子供の教育で「うまく行った」と思うある教え

前の日記に、シドニー在住の次男坊が何の連絡もなしに突然ゴールドコーストに来たことを書きました。そして長男と胸ぐらをつかみ怒鳴り合う大げんかをしたこと。そして次男坊は仕事のプレッシャーに耐え切れず、精神科に通っていること。

その一連の出来事の中で、へ~~と思ったことがあるんです。それは

○ 兄弟の仲が異常なほど良いこと
○ 二人共「ダボ家」のことを真剣に考えていること。

これって「そうなれば良いなぁ」とは思っていましたが、どうやったらそうなるのか、またその育て方の効き目(笑)なんてまるで予想も付きませんでした。

ただ私がやったことは

 親子、兄弟の順位は付けない、ってこと。兄貴が偉くて弟は次みたいな育て方はせずに、「完全に平等」であることを我が家では徹底しました。だから二人が幼いころでも「オニーチャンの言うことを聞きなさい」みたいなことは一度も言ったことがなく「兄貴なんだからしっかりしろ」ということも言ったことがない。常に家族四人が平等で「目上、目下」の感覚は我が家にはない。これは親に関しても同じで、「親だから偉い。感謝しろ」みたいなことは一度も言ったこともなく、「言うことを聞け」という育て方もせず、「何が正しいか自分で考えろ」とやってきました。こういう環境だと「疎外感」とか「理不尽な押し付け」ってあり得ないわけで(本人たちは大いに理不尽さはあったといいますが 笑)、「こんな環境から早く抜け出たい」みたいな感情も起きなかったんじゃないですかね。ですから息子二人共に「反抗期」もありませんでした。「私はあんたたちの親なんだからね」と偉そうなことをいつも言っていたのはヨメさんだけです。(笑)

○ 誰にでも苗字があるわけですが、「お前がその苗字を名乗る限り、【家】に責任を持たなければならない」といつも言って聞かせました。そして「その名前を名乗る限り、お前の人生はお前だけのものではない」と。こういう教えを私は受けたこともなく、ある意味実験でもあったのですが(笑)、小さい頃からそれを言われているとそういうもんだと思うのかもしれませんね。だから二人共、本来なら「自分の将来だけを考えて邁進する年頃」なのに、家のことが心配だといつも口に出すし、気にかけてくれています。と同時に、その教えですが、「兄弟は一心同体で、もし兄の家族に、弟の家族に何かあったら助けるのが当たり前」という育て方もしました。これもまた面白いぐらいにうまく行っていて、信じられないでしょうが、「二人の財布は共有」みたいなところもあるんです。二人で飲みに行っても「割り勘ね」みたいな話にはならず、「金を持っている方が出す」のが当たり前になっています。そして「借りた、貸した」という話にもならない。ただし、我が家ではたとえ親子兄弟でも金の貸し借りは厳禁で(ああ、それがあるから奢り合うのかな?)、個人保証も「絶対に」しないというのは「我が家の掟」になっています。(笑)

ここまでになるとは私も全く考えていませんでしたが、子育ての実験としては大成功だと思っています。

あとは「嘘をつかない、つかせない」のはお約束で、親の都合の悪いことも子供たちには全て見せました。そして海外ですから人種的な問題とか、イジメとかがあれば、「絶対に許すな」と言ってきましたし、親の対応が必要であればそれもやってきました。これって見方によっては「クレーマー」かもしれませんが、学校に不手際があった時には子供に「泣き寝入り」を強制したり、「我慢しろ」ということは一切言いませんでした。一度は弁護士に頼んで正式に学校に改善を申し入れたこともありましたし、クラスの先生のところに行ってどういう対応をするのか正したこともありました。

だから子供たちにしてみると「親は自分の絶対的な味方である」と思っていたはずで、それを疑うことは一度もなかったと思います。また子供たちが親にブツブツ言う時も「黙れ」と言ったことはなく、とことん話し合いましたから「親に何を言っても通じない」という感覚は無かった様子。逆にそういう自由な雰囲気を作っていましたから彼らが「言葉では何も言わず、ひねくれる」ということも無かったし(ヨメさんはそれが得意 笑)、それが出来る環境でもなくて、彼らは彼らの言動に責任を持たなくてはならない環境を作りました。

ただし、それの弊害もあるようで、次男坊は「自分が強い」ですからどんどん自分で道を切り開いて行って、親の言うことも聞かないようなやつですが(笑)、逆に兄貴の方は、「親に依存する」気持ちが強いような気もします。サジェスチョンを求められる事が多いのですが、それに答えるとあまりにもすんなりそれを受け入れちゃうんですわ。これって言った方もそれじゃ困ると思うぐらい。

もし私が100歳になり、彼らが70歳になろうと親子は親子で、私は自分の育て方に責任を取らないとならないと思っていますし、「彼らを守る」というのではなくて「あるべき姿」になるように親として一生関与しなければならないと思っています。面白いのが、彼らも「親の生き方に関与するべき」と考えているようで、それは「家に対する責任感」から出てきている様子。私にしてみると「うるせぇなぁ」と思うこともあるんですが、それを気にかけてくれる息子たちが嬉しい。「親は親、勝手にやれば?」なんて言われたら真っ青です。

