ブリスベンに行ってきた。都会だ~~~~~。オーストラリアと日本との違い

また家族3人でブリスベンに行ってきました。野望用がありまして・・。

しかしやっぱりブリスベンって都会ですねぇ。ビルがたくさんある。人も多い。スーツを着ている人がいる。(笑)

面白いのはシドニーやメルボルンもそうですが、歩く人のスピードが違うのね。

それと今回、都心にはゴチャマンとあるカフェでお茶と軽食を取ったのですが、これもかなり雰囲気が違う。

働いている人たちがキビキビしていて、出し物も美味しい。そして競争が激しいのでしょう、価格も安い。

同じオーストラリアか?って思うぐらい。

この地域差って凄くて、小さな街に行くと、あるいは内陸部に行くと「僻地」の感じがプンプンするんですね。スーパーに入っても売っているものがまるで違っていて、スーパーの入り口には「小麦粉」や「ジャガイモ」の大袋が並んでいたり、フレッシュの「海産物」「肉製品」なんか全く置いていないような店もある。でもソーセージと冷凍品はあって、温めれば食べられるようなものばっかり。

オーストラリア人って基本的には非常に質素であるのが良くわかります。そして保守的なのね。食べるものでもなんでも同じ。特に食生活は日本人とは全く違っていて「エネルギー摂取」が主目的なんだろうと思う。だから基本的に「小麦粉」「芋」「ソーセージ」があれば庶民の食生活は問題がないみたいな。スパゲティも大量に食べるようで、どこでも半端じゃなく安い。500グラムで100円ちょっとぐらい?

都会の人達はやっぱりかなり違っていて、「拘る人たち」は多くいて、一般的なオーストラリア人だと思うとぜんぜん違う人たちも多いのね。これは移民大国で「食えない人たちが来た時代」ではなくて「裕福な移民たち」も多いんじゃないかと思っています。特に食に関してメルボルンは凄いし、シドニーも半端じゃない。ゴールドコーストは昔はかなりひどかったけれど年々オーストラリアの「一人あたりのGDP」が上がるのに連れて良くはなっている感じはします。でも日本的感覚で見るとかなり悲惨だと私は思っています。「ここじゃ生活を続けるのは無理」と日本に帰った「永住者」もいた。

食に関してつい最近も思ったことなんですが、「お店の口コミ、紹介」って本当にあてにならないということ。「あの店は美味しい」っていう店に行ってみると、「これのどこが美味しいんだ?」という店が多い。結局そういう「食べ歩きレポート」をする人たちって「若者中心」なんですね。若者やワーキングホリデーを馬鹿にするわけじゃないんですが、日本でどんな食生活を送っていたのか、オーストラリアで日頃何を食べているのかって考えちゃう。

これは日本の口コミサイトを見ても同じで、「価値観がまるで違う雑多な人達」が書いているのね。だから私は「美味しい」なんてのは全く信用しないし、口コミを書く人の中で「注目すべき人」を探すようになりました。お店より「書いている人」を探す。で、その人の「紹介を書いた店」の中からどこのお店が良いのか探すのね。店の評価には星が並んでわかりやすいようになっていますが、全く信用できず。食べログもトリップアドバイザーも同じで、知らない土地だとそれをあてにして店を探そうとしてしまいますが、知っている地域、例えばゴールドコーストの「良い店のランキング」なんてメチャクチャですから。

それとゴールドコーストで面白いのは「田舎」だけれど「都会のちゃんとした仕事ができるスタッフ」がたまにいるんですよ。まさに昨日ブリスベンのカフェにいたような「笑顔」もちゃんと作って「話」も出来て、そしてテキパキ動ける人たち。たとえばイタリアン料理とかそこそこ有名な店に行っても、ゴールドコーストらしいデレデレしたスタッフはいくらでもいますが、たまに「動きを見るだけで」「あのスタッフは違う」ってのがわかるケースがあるのね。

いつの頃からか、そういうスタッフを見つけると「どこから来たの?」って聞く癖がつきました。すると「メルボルン」からってのが非常に多い。それと高級店が多くある「サンクチュアリーコーブ」のある店に行った時ですが、女性のスタッフで凄いのがいたんですよ。笑顔や話しかけてくる態度が自然で気持ちが良くて、そして「注文を取る時」「料理を持ってくる時」の「立ち振る舞い」がまるで違うのね。「絵になる」「美しい」と思うくらい。日本の「学校の優等生」みたいなマニュアル通りの接客じゃなくて、「モデルか?」みたいな。

