29歳の時に人生を投げたことがあった&自費出版のレコード【備忘録】

私の秘密というかある出来事をやっぱりこのブログに書いておこうと思います。

このブログは「情報発信」ではなくて「私という人間が生きた日記」、「遺言」みたいなものだといつも書いています。いつか私が寝たきりになって天井を見ながら生きる時期に、このブログを一つ一つ読んで一つ一つ思い出したいと思っていますし、また子供たちに「オヤジってこんなことを考えて生きていたんだ」というのを残したいんです。

実は随分前ですが、私の父の日記を発見しました。父がまだ10代の頃のもので、時代は戦時中。最後のページは「広島に新型爆弾が落ちたらしい」で終わっていますが、その日記を読んだ時に初めて父を知ったような気がしたんです。自分の人生で一番付き合いの長いのが両親ですが、では父や母が一体何を考えて生きてきたのか、何をしていたのかって全くと言って良いほど知らないんですね。たわいも無いことの羅列の日記でしたが、父も同じ人間なんだと思った。あの当時の父に会って話をしているような感覚を持ったんです。そして幼い頃から大嫌いだった父と心の中で和解もできたのがその日記のおかげでした。

で、私もそういうものを残したいと思いました。それがこのブログ。でもなんで公開するんだ?って事になりますが、面白いもので公開することによって続くってのがあるんですね。また普通ならブログには書かない自分の心の中を書くことによって、(ここを読んでいる昔からの)友人との繋がりも深くなったのは間違いが無いし、意見交換もできるし、子供もたまに読んでいるようで、「あのことに関してだけど・・」とこのブログがキッカケで息子たちと話が進むこともあるのでこれでよいと思っています。

これを書くキッカケは「ユキ」さんというこのブログの読者で、私がゴールドコーストに来る前の1980年代から日本とこちらを行ったり来たりしている方で、同じような趣味、考え方を持っていらっしゃいます(彼はいくつも事業を持つ資産家だという点は私と違う 笑)。そのユキさんがコメント欄に最近亡くなったカーレーサーだった式場壮吉氏のことを書かれました。そして式場氏のヨメさんがあの欧陽菲菲であったと。ユキさんは私より数年年上の方で、ちょっと時代がずれているのですが、ジジーという点だけは共通で、懐かしい話題がよく出てきます。

そしてそのコメントで、今、書こうと思うことを思い出したのです。このことはヨメさんにも息子たちにも話したことが無い内容。ブログにも書いたことは無いはず。

でも、私もかなり記憶があやふやになっているところもありますので、これを機会にここに書いておこうかと。

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欧陽菲菲が彼の奥さんだったのは彼の死去のニュースで知りました。意外でした。

欧陽菲菲って言えば「ラブイズオーバー」。あの曲は思い出の曲で、彼女が歌い出す前に私は歌っていて(ギターの伴奏)、「良い曲だね~、なんて曲?」とよく聞かれていたのを思い出します。

このことはブログに書いたことがあるかわかりませんが、自費でLPレコードを作ろうとしたことがります。「俺はもう終わりだ」と思う時期があって(29歳)、自分の青春、思いをそれにつぎ込んだ。「Everything must change」というサラボーンの大好きな歌から取ったLPの題名で、その歌はB面の一番最後。で、ラブイズオーバーはB面の1曲め。

全部で何曲だったか忘れましたが、A面の一曲目から「出会い」「恋」「幸せな時期」「変化」とストーリーが作ってあって、B面に入ると「破局」「混乱」「自己嫌悪」と続き、最後に「Everything must change」で「人生の諦め」というか「達観」とでもいうか。結局、世の中は「諸行無常」「すべてのものは変わる」みたいな。ただし、変わらないものがある、それは「Rain comes from the clouds, sun lights up the sky, and humming birds do fly・・・」みたいな。究極の孤独を感じていた頃でした。全てプロの(売れない)バンドマンに伴奏をお願いして、ちゃんとしたレコード会社でカラオケを録音しました。

これはNina Simone -ですが・・・

当時911に乗っていて、それは首都高で単独事故を起こして廃車。保険金は降りたものの金銭事情が悪くなったのも重なって、最後の最後で資金が足りずにLP制作は断念。これって市販はせずに、私と縁がある人に無料配布する予定でした。でも寄付は募っていて、10万円出してくれた友人もいた。