でもねぇ、なんでも言い合える親子なんですが、一つだけまだ口に出せないことがあるんですよ。

寝たきりになったらどうしよう・・・って話。

ま、我々夫婦は子供の世話にはならないと思っているし、動けるうちにシルバーマンションみたいなところに入り、具合が悪くなったりボケたらその施設に併設されたホームに横滑りではいれるようなところを探すつもり。でもねぇ、それはきっと日本になるはずですが、子供たちに迷惑をかけないで済むのは良いにしても、あいつらやあいつらの家族に会えないなんてこともあるのかと思うと、半端じゃない寂しさを感じます。でも彼らが将来どの国で住み、家族を作るのかもわかりませんから、どうにか自分の中でその寂しさと生きる方法を考えないとならないと思っています。

オヤジやオフクロが歳をとったら俺と一緒に住めば良いじゃん、なんて言ってくれたら、私はマレーシアのコンドのメイド部屋でも良いと思うくらい。毎日、便所掃除も拭き掃除もするつもり。(笑)

でも冗談じゃなくて本当にそう私は思っていて(ヨメさんは絶対に一緒には住まないと威張ります)、たまにテレビで日本の地方の3世代同居っていうんですか?おじーちゃんもおばーちゃんも息子もヨメも孫達もいて、大きなテーブルで皆でワイワイ食事をしている姿を見ると「羨ましいなぁ・・」って心の底から思います。私は人間の幸せの原点ってあれだろうと思うんですよ。世界のどこでも生きていける子供になって欲しいと願って来ましたが、本当にその通り、皆が世界で散り散りバラバラでも良いのか?と考えるとそれも疑問に思うことがあります。たとえ日本の田舎の小さな地域でしか生きて行けないにしても、あれが家族の本来の姿のような気がしないでもありません。

それと面白いのが私の姉のこと。子供たちにしてみると叔母に当たるわけですが、彼女の老後も同じなんですね。独り身ですからかなりややこしいことになる。そして金銭感覚も普通のオバサン的な感覚しかありませんから、たった一人で長い老後を過ごすのはちょっと難しい面があると思っています。もちろん私が面倒を見るつもりで居ますが、年齢は2歳しか離れていませんし、私のほうが先におかしくなるのは間違いがないはず。その話を息子たちにしますと、「俺達が必ず彼女の面倒を見る」と私が頼んでもいないのにその気になっています。

親とか兄弟を助けるってのはわかりますが、叔母までも同じように助けるつもりでいるってのは出来過ぎで、でもそうやって言ってくれる息子たちには本当に感謝したいと思っています。ま、現実的には彼らも結婚し家族を持つと考え方がガラッと変わるんでしょうが、それはそれで仕方のない事だと思っています。でもこれから私の両親が住むマレーシアに行って、一緒に住むことはないにしろ、親子はどうあるべきかを彼らも初めて考える機会になるんだろうと思います。

なんだか出来過ぎだなぁって思うのですが、彼らを育てる間に私がやったことは上に書いたことだけ。

ああ、それとですね、おだてることは結構やりました。(笑)

お互い言いたいことをガンガン言いますが、最後に「I’m proud of you」とか「お前の親であれたことが俺の何よりの幸せだ」とか電話でもチョロっというんですよ。これってわざとらしいけれど、彼らの心に残っているようで、今回次男坊が来た時に、「オヤジはいつもそれを言ってくれた」とマジな顔をして言っていました。こんな言葉が親子の絆を作るのかもしれませんね。

子育て中の方々にこんなジジーのたわごとがお役に立てば幸いです。m(_ _)m

ああ、思い出したことがありました。「人のものを盗むな」とか「拾ったものをネコババするな」なんてことも当然教えるわけで、かつて自宅の郵便受けに5ドル札が入っていた時に「もらっちゃえば?」という次男坊に、「お前そういうことを言ったり、そういうことをしたら本当に殺すぞ」と驚かしたことがあるのは前に書きました。そんな感じで真面目に育てたのは良いのですが、それも行き過ぎていることに今回気が付きました。

次男坊が言うのには「自分にはどうしても譲ることが出来ない信念がある」と言うんですよ。そりゃ良いことだと思ったんですが「もしその信念を通せないとしたらなら、俺は自分の命を絶つ」っていうんです。大げさだなぁと思うんですが、真面目な顔をしてそれを言います。そんな感じだから自分を追い込んで精神科に通うことになっているんだろうと思いますが、真面目に生きることと一緒に「嘘も方便」みたいなことも教えるべきだったと思ったり。(笑)

今からそんなことを教えることも出来ないし、次男坊もまだ25歳ですからこれからいろいろ学んでいくのだろうと思います。

嘘も方便ですが、こんなことが我が家にはありました。順風満帆で我が夫婦がやってきたわけでもありませんし、ある時、いろいろあって別れ話が出たんですよ。「あんたは、絶対に私を幸せにするって言ったじゃないの」ってヨメさんが言いますから、「お前ねぇ、言葉ってのはナマモノで月日が経つと腐るんだよ」って言ったんですわ。