その時も聞いたんですよ。「どこから来たの?」って。そうしたら「ロサンジェルス」ですと。この時は「やっぱりアメリカに負けた」って思いましたわ(笑)。注文をとったり料理を運んだりするいわゆる「ウエイトレス」ですが、やっぱりどんな分野でもプロっているんだと思った。

でもそういうスタッフって本当に珍しくて、良い店の入口にはドレスを着た「綺麗な子」がいる場合が多いのだけれど、これが「綺麗だけれど田舎のネーチャン」みたいなのがほとんど。

当然、日本の小料理屋の「女将」みたいなのは見たこと無し。ああああ、たまにいますね。日本レストランにかなり凄いと思うスタッフがいることもある。そういえば彼女はどうしているんだろう。注目している「(若い)商売人」がいまして、夫婦である和食店に勤めていたのですが(旦那は料理人)、夫婦でやめて独立すると言っていたのにその後、どうなったのかわからず。

ま、そんなのを観察するだけでも面白いです。

客としてそういうのを観察していると本当に面白いんですが、もし自分の立場があちら側だったらどうかと考えると怖くなることがあります。そういう「(問題のある)レベル」が普通の国や地域で学んだり、あるいは子供を育てたらどうなるのか。

これは自分の子供を見ていても感じることで、彼らの常識は「日本人の常識」じゃなくて「オーストラリアのある地域、狭い範囲の常識」でしかないのね。

オーストラリア式が全部悪いんじゃなくて、仕事の進め方とかやる気ってのは日本以上にオーストラリアのほうが良いと思うところは多々あるんだけれど、日本の常識から考えると「全く駄目じゃん」って思うことも多い。つまり「全体意識」が欠如しているし、「顧客サービス」に対する考え方が違うのね。オーストラリアって会社にクレームを付けるときにもしゃべり方を考えないと駄目で、日本的なクレームを付けても、それを受けたスタッフは「私の責任じゃない」みたいなことを言うケースが多い。

我々としては「会社」に対してクレームをつけているつもりでも「You」という言葉を使うと、彼らは「自分が文句を言われている」と感じる様子。でも「会社」に対してクレームを付けても「日本みたいな迅速丁寧なサービスは皆無」なのが普通。

こちらで子供が育つとこれが普通になるはずで、我が息子たちもちょっとズレているところを感じます。

「そんなんじゃ世界で通用しないぞ。日本に行ったらアウトだな」なんて言いますと、「関係ないじゃん、俺達はオーストラリアにいるんだから」ですと。

これが困るんですよね。いつか「これじゃヤバイ」って気がつく時も来るんだろうけれど、こういうのって「長い訓練の中で身に付けること」ですから、ある時「真似しよう」なんて思っても無理。でもそういう時が来るのはまだ良くて、普通は現地流にどっぷり使ったまま長い年月も過ぎていくわけで、私としては気になります。

もっと困るのがですね、「日本から来た日本人」が「現地流に育った子供たち」を結構褒めるんですよ。こういう日本人は「子供たちを現地人」と比べて言うのね。あるいは「外国育ちは日本の常識は知らないだろう」という前提で話すのね。だから「英語も日本語も出来て、ちゃんとしていて素晴らしい」なんてことを言う。「挨拶もちゃんとできるんだね」なんて言われることさえある。

これを聞くとやっぱり子供たちは喜ぶわけですよ。親も同じで、「オーストラリアで育てて良かった」と思ってしまう。でも我々が気が付かないと駄目なことは、褒めてくれる日本人も、心の中では「あれじゃ日本じゃ通用しないね」って思っていることもあるはずだってこと。

これをはっきり感じたのはシドニーで働いている次男坊の話を聞いた時です。世界中に支社支店がある大手の「監査法人」に勤めているんですが、日本から日本支社の要人が来た時に、「オーストラリアは使えないやつばかりだ」と言われたと。本人はシドニーでは結構頑張って評価も高いようで、若いのにそこそこの役職、給料ももらっているし、「えー?日本育ちじゃないんだ?」なんてことをしょっちゅう言われて、本人は結構満足していたみたいなんですね。ところが日本から来た「上司」と言っても良いような人に「使えない奴ばかり」と言われたと。