そしてそのLPの最後の最後に「まだ見ぬ子たちに・・・」という題名の私の遺言みたいなものも入れる予定でした(まだ独身)。これは文字を「音」に変えまして、FAXみたいなピーヒョロヒョロヒョロを入れました。普通の人には何が何だかわかりませんが、やろうと思えば文字に変換できるような細工です。「お前たちのお父さんの本当の姿はコレなんだよ」みたいな内容のメッセージです。そして「絶対に(私みたいに)人生を投げるな」と。

これで本当の自分は死んで、世間に流されて生きる(どうでも良い)人生が始まると本当に思っていて、私の墓標みたいなLPだったんです。でもどうしても「俺という人間がここにいた」という証拠を残したかったんです。この精神的落ち込みって酷くて、それが後に偏頭痛となって出てきました。これが半端じゃなくて仕事も出来ない、危なくて車の運転もできない。毎日家で強い薬を飲みながらボーッと生活するようになりました。

全部で12曲だったかなぁ。ラブイズオーバー以外は全部英語の曲でした。懐かしいです。

でもその後、ヨメさんと出会い、結婚し、子供も生まれて幸せを掴んで、あの当時の暗い気持ちはあれが最後となりました。きっと将来ああいう落ち込み方は絶対にしないと思います。ヨメと子供たちに会えたこと、これ以上の幸せって私にはなくて、彼らのために生きることができるだけで幸せ。私の人生は「有難う」で終わるのは確定しています。(笑)

ユキさんが話題を振ってくれて懐かしいことを思い出しました。有難うございます。

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このLPですが、全てをオーガナイズしてくれる知り合いのプロがいまして、彼がそれぞれのパートのスタジオミュージシャンを集めて、護国寺にあったレコード会社のスタジオでまずはカラオケだけ録音しました。それこそピアノ、ドラム、ギター、ベース、サックス、パーカッションとか7,8人来たはず。プロって凄いなぁと思ったのは、最初に楽譜を渡して簡単なブリーフィングをして、一回練習をしただけで次に録音なんですよ。嘘だろ?って思いました。

私も一緒に歌うのですが、私の歌は録音はせずに「私がどう歌いたいのか」を彼らに知らせるためだけなんですね。で、一発取りで終わる曲もありましたし、中には「ちょっとあのパートだけやり直させて~」なんてギターが言ったり。そのパートだけ別に録音するんですね。そして後に合成する。でも一曲まるまる取りなおしってのはありませんでした。ただ、スタート時に「これじゃ早過ぎる」とか私が注文をつけて変更したり、(怒られそうなのを覚悟しつつ)「ギターソロの部分はこんな感じにして欲しい」とか。

プロって本当に凄いと思いましたっけ。上手いなんてもんじゃないのね。でも全員、全く売れていない人たちばかり。録音は8時間ぐらい掛けて(多分)12曲録音したのですが、みなさんそれぞれは初対面。ドラムなんていちいち運んでくるわけで、当時「ボーイ」と呼ばれていたお付の人というかヘルパーも荷物運びで来るわけですよ。それなのに支払ったのは2万円以下。他のパートも日当1万円代でした。今から30年以上前ですが、大変な業界だなと思いましたっけ。

で、その後、そのカラオケで私は時間を掛けて練習し、全部をまとめて面倒を見てくれたプロ(彼はピアノ)と週に1回ぐらい、彼のスタジオで練習し、最後はまたスタジオに行って録音という段取りだったんです。その後、それをLPにプレスして・・と続くわけですが、私はジャケットの写真も考えていました。写真の状況としては、喫茶店のテーブルの上のタバコの灰皿には吸い殻がいっぱいになっていて、その横に空の紅茶のカップ(私はコーヒーは飲めない)。そして窓ガラスには雨の水滴。外側はぼんやりしていて見えない。私は全く写らない。そんな写真を考えていましたっけ。ま、「何かを待っている」図ですね。

このLP制作って結構大掛かりでお金も数百万円かかるわけです。LPの枚数自体は50枚と決めていましたが、売りませんので全て自費。でも寄付を募ったら「出す出す」と喜んでくれた友人が多くいて、中には10万円出してくれたのもいました。

でも私の仕事も傾いてきて、挙げ句の果ては高速道路で単独事故を起こして大好きだった車は廃車。保険金はおりたものの、私の金銭事情はかなり悪くなってしまって、結局そのLPづくりは休止し、そのまんま。