そうしたらそれが受けちゃったようで、ヨメさんは大笑い。それで張り詰めた雰囲気もなくなって離婚話も立ち消え。そんなこともありましたっけ。

糞真面目なのは長男も同じで、女性に対してどんな考え方を持っているか、あの年頃だと想像は付くんですが、まるで違うんですよ。浮気は絶対にしないと、結婚もしていないのにそんなことを公言する。うそだろ~~?なんて冷やかすと怒るんですよ。俺が若い時には・・なんて話をしたら、まぁ軽蔑されるされる。(笑)

ヨメさんも曲がったことは大嫌いな性格で、もしかしたら一番いい加減なのは私かもしれない。(笑)

子育てって面白いですね~~~~。人生も面白い。

 

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10 thoughts on “子供の教育で「うまく行った」と思うある教え

  1. ダボさん、こんにちは。
    具体的なダボさんの子育て法のまとめを知ることができて嬉しいです。
    すごくお役に立ってます(笑)

    親が親だけにダボさんの息子さんたちのように子育てが成功したと思えるような立派な大人に育ってくれるか分かりませんが、ダボさんされたことで自分は全くできていない点もありましたが、それに近いことをできていたのがいくつかあって驚いています。

    つい最近娘が学校で落ちていたシールや小物を持って帰ってきたことがあるのですが、「○○(娘も)大切なモノなくしてしまって嫌なときがあるだろう?コレを持っていた人も落として困って探してるだろうから自分のものにするのはやめようね」といって学校の忘れ物置き場に戻させたというのが二度ありました。
    娘の友達は気になるものが落ちてたら自分のものにする(それを見て親も何も言わない)みたいですが、そこで娘は正義感の押し付けをしてるみたいで、友達に注意をして喧嘩になる事がよくあるみたいです。まだ幼いので仕方がないですが、正義感があったうえで融通も効く人間になってもらいたいなと欲張っています。子育てしてるとモグラ叩きのように次から次へと悩みや考えさせられることが出てきて疲れますけど面白いです。

    息子さんたちの成長の仕方を聞いていると本当にダボさんを尊敬しますし、立派な息子さんたちがいて羨ましく思いますし憧れます。
    結婚後どう変わっていくかがまた楽しみですね。
    もしお相手をお探しでしたらうちの嫁が双子なんですけど、その片方が婚活中ですので是非紹介させて下さい。結構年上になっちゃいますが。

  2. いやいや、尊敬なんてしないでください。子育てはどの親も真剣なんですから皆同じです。

    オーストラリアって「拾ったらラッキー」な世界ですから怖いですよね。娘さんもそんなことがあってシスヤさんもさぞかしびっくりしたでしょうね。

    でもシスヤさんて優しいですね、言い方が。女の子だから当然かも知れませんが、私に娘がいたらどうだったろう・・なんて考えてみました。やっぱり、「このやろ~~」って脅かすと思います。理由は簡単で「子供は親のほうがおかしい」と思っているはずだから。正論は正論で納得できても「世の中はそうできてはいない」って子供は考えるはずなんですね。これこそが「環境の怖さ」だと思うんです。

    だから私は環境や友人がどうであろうと「俺達はそういうことはしない」という方向で教育しました。理屈抜きです。たとえ教師が許しても「日本人として【絶対に】許さない」という考え方です。

    きっとそうしたら子供は泣くでしょう。「私は何も悪いことをしていないのに(皆と同じ)」って思っているはず。そしてその時になって初めて、理屈を教えるのが良いと思っています。そして「お前は皆と一緒じゃダメなんだよ」ということ、そして「日本人は違うんだ」というのを教えようと私は思うわけです。

    これで「日本人は何があっても【高潔に生きる】」というのがわかるはずなんですね。理屈で諭すと、理屈でまた違う考えにも変わることも想定することが大事だと思います。もし娘さんが学校で「そういうことをするべきではない」と言ったら、全員から叩かれますよ。彼らは彼らの論理を娘さんに押し付けようとしますが、それに娘さんは耐えられますかね?

    「悪いことだからしない」のではなてく「日本人はそういうことはしない」という教え方で行くと、周りの外国人が何を言っても動じなくなります。また一々彼らの悪さを指摘して問題が起きることもなくなる。そして「自分が日本人であることの誇り」も感じるようになるはず。一石二鳥です。(笑)

    ただこの辺がそう簡単に行かないのは、シスヤさんが私と息子の討論を聞いておわかりになったはず。子供の中に「区別」する意識が強すぎるとそれは「差別」にもなりかねませんから。そしてそれで子供は長く悩むことになるかもしれません。長男のように。