面白いのは次男坊は「俺のことじゃない」と信じているのね。ここがまたオーストラリア育ちっぽいところ。自信過剰。(笑)

でもその日本支社の人が言うには「管理職の凄さは日本より上」だと言っていたと。これもまたオーストラリアらしいことだと次男坊は言っていてその通りだと思ったらしい。つまり、こちらは「俺が俺が」のタイプが多い。良く言えば「自信家」「努力家」、そして「行動力」「決断力」があるのは間違いがないらしい。「周りの様子を見ながら仕事をしていない」ってことなんですね。だからバリバリやるやつはどんどん積極的に仕事をして上に上がっていく。

でも会社に忠誠心なんか無いし、良い話があればすぐ辞めちゃうし、皆が「自分のために仕事をしている」と考えるのが普通だとのこと。だから「できるやつはできる」んですね。

「サラリーマン」というとそれが何を意味するのか私達日本人には共通認識がありますが、こちらのサラリーマンは「個人事業主に近い」と考えたほうが良いのかも。

そういう風潮があるから、「上司から指示されたから不正にも協力する」ということはまずあり得ないと次男坊は云います。これって監査法人に勤めていますから「会社ぐるみの不正」にはいつも目を光らせているわけですが、日本企業はちょっと感じが違うのがわかるそうです。オーストラリアの場合ですと、上司から不正の指示があっても「刑務所に入るならあんた一人で入れ」と考えるのが一般的らしい。特にオーストラリアは「公平」「公正」であることに拘りが強いですから、日本以上に真面目なところがあるのかもしれない。これは普通の人も同じで(そりゃ悪いやつはいくらでもいますが)、話の中に「Fair」という言葉がよく出てきます。

次男坊の話では、「不正」とは言わないまでも「解釈の違い」ってあるわけですよ。例えば経費の「損金算入が出来るか出来ないか」とか。当然会社は損金算入できないようなものでもそうしているケースは多々あるのは世界共通で(舛添都知事みたいな 笑)、オーストラリアの会社の場合はトップにそれを告げるとすぐに対処方法が決まって話が早いそうです。でも日系企業の場合には「トップに直接話せない」そうで、まず窓口に話をして「相談する」ことから始まると。まだまだ日系企業には「合議制」みたいな面が強く残っているんでしょう。

問題が起きると日本の場合は「何人もの管理職」が並んで頭を下げるのが普通。ここに日本らしさが良く現れているはず。

「日本は会議が多い、長い」みたいなことも言います。でもこれって私は日本流の良い所でもあると思っていて、それで「関わる人間が多く」「目標の共有」「皆で協力」という(日本人が考える)重要なところが育っていくんでしょう。でも「言うべきことも言わず」「全体に流される」傾向があるのは間違いがないはず。

これって私自身の個人的な付き合いを見ていてもわかるのね。特にこんなジジーになりますと、友人知人も古い連中が多いんですね。まして日本で日本的な企業風土の中で長年やってきた人たちは、「空気」を大事にするのね。だからハッキリしたものの言い方はしないし、自分の考えを前面に出すこともしない。

こういう世界を全く知らずにジジーになった私としては、こういう日本的な同年代の人たちと話をすると「かなり」面食らうんです。

「自分の意見を言わない人はそこにいないのも同じ」というのが欧米では常識だと思うんですが、「意見をはっきり言う奴は煙たがれる」のが日本式。

そういう中では、では自分の意見を言わないのかって言うとそれも違うんですね。「言い方」「伝え方」がある。でもこれが私にとっては「はっきりわからない」「回りくどい」と感じる日本の常識。

ま、そういう意味では息子たちだけじゃなくて、私も「日本的常識」から外れているってことなんでしょうね。

何が良いってことでもないのですが、「臨機応変」に出来るのがベストのはず。でも私はやっぱりジジーでも経験不足でその機敏さ配慮が足りません。

困ったもんだけれど、これでやるしかない。(^_^)v

とまぁ、ブリスベンに行っていろいろ感じたこと、日頃思っていることを支離滅裂に書いてみた。(笑)

しかし、ブリスベンの駐車場に車を止めたら1時間ちょっとで50数ドル。どうなってるんだ?

 
 
 

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