「終戦記念日」は「人類開放の日?」

終戦記念日ですから右寄りの私としては何か書かないとやっぱり右寄りの読者の期待に添えないかな?なんて思っていたんです(笑)。でも何だか今日は書く気がしませんでした。

ところが~、いつもこのブログで紹介するネット番組の「虎八ニュース」を見たら書きたくなってきました。

なんと、「終戦記念日」は「3000年続いてきた抑圧から人類を開放した記念日」だという話。

そんな頓珍漢なことをいう人って、あの武田邦彦教授ぐらいしかいませんが、話を聞いてみるとなるほどと思いました。

戦争なんて好きな人はいるわけもないですが、「戦う時には戦うしかない」というのは日常生活でもそれはあって、「男が一歩家から外へ出たらそこは戦場」ってその通りだと思っています。命を直接取り合うのが戦争ではなくて、経済的な戦争、情報戦争もあって、回り回ってその勝ち負けで人が死ぬことにはなんの違いがないと思っています。景気が悪くなると自殺者が増えるのもそこに戦争があるからだと思うし。

でもあの太平洋戦争は一体何だったのか。これが私の中ではまだ解決がついていません。何もなければよかったのか、戦争をしない道はなかったのか、あるいは途中で講和なり出来たのではないか。負けた後に占領軍の一方的な価値観によって日本は断罪され、日本独自の「戦争の精算」はせずに、占領軍の価値観をそのまま受け入れ、今に至っていて良いのかどうか、とか。

ま、左翼や平和主義者の「何が何でも戦争は駄目」というのは私はファンタジーでしかないと思っていて、あるいは「あまりにも大きな恐怖と悲しみ」によって大事なものが見えなくなっているのだろうと思っていて、しかし右翼が言う、「あれは聖戦だった」というのも違うと思っています。日本は決してアジアを救うために立ち上がったのではない。

でも日本を正当化するためなのか、大義が必要だったのか、「大東亜共栄圏」という考えが出てきてそれを全面に出した。これに賛同するアジア諸国もあったけれど、日本は最初の約束通りに諸外国に接したわけでもなく、反旗を翻した国もある。でも、間違いなく日本を評価している国もある。

結局は二極論であの戦争を見ることは出来ないと私は思っていて、悪い点もあれば良い面もあったと思っています。

でも間違いがないのは、あの戦争を避けることは出来なかったであろうということ。そこに歴史の流れを感じるのです。でももし、あの最後通牒と言われる「ハルノート」を受け入れていたら戦争はなかったと思うものの、きっと日本は世界最貧国になった可能性すらある。最貧国でも国民が幸せに行きていけるなら良いという考え方もありますが、貧しい国で何が起きているのかは今の時代でも見てみればわかるわけで、「死ななければそれで良い」とは言えないし、貧しくなれば「必ず人は死に」そして「餓死」や「人肉を食らう」「子供を売る」「臓器売買」なんてことが普通に起きる。

ましてその最貧国の状態を「強いものの意志」によって作られたらとんでもない。受け入れる訳にはいかない。

どうせ死ぬなら戦って死のうという考え方を持つ人間は結構いるはずで、日本人には特にその傾向は強かったと思うし、誰もあの戦争に勝てるなんて思っていなかったはず。でも今の中東にしても、あるいは中国に侵略されているチベットやウイグル、南モンゴルでも「命をかけてでも守らなければならないものがある」と考える人は多くいて、その考え方を私は悪いとは「全く」思わない。ただし、関係のないものまでも巻き込むのは言語道断で、それをやったら「主張は正当」であっても断罪される。

ま、また前置きが長くなりましたが、武田氏の話は本当に面白いと思いました。これが良いとか悪いとかではなくて、こういう考え方もあるな、と思いました。

私は武田氏のように根性が座っていませんから、あの考え方を声を大にして主張しようなんてことは思いません。また白黒付ける話でもないと思っています。ただ、「あの戦争の勝者が言うような日本は悪の権化である」というのは間違えているし、でもそれは「白人に寄る世界征服は善」とするなら、日本は極悪非道の悪魔なのは間違いがない。でも日本のあの戦争により、結果的に「世界は大きく変わった」のも間違いがなく、そのことだけは自分の心の中で評価したいと思っています。

でも実はもう世界の植民地政策も行き詰まっていて、あの戦争がなくても世界は変わったろうという論者もいるのは知っています。でもそれはレバタラであって、また「歴史に【もし】はない」のも確かで、少なくとも日本の行動が「キッカケ」になったと思うし、私はそれを忘れまいと思っています。でもそれを主張することなく、認めてもらおうと思うことなく、どこの誰も評価せずとも、「日本人は世界の支配者に立ち向かったプライド」を心に持ち続けたいし、愛する人達を守る一心で命を捧げた祖先に対して、常に手を合わせて生きたいと思っています。

この武田先生って本当に面白いと思います。

彼の「平和は戦争によってもたされた」という言葉が心に残りました。

該当部分は43:00辺りからですが、その前の話も面白いです。

武田氏は「とんでも科学者」と言われるようですが、私は彼のような視点を常に持てるようにありたいと思っています。ああいう頭の柔らかさがあったら世界は違って見えるだろうし、そういう目で世界を見ていたいと思います。でも「何か」を守ろうとする人からすれば、ああいう人は邪魔者でしか無いんでしょう。

久しぶりにこの動画を出します。この内容は美化しすぎている部分があると私も感じますが、事実であるのは間違いがない。

関係ないですが、読者の方から「世界に一つだけの花」というあのSMAPの有名な歌が、今の日本では卒業式で歌うことがあるとのコメントを頂きました。本当ですか?

私はあの歌は偽善だと思っていて、世界に一つだけの花なんて美しくもなんともなく、命の世界の弱肉強食の勝者のみが咲くことができるわけで、皆がそれぞれ手を取り合い助け合い、認め合って咲いているわけじゃない。花屋の店先に並んでいる花々は、弱肉強食の中で生き抜いてきた「勝ち組」を並べているだけでしょう。あの何十倍、何百倍もの死んでいった同類に心を向けずに勝ち組を賛美するあの歌こそ、あの歌で歌われている歌詞とは真逆の世界を表していると思うし、ああいう発想は、私には日本人らしくないと感じます。

逆にあれを賛美するってことは、「情けも容赦もない殺し合いの世界を認め、勝者を賛美する」ってことだと私は思うくらい。こんな上辺だけの耳に気持ちよく聞こえる歌を称えるのが教育だなんて、とんでもないと思います。弱肉強食の中でいかに皆で生きるかの知恵を持っているのが日本人だと私は思うし、それを我々は「和の精神」と呼んで古来から大事にしてきたはずで、あの歌を素晴らしいと評価する教育者は教育者とは言えないと思っています。

でもその「和の精神」は日本の政治からも経済からも姿を消しつつあるようで、でも「日本、死ね」なんてのが日本人の考え方とは思えないものの、大震災があれば身を粉にして助け合う日本人の姿を見ると、やっぱりその「日本の心」はまだ生きていると思うんです。でもそれを薄っぺらいファンタジーの平和主義とつなげてしまう単純さ、あるいは識者の傲慢と言っても良いのかもしれないけれど、そういう面もあるのは間違いがないと思うし、これからの日本はどこへ行くのか・・・・。

 
 
 

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