    でも「俺は日本人だ。日本人はそういうことはしない(海外でこの意識を持つのは重要だと思う)」というのは心の奥深くに刻まれますし、悪い環境に左右されない子供になると思うんです。これは「日本人」というキーワードが大切なのと同様に、そういう考え方で育てると「XX家」の考え方も同じで、「他の日本人もやってるよ」とか悪い日本人もいるわけですから、「XX家ではそれは認めない」という理屈を超えた教育が出来ると私は考えています。日本に帰ってもそういうふうに育てていかないと、環境にしっかり慣らされちゃうんじゃないですかね。「正しさ」だけで育てると、子供はあまりにも違う価値観の世界(これが怖い。自分の正しさに疑問を持つから)、違う環境に入った場合、かなり動揺すると思うのですが、「私はこう生きる」と強いものがあれば問題無いですよね。

    女の子だから難しいと思いますし、子供をわざわざ泣かすようなことはしたくないと思いますが、それを乗り越えるからこそ「しっかりしたアイデンティティが持てる」のだと思っています。

    子供をこわごわ育てると、子供はその辺をしっかり見抜いて「パパ、安心して。大丈夫よ」ととにかく言っておけば親は本当に安心しちゃうのが子供にわかっちゃうんですね。私はこれが何よりも危険な子育ての落とし穴だと思っています。だからガツンとやるときにはやる勇気を持たないと。でも一生に数度で十分。

    我が家の息子たちには早く結婚してもらいたいと思っています。孫の顔もみたいし、家庭を持ち子供を持って初めてわかることってたくさんありますから、その時にあいつらがどう感じているのか何を発見したのか、そんなことを確かめたいと思う気持ちを持っています。

    長男に関しては「お見合い」も良いとマジに思っています。これからマレーシアに行きますが、それでまた婚期も遅れるような気がしますし。お見合いは大げさにしても、多くの女性と知り合うキッカケはあったほうが良いと思っています。私としては日本育ちの日本女性が良いと思っていますし。(笑)

    マレーシアに渡ってから「出会いの場」を作ってみますかね。マレーシアに一緒に遊びに来てください。(笑)

    • 確かにそうですね~。これは僕にとっては大きな気付きというか金言を頂いた気がします。

      娘が友達に正義感を押し付けて喧嘩になった時に、人それぞれ考え方があるから自分の考えを強要する子になってほしくないので「○○(娘)が言ってることは正しいよ。ただ、友達は友達、○○は○○。友達のことまで○○が言うことはできないよ。友達のことはほっておいたら良い。自分が正しいことを自分がきちんとしてたらそれでいいんだよ。自分のことだけ考えておけばいい」と言ったんですけど、6歳になったばかりの子にこんな理屈っぽい事言ってもな~と思いながら諭してたんです。

      「日本人だから」さらには「○○家だから」という揺るぎない土台を使って教えるのが良さそうですね。将来、自分を見失いそうになったときや、人生に悩んだ時などに一本太い拠り所というかアイデンティティがあるのとないのとでは大違いがあるんでしょうね。

      今回は今までよりさらに素晴らしいアドバイスを頂いたと思います。これだけでゴールドコーストに来てよかったと思えるくらいです(笑)

      僕自身(最低なんですが子供に対しても)瞬間湯沸器なのでこわごわ育ててるつもりはないんですが、「子供が怒られるかどうかは悪いことをしたかどうかではなく、親の機嫌が悪いかどうかによる」という言葉を聞いて心が痛くなったのでそれ以来改心したような気がします。少しだけ(笑)

      嫁の双子の片方については、僕らは全力でおせっかいを焼いています(笑)
      長男さんと双子の片方の意思の確認をせぬまに、ダボさんと僕達の間では好都合ということで話がまとまりそうですね(笑)
      ちょっと距離がありますが会うことには支障はないと思うので、良いきっかけになれば良いのですが。。。

  3. シスヤさん、怒ると叱るは違うって言いますよね。私もそこのところは気をつけていました。特に私は怒られ続けて育ちましたから、「世の中の理不尽さは父親から教わった」ようなもんです。

    だから自分は絶対にそうしないと心に誓いました。

    ところがですね、ある時、気がついたんですよ。同じようにするべきだって。親が理不尽だと子供は悩みますよね。つまり「常に問題を投げかけられているのと同じ」だと思ったんです。毎日、宿題を与えられているのと同じだと思った。こりゃいいわって。(笑)

    でもやり過ぎれば「親は軽蔑の対象」になりますから、ま、それはやらないほうが良いのかもしれませんが、上にも書いたように子どもたちは「大いに理不尽さはあった」と言いますし、それを面白がって言うんですよ。嫌で嫌でたまらなかったとは言わない。この辺が人生のオカズみたいで、それなりに意味があって、人間って弱いし理屈通りにいかないと、理不尽さも受け入れ愛しあうことを理解しているように感じました。

    大事なのは「親が嘘をつかない」「自分の言葉で話す」、そして「綺麗事は言わない」ことに集約できると思います。「そういうことをすると先生に怒られるよ」とか「そんなんじゃ友達を無くすぞ」とか、親が自分の言葉で話さずに、逃げるのを子供は敏感に感じ取るんですよね。この傾向って母親に多いと思うのですが、子供を叱るお母さんが、自分が嫌われるのが嫌なんでしょう。「他人に怒られるよ」みたいな言い方をする場面に何度も遭遇したことがあります。これをやるから「世間の目」を気にするような子になるんだろうと思うのです。誰も見ていなければ大丈夫って思うようになる。

