよね。

    ヨメさんと私が「あの時」出会うことがなかったら全く違う生き方をしているし、私の両親が「ある日あの時」に喧嘩でもしていたらそもそも自分はこの世に存在しなかったんですから。(笑)

    だから縁は大事にしたいと思っています。

    これからも宜しくお願いします。

  3. dabo さん、なんか、切なくなって。。コメントします。
    ミヤリサンの看板
    、オーストラリアに留学する娘にもたせましたよー
    「お礼を言わないとならない人たちが山のようにいて、感謝したくても出来なかった人もいて、」、、薄情の代名詞みたいな言われ方をする私には、、なんとも。。。。
    「あの時」という言葉が出tる時は、、笑ってやり過ごすようにしております。

    奥様のと結婚式の映像、今とお変わりないですね、、
    特に、奥様の、少女のような不思議な天真爛漫な雰囲気はそのままです。
    お世辞ではありません、ご主人が大きな支えとなって、守ってきてからではないでしょうか。。男と女の理想の姿の気がします。

    新橋の華屋、調べました、お店の方が、歌舞伎の口上を披露してくれる
    甘味屋さんだったという。。伝説として聞いたことがあったような気がします。
    (私、昔、歌舞伎の三階席に出入りしてたことありました。言葉の伝承ということ考えることあります、、華屋さんで、口上を教わってみたかなー)

    英語に流暢で、かっこいい車を乗りまわしてらっしゃる華麗な
    daboさんがのルーツが、、驚きです。
    この画像の時から、年月は経てるのに、、
    それに、お母様の美貌。。。

    この界隈、先日、大切な友人の映画の試写会があるというので、徘徊しました、
    地下迷宮みたいで。。タイムスリップしたみたいな。。
    私、一時、烏森で、業界新聞のバイトをしていてことがあって、仕事としては、、一番、楽しかったかもしれません。現役の大手新聞の記者や、いわゆる、フリーのブン屋さんが出入りしてて、タバコがモウモウで、、
    再開発が進み、街は、洗練されて、清潔になるのでしょうが、猥雑さが失われるのは、寂しい気がします。ただ、私は、一介のサラリーマンの娘の東京の郊外育ちなので。そもそも、ダボさんのような、成熟した江戸文化は、図書館の中でしか知ることはできないのですが。。
    標本をガラス越しに眺めるように、。
    そういう文化背景のもとで、育った人って羨ましいです。。

    それにしても、ダボさんのお父上様、、
    ゴッドファーザの映画が浮かびます、、
    あのダボさんを頭ごなしに叱責できるという、、、
    画像拝見して、クスクス笑ってしまいました。。。

    私無知で骨スキという包丁があることを知りませんでした。
    刃物の扱い(物事全般そうですが、がさつで)不器用なくせに、とても、刃物に惹かれます。。
    有次、料理をなさる人でしたら愛好家の方、多そうですね。
    私、神保町の菊一文字という店で、ドキドキして購入したのですが、、もちろん、手入れできないので、お店に頼まないと。。(不器用な素人が研ぐのはよくないようです)
    しかし、壊滅的に、不器用な自分に自己嫌悪です。
    肉体労働しかできない。。。

    • タマキュウさん、コメントを有難うございます。

      昔の新橋は本当に面白かったし、あれが私の中の「日本」です。でも今ではそれが無くなってしまったようで・・・。田舎出身の人が開発、開発で昔の田舎が無くなってしまったというのと同じ感覚だと思います。

      私はどこか変わっていて生きるのが難しいと感じていましたが、ある意味、タマキュウさんもそうであるのがわかるような気がするんですよ。

      女らしくないというと語弊があると思いますが、昭和の言葉でいうと「女にしておくのはもったいない」と言うべきで(笑)、タマキュウさんみたいに論理的で頭の良い女性って私はあまりあったことがないんですよ。

      だからあのようなしっかりした娘さんに育ったのだと思うし、でも逆を言えば世の中で苦労したんじゃないかと。周りの女性達と話が合わなかったろうし、世間は女として扱ったはずだし。

      だからタマキュウさんが自分を不器用でっていうのもわかる気がするんです。女であろうとしたのに女になれなかったみたいな。

      でもそれがタマキュウさんの魅力で、面白い人生を送れているんじゃないですかね。娘さんも良い母親を持ったおかげで自分があると自覚しているはず。

      過去を思い出すと嫌なことも後悔することも山のようにありますが、不思議に歳を取ると全て「良き思い出」になるのが面白いと思います。

      自分がこんな自分であることを認め、そうであったことに感謝して残りの人生を納得して生きて行きたいもんですね。

      刃物にはなんとも言えない魅力があって大好きです。本当は銃も持ちたいくらいなんですがそうも行かず・・・。(笑)

  4. はじめまして。
    練行足の検索で辿り着きました。

    このたびの記事につきまして、
    他の方と同様に感動致しました。

    daboさんを詳しく知るわけでは全くありませんが、
    紹介された半生を追体験しました。

    色々と波瀾万丈の人生を辿ってきているのですね、なんか元気をもらえました。

    トレードだけでなくお肉や魚の記事も
    楽しく読み学ばせて頂いています。

    これからも楽しみにしています(^ ^)

    • りんごさん、いらっしゃいませ~。

      練行足ですが、良いと思いますよ~。もちろん分足を捨てられるわけじゃありませんが、練行足は値動きがよく分かるので重宝します。

      ただブログ内に書いていますが、練行足にもいろいろありまして何でも良いってわけじゃないんです。ここは注意が必要なポイント。

      思いつくことはこのブログに書いていますので、でもまとめるのがうまくないし出来ませんので、読む方は大変だと思いますが、チャート分析以上に大切な考え方とか心構えとかそんなことも書いていますので暇があったら読んでみてください。

      またいつでも遊びに来てくださいね~。

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