退職したら「攻撃」するのか「守る」のか。達観とは?

前の日記に私の考え方をかなり突っ込んで書きましたが、10億じゃ5億じゃと一般的じゃない金額が出てきてびっくりしたかたも多いと思います。(でも海外に出る人でそのくらいの資産がある人は結構いる。そして海外に出たからこそそれを失うことになった人も)

それに関してコメントやメールを頂きましたが、やっぱりどうしたら良いのか悩んでいる方がいらっしゃるのがわかった。

でも解決策らしい解決策は無く、「しょうがない」が根本にあるのを感じました。

それは確かにその通りで、私だってまだまだ現役でやっていこうと思うし、そうせざるをえないのですが、頭はどんどんパーになって記憶力、思考力の低下は半端じゃありません。なおかつ「やる気」を保つのが難しんですね。そして身体のあちこちは調子悪いし、普通に歩いているのに躓くことも増えてきた。(笑)

でも諦めるのはまだ早いと思っていて、「諦めない」「諦めたくない」という「意地」が原動力になっているだけ。

歳を取ると仕事もなくなって、出来ることは「資産運用」しかないわけですが、有り余るほどあれば一生懸命になる必要もないし、「死ぬまでにXXXX円は使おう」と決めてしまえば精神的には楽なんでしょう。そしてどうあがいても自分ではコントロールできない時はくるわけで、それどころかいつか簡単な四則演算さえも間違えるようになる。これは私の父を見ているとそれがわかる。

でも私としては「最後の花」を咲かせたいし、このまま萎んで死んでいくのはどうにも受け入れられません。

攻撃できるうちは攻撃する。でも当然、守りも固めるわけですが、言うのは簡単。でもそれを実行し、それなりの結果を出すのは難しい。ましてやこれだけ金利が下がり面白い投資対象もないから大変なんてもんじゃない。

そんなときにですね、今回、読者からのメールで気が付いたことがあるんです。

「達観できる時期が必ず来る」

と。なるほどと思いました。達観は諦めとは全く違うわけで、「すべてを受け入れる」ことが出来る日が来ると。

これは決して負けとは違うし、環境によってそれを強いられるわけでもなく、また自らの強い意思でそう考えるように持っていくのでもなく、「達観できる」時が来ると。

つまりどんな環境にあっても「これでいいのだ」と微笑むことが出来るってことですね。

私は俗っぽいジジーですからまだその心境に至ることはできませんが、ふと思い出すのは、今まで私の親族の中で苦労の連続で貧しかったのは結構いるのですが、最後の時には皆、微笑んで旅たった。でも涙が一筋流れていた。

あの微笑み、そして涙はなんだったのか。それがまだ血の気の多い私には理解できません。(笑)

また今、思い出すのは、かなり昔ですが、日光華厳の滝に身を投じた青年がいた。藤村操ですが、彼が遺書に残した言葉は以下の通り。

巌頭之感

悠々たる哉天壤、
遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、
大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。

私も多感な時期がありまして、この藤村操や太宰治に傾倒しました。結局、真理を追求してわかったことは「わからない」ということだと言う点。そして藤村の言葉にあるように「大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。」に心奪われました。

それで命を絶つ人もいるわけですが、命を絶たなかったからと言って全く違う心境だとも言えず、私が不思議だと思った「死に際の微笑みと涙」は彼らと同じだったのではないかと思ったり。

この心境が不幸なのか幸せなのかと考えても答えは私にはわからず、まさに「微笑みと涙」だったのだろうと。

このブログで私が書き続けていることって、「経済的に負けないように」というのが根本にあるわけですが、そんなことを言いつつ、「世の中に何が起こるかわからない」とも思っていて、「無駄な抵抗」かもしれないのはうっすら感じているわけです。

金銭的に余裕があって、好きなことをする老後が幸せなのか、それとも慎ましい生活をしながら、それこそ他人からは貧乏に見える生活でも幸せってあるはずで、そしてそのどちらも自分の意思に反して「簡単に崩れる」こともあるはずで、結局、自分で全てをコントールすることなんか出来ない。

でも最後は「大なる悲観でさえも、大なる楽観となる」心境がありえる。

そもそも藤村は身を投じる時に微笑んでいたのか涙を流していたのか。

彼は「不可解」であることに落胆したのだろうけれど、その時、彼は18歳。

彼がもし70すぎまで生きるとしたら何を考え、何を心の柱にしたのか。そんなことは想像さえ出来ないけれど、「不可解」であることを良しとする、素直に受け入れられる時って誰にでも来るような気がします。

達観・・・・・

でも私としては「達観」する時が来ても、攻撃できる内は攻撃するつもり。(笑)

勝ち負けは関係なくて、攻撃することそのものに生きがいを感じているのかもしれないですね。上を見ればキリがない、下を見てもキリがない。自分は一体何になりたいのか、また落ちたらどこまで落ちるのか、それもわからない。

で、最後は勝った、あるいは負けたと自分が思っても「微笑んで涙を流す」ことにやっぱりなるのかもしれない。

そしてその時、私の最愛の人たちが同じように微笑んで涙を流してくれれば、それで私の人生は上出来。(笑)

人を愛することが出来て、その人と生きることが出来て、これ以上の幸せってないんでしょうね。あとはどうでも良いことかもしれない。もしその愛する人との別れが早く来たにしても「出会えてよかった」「生まれてきてよかった」ってことなんでしょう。

両親や姉弟、ヨメさんや子どもたちには本当に感謝の気持ちでいっぱいだけれど、彼らの笑顔を見るためにも頑張って稼がなくては。

あれ?振り出しに戻ってしまった。

でもそんなものかもしれませんね。

もし私が天涯孤独だとしたら「立って半畳、寝て一畳」じゃないけれどそれだけあれば十分でやる気はでないかもしれない。あるいは「男子志しを立て郷関を出ず学若し成らずんば死して帰らず。人間到る処青山有り」なんてがむしゃらに突っ走るか。

三島由紀夫が言っていた「人間は自分のためだけに生きれるほど強くない」ってのは真理だと思う。

さて、他人を家族と同じように愛することが出来るのかどうか、ここが次の課題。

 
 
 

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