    娘さんは7歳とのことですが、十分理屈は理解できるはずです。我が家では3歳の時から「良いことか悪いことか考えてみよう~~」なんて遊びみたいに考えさせましたが、ちゃんと子供はわかるんですよ。

    シスヤさんの上のコメントでも、う~~む、と思うところが実はあるんです。

    >「○○(娘)が言ってることは正しいよ。ただ、友達は友達、○○は○○。友達のことまで○○が言うことはできないよ。友達のことはほっておいたら良い。自分が正しいことを自分がきちんとしてたらそれでいいんだよ。自分のことだけ考えておけばいい」

    これです。これは良く言えば個人主義の考え方。でもこの言い方から子供は何を学ぶかというと「ややこしことには関わるな、逃げろ」ということでもある。私が上に「ガツンとやるときにはやる勇気を」と書いたのはシスヤさんが「子供を愛するがゆえに、問題が起こらないように守ろう」という気が強いと思ったから。

    子供に優しい親は多くいますが、それは「優しいのではなくて自分に自信がない。怖い。」からだと私には見えるのです。

    「正しいことは正しい」と言える子と「勝手にすれば~~」という子とどちらを選ぶか。ここは重要だと思います。「自分が信じることを言えない子供は、相手に何か言われても反論もできない子になる」のは間違いがないんじゃないでしょうか。

    男の子と女の子と感性が違いますから育て方も違うのだろうとは思いますが、私は男の子であれば、昔から言うように「喧嘩して泣いて帰ってくるな。やり返してこい」って育てたいと思います。

    イジメが親としては気になりますが、自分の子どもがイジメに遭遇した時に、「私は私、あの子はあの子」とシスヤさんが教えるように「あの子はあれでもしょうがない」と受け入れちゃうのか、それとも「私はこう思う!」とはっきり言える子が良いのか。またイジメが起きているのを見た時に「私は私、あの人達はあの人」と思う子で良いのか。

    私は自分の子が女の子だとしても、意地悪っこに「あんた達、何してんのよ!」といえる子であって欲しいと思う。

    ここはちょっとややこしいところで、「日本人として、XX家としてそれは認めない」と教えるのは上に書きましたが、それが通じない価値観の違う連中にグタグタいう必要もないわけですが、「言わない」のと「言えない」のは違うんですね。言うか言わないかを選べる状態にあるのが良いわけで、最初から「言えない」「言うつもりもない」ってのは困りませんかね。「今まで黙って聞いていたけれど、やっぱりあんた達おかしいわ」と言うべき時には一言言える子であって欲しいと私は思う。それとも「私とは違う。私は関係ない」って黙っていれば良いんですか?

    シスヤさん、子供に遠慮したらダメだと思いますよ。そして「人との繋がりの中」で人は育つわけだから、「他人と自分の間に壁を作る」ような育て方は良くないかもしれない。それは「外部とのいざこざ」から逃げるのには良いかもしれないけれど、それで良いのか。子供を心配するがゆえに、「関わるな」と親は言いたいのはわかるけれど、それを言うのは「親の弱さ」だと私は思うんですよ。逆に正しいと思ったことを言っても通じない世界で、それでもどう友達に自分の考えを伝えるか良い練習を子供がしている時に、「(それを親はいざこざだと捉えて)そんなことはやめなさい」って言っちゃって良いのか。子供は小さくか弱いと思ったら大間違いで、子供は親のその弱い所をしっかり見抜いて、そこを利用することを覚えますから。例えば、「やるべきことをやらないとき」に「あの人達と私は違うから・・」と言い訳をしたらそれを認めるしかなくなりますよ。そしてそれが子供の習慣になる。面倒なことからはいつも逃げる子になるかもしれない。そもそも「お父さんに嘘をついたり、ごまかそうと思ってもうまくいかないわ」って思わせないと親は必ず負けるわけですから、子供のことを考えすぎておかしなことを教えてしまうことが無いように注意が必要だと思います。腫れ物に触るように育てると、子供は「絶対に」親を言いくるめることを覚えるはず。その弱さがシスヤさんにあるようにコメントから私は感じるんです。

    「パパは我儘で狡い!」ぐらいに言われてちょうど良いんじゃないですかね。でも大事なところで子供をしっかり抱きしめていれば、子供は愛情を感じて親を理解しようとするはずで、「親は子を理解するのが当たり前」みたいに子供が上に立ってしまうと大変だと思いますよ。

    これを書きながら、友人の子供(娘)を思い出しました。私達が一緒にいても親がその娘に気を使っているのがはっきりわかるんですよ。お姫様と侍従みたいな関係。親が「ああしなさい、こうしなさい」と言っても、それは「お願いをしている」のがわかるんです。その子がどれほど我儘になっているかは想像ができると思いますが・・。そしてですね、私はその友人にやっぱり一言言いたくなったんです。でも言いませんでしが、他人が見ても問題があるほどその子が「一般常識を知らない子」になっているということ。家でも女王様なんだろうと思いますが、外に出て知らない人と一緒になっても自分勝手にやる子になっていた。