ま、なんでLPなんか作ろうかと思ったかですが、いろいろありまして、もう自分は終わりだなと思ったんです。この内情はやっぱりここには書けませんが(分かる人にはわかる 笑)、学生時代に起業してイケイケどんどんで前に進むことしか知らなかった私がかな~~り大きな挫折をしたんです。精神的にはもう完璧アウトって感じで、立ち上がれそうもありませんでした。だから夢も野望も捨て、普通に生きるしか無いと思ったんです。でも「俺という人間がここにいた」という証拠をどうしても残したかったんです。その思いをそのLPに託しました。

この時の精神的な落ち込みは半端じゃなくて、それが強度の偏頭痛として体に出てきました。右半分が痛くなるのですが、これが突然出てくるんです。まぁ、痛いの何の、経験がある人はわかると思いますが、顔は変形してきますし、目も見えなくなるんです。頭を抱えてのたうち回るほど痛くて、近くに尖ったものがあればそれで頭を突っつく、壁に頭をぶつけるとか、そんなふうになる。

当然、仕事なんかできないわけで、また自動車の運転がまるでダメなんです。目も見えなくなりますから、偏頭痛が出てくると車を路肩に止めて、それこそベソをかきながらその痛みが去っていくのを待つばかり。医者にもいろいろ行ったんですが、良くならず、また痛み止めの薬がかなり強力なんですね。それを飲むとラリっちゃう(笑)。でも痛みが消えていくわけでもなくて、薬漬けで毎日家でボーーッとするような生活をしていました。完全な廃人状態。仕事もない、収入もないんですからLP制作どころの話じゃない。でもこの病気がある限り再起は不能だと思ったんです。29歳でした。

でも人生って不思議なもので光が差してくることもあるんですね。ヨメさんと再会し、トントン拍子で結婚し、そして子供も出来た。不思議なもので、ヨメさんと再会してあの恐怖の偏頭痛もピタリと止まり、その後、今まで一度も出てきません。ヨメさんに私の命を救ってもらったようなものです。でも仕事もない私と良くヨメさんが結婚したと思う。(笑)

ま、それから紆余曲折がありながら私の復活劇が始まり、子供が3歳になるころ(下の子は妊娠中)、こいつらもこの日本で自分を殺し周りの目を気にしながら生きていくんだろうな、と思った時です。冗談じゃね~~、そんな人生を送るために子供が世に出てくるのは申し訳ないと思ったんです。よし、日本を出よう、と。そしてゴールドコーストに渡ってきた。でもこれもラッキーでした。自分の仕事や資産も綺麗に処分できたし、永住権もすぐ取れたし、どこかで歯車が一つ狂っただけでオーストラリア行きは「儚い夢」で終わったはず。

ま、オーストラリアに来たからって知り合いがいるわけでもないし、仕事があるわけでもないし、ゼロからのスタートでしたが、やっぱり若さですよね(38歳)。恐怖なんか全くありませんでした。今の私は「早期退職、海外移住なんか簡単に考えるな」といつも書いていますが、あの当時の私にそういうジジーがいたら「このジジーうるせぇなぁ」で終わったはず。(笑)

でもま、今になれば、夢の途中で挫折する人たちを多く見てきたし、生き残るって本当に難しくて、「早期退職~~~♪」「セミリタイア~~♫」なんて人は簡単に消えていくのがわかるんですよ。出だしは誰でも良いと思いますよ。「大海に船出をしたときの高揚感、満足感」がありますから。でもその後に、恐怖の連続が待っているんですね。これを生き抜く能力が果たして自分にあるのか(or資産はごっそりあるのか)、もしそれらを乗り切ったとしてもいつか必ず歳を取り働けなくなる時も来るんですね。大きな病気や怪我に遭遇するかもしれない。これは自分だけじゃなくて家族も同じ。そして年金は?他の収入は?預金は?老後をどう生きるのか?を考えると、普通に仕事をしていても真っ青なのに、海外に出て社会保障もゼロ、年金もないような状態だったら、それこそ日本国内にいる時の「2倍以上」は稼いで自分でどうにかしないと最後は野垂れ死ぬのは確定なんですね。あるいは何か起きても大丈夫な社会保障が厚い国へ渡り、当然、「好きなだけ滞在できる」「仕事も自由に出来る」【永住権】を絶対に手を入れないとならないんですね。年金も他の社会保障もない、永住権も無かったら「何か起きたら追い出される」んですから。

ま、話は飛びましたが、そんな「人生を投げた」時代が私にもあったということ。

今思うと残念なのは、そのLPのカラオケを私はカセットテープで持って、それを聞きつついつも練習していたわけですよ。でも後にオーストラリアに渡り、毎日の生活でドタバタして10年20年経つ内にそのカセットテープの存在も忘れ、そしてそれも今では見つからない。orz