    子供を叱って子供が泣いた時に、一緒に心を痛めるんじゃなくて、「シメシメ、ちゃんと学んでいるな」と思えるようにならないと子育てはできないかもしれませんよ。

    でも「パパなんか大嫌い」なんて言われたら、きっと私は寝こんじゃうかもしれませんが。(笑)

    男の子と女の子と違いがあると思いますが、そういえば「パパなんか大嫌いだ」なんて言われたことは一度もありませんでした。随分怖い思いもさせたのですが。私が子供を叱るときには「彼らが恐怖のあまり震えるほど」のことをしましたから。車の中で喧嘩をしてやめない時に、私は黙って車を止めてドアを開けて「お前ら降りろ。外で好きにやれ」と胸ぐらをつかんで引きずりおろした時には、本当に恐怖のあまり二人共震えていましたよ。

    でも子供がちゃんと理解した時には、しっかり褒めて抱き寄せて、「パパは俺のことを大好きなんだ」って思うようにしっかり愛情表現はする。その時に子どもたちは叱られた意味を初めて理解するんでしょう。でもこれも結構難しくて、怒らすと怖いから怒らせないようにするようになってもダメなんですね。だから「言いたいことは言うのが我が家の決まり」ってのを何よりも大事な「根本的な決まり」として理解させ、定着させないと、顔色を見る子になっちゃう。だからたまにわざと理不尽なことを言って様子を見ることもしました。絶対に親が悪いのに「ウン、わかった」なんて言ったら、またそこで叱るわけですよ。そういう時にははっきり私は言いました。「パパはいま嘘をついたんだよ。お前たちが本当に自分の頭で考えているかどうか確かめるために。でもお前はパパが怒らないように、自分に嘘を付いたろ。それが一番卑怯なんだぞ」って。(笑)

    こういうわけのわからない親だと子供は「いつも考えないとならない」わけで、良い訓練になったんじゃないかと思ってます。(笑)

    「パパって優しいね」って言われたら多分アウトだと思います。「パパって楽勝~」と言ってるのと同じですから。

    もし私が「オヤジって優しいね」って言われたら、「そか、じゃぁもうちょっと締めあげてやるか」ぐらいのことを言います。そしてそれを聞いた子供が「あはは」って笑うような関係を作りたいと思ってやって来ました。

    「パパって怖いけれど大好き」ってどうやったら言ってくれるのか、そこがポイントじゃないですかね。

    子育てて一番大事なのは「子供を理解すること」ではなくて、まず「自分(親)の心理」をしっかり理解することだと思っています。自分の中に「子育ての不安」があるとそれが子供にそのまま出てくるはずですから。

    うちは二人共男の子ですから「負けてもスジは通せ」と教えました。でも女の子だとね~~~、そうもいかないんでしょうね。

    • ダボさんのアドバイスは一字一句すごく自分に染み渡っています。

      親や人の顔色をうかがって育つような子にはなってほしくないですし、自分が信じることを言えない子供にもなってほしくありません。

      >>「○○(娘)が言ってることは正しいよ。ただ、友達は友達、○○は○○。友達のことまで○○が言うことはできないよ。友達のことはほっておいたら良い。自分が正しいことを自分がきちんとしてたらそれでいいんだよ。自分のことだけ考えておけばいい」

      >これです。これは良く言えば個人主義の考え方。でもこの言い方から子供は何を学ぶかというと「ややこしことには関わるな、逃げろ」ということでもある。私が上に「ガツンとやるときにはやる勇気を」と書いたのはシスヤさんが「子供を愛するがゆえに、問題が起こらないように守ろう」という気が強いと思ったから。

      さすがダボさんです。娘には「将来ある問題を抱えてほしくないから」あえて個人主義的な言い方をしているんです。個人主義というか、考えがぶつかり合ったときに正しいことは正しいと反論できるようになってもらいたいのは間違いないのですが、(娘に上手に伝えられていないというのもあるんですが)今回はおせっかいだったので、おせっかいや人の面倒を見るのは良いけど、おせっかいなんか焼かなくていいからまずは自分のことだけを考えて欲しいと思って言いました。
      娘は小さい頃から人形の世話が大好きで、今では人の面倒を見るのが好きで、こちらから見ると自分を我慢させたり押し殺しても他の年下の子供の面倒を見ているなと思う時があるんです。母性が強いと思うのでそれはそれで良かったなと思う部分はあるんですが。

      もし、自分がああしたいこうしたいという欲望を抑えてでも人の面倒を見ることで安心感を得て自分を満たしてるようなら、将来手が掛かるダメな男ばかりあえて好きになるんじゃないかと心配してるんです。
      僕の元義弟もそうですが、妻の周りでもダメ男ばかり好きになる人がいて、周りが反対するくらい一見してダメ男っぽいと分かる人と付き合って子供できたら逃げられたり、定職につかずスマホゲームばかりして子どもと遊ばない、そして教育ローンで専門学校行ったらそこで浮気をするなんていうのがあって。こういうのって辛い思いをするのは子どもと相手側の女性なので、そういう面倒な人をあえて好きになるようになってほしくないなと思ってるんです。人の世話よりまず自分のことを考えて欲しいと思っています。世の男性すべてがダボさんの長男さんのようだったら良いんですけどね^^

      おせっかいを焼いたり面倒見るのは構わないけど、自分を犠牲にしてまではしないで欲しい。まずは自分のことを考えて欲しい。僕が心配してるのはそこだけです。でも、ダボさんが言うように、面倒から逃げる習慣がつくのはまずいですね。主張しなければいけない時は自分でしっかり考え、黙ってたり泣き寝入りすることなくきちんと主張できるようになってもらいたいですから。

      しかし、ダボさんの子育て経験談を聞くとすごく勉強になります。エピソードも面白いですし。
      何度もじっくり読ませていただきます。
      時間を割いてアドバイスを書いて頂いてありがとうございます

      • う~~~む。シスヤさんの話を聞けば聞くほど、ちょっと違うんじゃないか、それで大丈夫かと思うことが出てきます。

        まず、シスヤさんは心配しすぎ。子供を信じていない。将来に恐怖を持っている。それが子供の伸びる力を押さえつけている、って感じるんですよ。

        面倒見が良い性格ってすばらしいじゃないですか。

        >自分がああしたいこうしたいという欲望を抑えてでも人の面倒を見ることで安心感を得て自分を満たしてるようなら、将来手が掛かるダメな男ばかりあえて好きになるんじゃないかと心配してるんです。

        この考えは方ははっきりいって病的だと思いました。

        面倒みたいというのがまさに欲望なんでしょう。将来、医学の方に行きたいとか、マザーテレサを尊敬するようになるのかもしれない。その時に「問題のある奴ばかりに関わるな」って親が言うのと同じじゃないですか。

        シスヤさん、親がコントロールしていい部分とダメな部分があると思うんです。口を出してはダメなところとは「親の勝手な我儘、不安」から出てくることです。そしてですね、子供に絶対に言ってはいけないことがあるんですよ。「好きになる人」「付き合う友人」。これに親が口出しをしたらほぼ間違いなく親は子の信頼を失います。それを口に出さずとも、それを曲げるような育て方は子供に悪影響しか無いんじゃないですか。「やりたいことをやれ」「でもパパの心配するようなことはするな」っておかしいでしょう。

        女の子だから心配なのはよくわかりますが、シスヤさんは「その心配は当然で、親のその心配を無くすために子は変わるべきだ」と言っているのと同じなんですよ。それで良いんですか?

        子供が歩く目の前に大きな落とし穴があれば、「その道を進むな」って言いたいのは誰しも同じだと思いますが、それを言ったらダメなんですよ。「自分が信じる道を行けと言ったパパは嘘つきだ」としか思わない。そして経験すべき落とし穴もあるわけで、それを回避することが子育てとしては失敗かもしれない。だから「落ちても大丈夫」なように親はあの手この手の考えるべきだと思っています。

        だからこそ親は先回りして「子供の環境」「善悪の考え方」とか作らないとならないわけで、その後は「神様にお任せ」するしかないところは口出ししてはダメなんですよ。

        でも賢い子は「パパは私を愛しているからだ」と理解するかもしれませんが「パパは我儘な嘘つきだ」と思うような小さなことの積み重ねで子供が親を信頼すること無く、尊敬することもなく、「自分は愛されていたのではなくて、自分はただの繰り人形だったのだ」って思うんですよ。

        これは私がそう育ったし、「お前のため」とシスヤさんみたいなことをいろいろ言う、考える親だったから、私にはわかるんですよ。子供のためじゃなくて自分の好き嫌いでものを言っているだけだというのを子供が感じたら、もうそこでアウト。私がそうであったように、いうことを聞くふりをしながら親を軽蔑し続けるなんてことが起きますよ。

        つまりですね、「子供のことを考えている」のではなくて「親が自分の不安を解消したいと思っているだけ」ってのを子供は簡単に見破るんですよ。その時に子は親の言うことに耳を貸さなくなる。でもここで「愛」がどうにかつなぎ留めてくれるんですね。でもそれって決して良いこととは私は思わない。ひょんなキッカケで子の心は親から離れちゃう。

        子供を信じて「お前の好きなように生きてみろ」と、これしか親が子に言えることって無いんですよ。でもそれじゃ切れた凧になるから、あの手この手で環境を作っていく。家庭菜園では「土作り、環境づくり」しか出来ないのと同じで、「こう育て、あれはダメ」なんて、そこまで親は出来ないんですね。でもそこから一歩入り込むと、親の信用はそこで簡単に失墜する。