それどころか、そのLPに入れる予定の曲名さえも全て思い出せません。

この日記はそのLPの備忘録でもありますので、どうにか思い出して書き足してでも過去を忘れないようにしたいと思っています。

曲名とともにその曲を出しますが、当然、私の好きなように、私に合うように編曲してもらいました。ただここに出した曲は編曲後の曲とかなり雰囲気は似ています。

アルバム名 「Everything must change」

A面
1 First time ever I saw your face

2 You are the sunshine of my life

3 I’ve got you under my skin

4 You’re the best thing that ever happened to me

5 Lately

6 Say it isn’t so もしかすると上のLatelyと順番が逆かも。

B面
7 ラブイズオーバー

(ここから悲しい歌が続くのですが、数曲しかなぜか思い出せません。それぞれ何十回も歌ったのに記憶から消そうとする力が働いているんですかね)

? ルージュ

10 I’m a fool to want you

11 Left alone

12 Everything must change この曲名をアルバム名にしました。日本語で言えば「諸行無常」ですかね。

ま、こんな感じの「恋物語仕立て」になっていますが、最後の2曲がそうであるように、人生そのものに落胆し、諦めた時代が私にあったということ。

でも将来を諦めて廃人同然だった私を救ってくれたのがヨメさんで、また子供たちがこの世に現れた。こんな自分でも人並みに親になれて、私を慕い、頼りにしてくれる存在があるのが私の生きがいになりました。

だから彼らの存在は私以上に大事で、何があっても最後まで守り切ると心に決めています。

仲が良いとか、相思相愛とか、惚気話とか、あるいは責任とかそういうのとは違う感覚を持っています。私にとっては彼らは神の存在と同じなんです。彼らがいなかったら私の存在もない。そして彼らがいる限り、また彼らと悠久の時の流れの中で出会い、同じ時を共有できたというだけで私は大満足で、今後何が起きてもあの若かった時のように落ち込むことはあり得ません。

私の人生の最後には彼らに「本当にありがとう。素晴らしい人生を送れた」と言おうと思っています。いつ死んでも悔いなし。

でもなぜかほとんど毎日、喧嘩、怒鳴り合い。なんなんですかねぇ。(笑)

今日ここに書いたことはヨメさんにも息子たちにも話したことは一切ありません。もちろん「私を救った」とか「神と同じ」なんてことは口が裂けても言えません。調子に乗って偉そうにされても困りますもんね~。(^_^)v

 
 
 

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29歳の時に人生を投げたことがあった&自費出版のレコード【備忘録】” への4件のコメント

  1. 初めてのコメントです。
    曲を全部聞きストーリーを感じました。まるで映画でも見ているようにそして自分の過去とも重なって。最後の方の絶望はあまりにも苦しくて涙が。。。。出来上がっていたら素晴らしいレコードになっていたでしょう。
    20代でこういう歌を歌っていたんですね、驚きました。

    • 誰にでも枕を濡らした経験があるはずで、そんなことを思い出すLPになったら良いなと思っていたんですが・・。いやいや、どうしてもこれを残したいという思いばっかりだったか。突き上げるような欲望ってこういうのかも。

      私は幼い頃からなぜか洋楽専門で、高校生の頃にはジャズを歌うようになったのですが、同じ趣向を持つ人とはとうとう出会うことがなく非常に寂しい思いをしてきました。もし良い仲間がいたら音楽の世界に入っていたかもしれません。

  2. dabo様
    おはようございます
    コメント読ませて 頂き 又 一杯飲みながら 聞かせて頂きました
    最近年取ったせいか 涙もろくて困ります

    小生もdaboさん 同様な年代に 色々な事がありました
    その全てを救ってくれたのが 家族です 九州女のカミサンと
    二人の子供でした 

    daboさん 同様 何があろうと 家族を守ります 
    周囲の人から 其処までやらなくもと 言われようと

    daboさんの家族に対する気持ち 考え方 全て同感です

    • ま、若い時は若いなり、ジジーになればジジーになったなりの考え方、生き方ってあるんでしょうね。

      家族には本当に感謝していますが、我が家はあんまりうまく行っていないんですよ。皆んな我儘ですから全くまとまらない。

      こればかりは何年たっても変わりません。(笑)

      それも俺の人生だと諦めるのも大事なのかもしれませんが、それだと「諦めない人」の意向で我が家が動くことになるのでそれも認められず。困ったもんです。

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