        子供は小さい時の育て方で将来が決まると思いますが、シスヤさん、しっかり考えないとうまくないと思いますよ~。

        まずはシスヤさんが「不安」とどう向き合うのか、それを考えるのが先で、それを乗り越えること無く子育てを考えるとかなりややこしいことになると思います。私の親は「自分の理想論」を子供に押し付けた。結果、親を大嫌いになり、軽蔑し、「どうしてこんな親の元に生まれたんだろう」なんて思うようになる。私の場合は大人になってから「自分の中で解決」できましたし、その親から逃げたり、見捨てたりすることはありませんでしたが、「早くこの家を出たい」って思う子どもたちは「親の愛が無かったから」じゃないと思うんですよ。「親の押し付けにうんざりする」のが最大の原因じゃないでしょうか。愛の押し付けに子供は愛を感じない。ストーカーと同じだからです。

        だから子育てには「環境が大事」ってことになるんじゃないですか?そして親にはその環境を作る、選ぶことしかできない。それ以上のことはしてはならない、と私は思っています。そして「子供を信じて子供に任す」ことが何よりも大事で、だからこそ「子はそれに応えよう」って思うんじゃないですか?仕事だってなんだって同じだと思います。シスヤさん、シスヤさんの中に「性悪説」があるのに気が付きますか?子供はそれを敏感に感じ取ります。「私を信じていない」って。

        でもシスやさんはシスヤさんが信じるように子供を育てるしかありませんし、価値観も違いますから私が口出しすることでもありませんが、「子の心はどう動くのか」を真剣に考えないと、こんなはずじゃ・・って事になりかねない。親がストーカーになってはならないのに、親にその自覚がないと恐ろしいことが起きる。

        私の場合は、どんな時でも子供を信用しようと思いました。でも心配は次から次へと出てきますが、それで子供を押さえつけることはせずに、神様に手を合わせて「子供たちのことはよろしくお願いします」と祈っていました。この祈りは本当に切実で真剣でした。あああ、今も同じだわ。(笑)

        • ダボさん、ありがとうございます。

          他の人より子どもたちと一緒にいる時間が長いので、なおさら子どもたちに感じ取られることも多いと思います。

          例えば子供がもし小中学生になったとき、親と離れてでも全寮制の学校に行きたいといった時、自分の人生だから行きたいと思ったなら喜んで頑張ってこいと言いたいと思ってるタイプですが、そういうことも含めて無意識のうちに自分の理想を押し付けてる部分が他にもあるんだろうと思います。

          ダボさんから頂いたアドバイスは嫁にも目を通してもらって、今すぐ指摘してもらえるところは指摘してもらって、議論しながら今後も妻に観察してもらいたいと思います。

          正解や結果がすぐに分からない子育てにおいて、試行錯誤しようにもできない点もあるので、今がとても大切な時期ですし、こうして指摘いただけることは本当にありがたいことだと思います。あとから後悔しても遅いですもんね。
          本当にありがとうございますm(_ _)m

  4. いつも生意気なことを偉そうに書いて申し訳ないです。でも子育てに限らず人生って「あの時あれに気がついていれば・・」ってことばかりですよね。だから「私が正しい」ということではなくて、「何度でも何度でも見なおしして点検して欲しい」と思っていて、それのキッカケになればと思っております。

    突き詰めれば、子育てって「いかに親子の絆を作るか」が大事だと思うのですが、その絆も「強い物同士の協力」かもしれないし「弱い者同士の助け合い」かもしれず、いろいろな形があるにしろ、絆が何よりも大事であるのは間違いはないと思っています。

    その絆を作るにはどういうアプローチがあるかというところで、様々な考え方が出てくるのだとは思いますが、草木に水をやらなければ枯れるし、多すぎれば腐るのと同じで、やっぱり臨機応変にやるしか無いとは思うものの、真ん中に一本しっかりしたものが大事だと思っています。

    私の子育てだって成功したとは言えず、いろいろ問題があってそれが子供のトラウマのようになっているのは、一緒に話をしたシスヤさんは御存知の通り。でもそれらもひっくるめて乗り越えられるのは「絆」や「愛」を双方が実感できているからなわけで、是非それをシスヤ流で、シスヤ家のものを構築してもらいたいと願っています。

    • いえいえ、同世代ではわからないことですし、親から言われると喧嘩になるしで、こういうことを言ってもらえるチャンスというのはまずないので本当に貴重なことだと思っています。

      誰でも、ある部分を見たら大成功だと思うし、違う部分を見たらもう「あの時あれに気づいていたら」というのはあると思います。
      ただ、ダボさん親子のように一家の絆が強く、お子さんたちも自分の考えをしっかり持ってなんでも意見を言い合える関係があるというのはすごく幸せなことなんだろうなとこの前ご一緒させてもらってそう思いました。

      真ん中に一本しっかりしたものが大切だということも、確かになるほどな~と思いました。シスヤ家として大事なこととは何かを夫婦で考え子供に伝えていきたいと思います。

      コメントのやり取りだと1のことから推測して10を知ろうとしないといけない場合もあるんで、マレーシアに移られる前にまたじっくりお話する機会を作っていただけたら嬉しいです。

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