転載「幹になる言語のレベルに沿って他の言語のレベルが決まる」

私の友人でもあり、MM2Hのビザサポートをお願いしたペナン在住のリカさんという方がいます。

彼女がブログを持っているのはご存じの方が多いと思いますが、2月14日のエントリーの内容はヒジョ~~~~~~~~~~~~に素晴らしいと思いました。

幹になる言語のレベルに沿って他の言語のレベルが決まる  ← クリック

あまりにも大事な事が書いてあるので、大変失礼ですがこのブログに全部転記させてもらっちゃいます。もし万が一、彼女のブログのログが消えたなんてことになると「世界の損失」だと思いますから。(笑)

最近お友達と話していてとっても頭に残った話がありました。

語学力についてです。

なるほどなぁと思ったのは「幹になる言語のレベルに沿って他の言語のレベルが決まる」ということ。

うちの子ども達を見ているとこのこと、結構頷けます。

息子(15歳)は現在英語で授業する学校に行っています。ま、英語と言ってもマングリッシュですが。それは置いておいて、彼が日本語を話す時は時々言い方が分からず、私が分かる他の言語(マレー語のことが多いです)に置き換えて言いますが、日本語自体のレベルは割と高く、「そんな言い回しも知っているのか~」とわが子ながら驚くことが時々あります。

彼にとっての第四言語である日本語の表現力がそれだけあるということは、英語や中国語(小学校の6年間は中国語教育)、マレー語のほうが得意であろう彼の場合はそれらの語学力の心配はまずないということになるのかな?と思います。まぁ彼の場合は全部同時期に吸収しているので、ちょっと違うかもしれません。

むしろ、娘のケースがこれに当てはまりそうです。

娘(12歳)は小学校1年生から日本人学校で、今では日本語以外の言語は殆ど分からなくなってしまいました。それはそれで危機感があるのですが、日本語の語彙が少ないような気がするのが気になります。他の言語で授業をする学校に行かせてその言語を覚えるのは良いにしても、日本語が中途半端になりはしないかという危惧や、新しい言語で急に難しくなる授業内容に付いていけるのだろうかという不安もあるので、日本人学校の中学部へ進むことになりそうです。

英語やマレー語(特に英語ですが)は自主学習をしないとなぁと思います。こんな環境に住んでいるのに日本語しか分からないだなんて、シャレになりません。

でも、日本語のレベルが8だったとして、後から勉強する言葉のレベルが同レベルになることはあってもそれを上回ることって普通はないのかな?って思います。私達が中学に入って英語を勉強し始めた時も、「日本語では○○と言うのを英語では××と言う」という言葉の覚え方をしましたから、「日本語では○○」を知らない場合は「英語の××」も自分のものに出来ないような気がします。だって意味が分からないんですから。「英語で××という単語を習った。でも日本語訳の意味が分からない。」こういうことは稀だと思います。それが「幹になる言語のレベルに沿って他の言語のレベルが決まる」ということなんだと思います。

自分で表現したいことが表現できないもどかしさ。そういうことが第一言語であってはならないことだと思います。娘の話を聞いていると、何か言いたくてトライするのだけれどもその表現が分からずに最後は「もういいや!」と言うのを止めてしまうことがあるのです。この部分、息子と大きく違います。息子は他の言語(第一、第二、第三言語のどれか)で表現できるのです。

私、よく「すごいね~3ヶ国語もできるんだ?」と言われますが、「できる」ってどういうことなのか。言語で「できる」レベルっていうその基準は人によっていろいろで、私は日本語は「できる」ですが英語やマレー語は生活に困らない程度しかできないと思っています。英語やマレー語を理解しない人から見ると、私が日本語並みに英語やマレー語を喋れると勘違いなさるのかもしれません。

「教える者や周囲の語学力が教わる者に多大な影響を与える。」

学校選びって言葉の問題だけじゃありませんけれど、ウェイトは大きいと思います。
うちの息子はマレーシア人なので(日本人でもありますが)普通に公立のセカンダリーに行っていても構わないと思います。但し彼が将来をマレーシアで過ごすのなら、です。彼の話している英語を聞いて何度驚いたことか。「そんな言い方するんじゃないー!!」と。(汗)

ローカルの教師が教えているインターとは名ばかりの学校で話されている英語もそれとあまり変わりないと思います。

以前、某ローカルインター(と私は呼んでいます)に通う子が学校の同級生と思われる子と話しているのを耳にしたんですが、まるでマレーシア人が話している英語だったのにショックを受けました。その子、日本人なんです。

なので、いらっしゃるのなら入念な準備をなさるべきです。私の知っている方で、1~2年前にいらして学校でテストを受け、人気校ですのでウェイティングリストに名前を載せてもらっていたという方がいらっしゃいます。そうやって、ちゃんとどこででも通じる英語で、ネイティブの先生が授業をする学校に入れてあげて下さい。

そしてもちろん、手抜き授業をしない学校を選んで下さい。昨日の帰り、バスの中で娘と話したんですが、「今の先生(6年生の先生ですね)は見回りに来た時に分からない問題で困っているとやり方をちゃんと教えてくれるけど、×年生の時の先生は見回るだけで教えてくれなかった」と言っていたのが印象的でした。日本人学校でさえそんなです。プリントばかりやらせる授業をしたりという学校もあるようです。そんなこと、学校に行かなくてもできますよね。

ついでと言ってはなんですが、我が家の子どもたちにどうやって日本語を維持させたか書きます。あ、いや、維持じゃないですね。元々知らない言語なんですから。彼らにしてみれば日本語のほうが縁がない言語。

私の息子たちはオーストラリアに渡ってきた時は3歳と1歳でした。今では27歳と24歳。こちらで現地校に通い、それぞれ大学、大学院を出て、私が想像していたより順調にうまく育ってくれました。

日本語に関してはこのブログに書いてきたように、

○ 家では絶対に英語禁止
○ 子供の頃から見せるテレビ、ビデオ、書籍は全て日本語
○ ゲームも日本語
○ 土曜日だけの「日本語補習校」へ小1から中3まで通う
そして大事なのは
○ 日本大好き人間になるように誘導(洗脳)しました (笑)
○ 大好きな趣味を日本語でやらせる(簡単な日本語の情報は与えないのがポイント)

これによって、言わなくても自分で日本語をどんどん吸収していきましたし、普通に日本で育った子とほぼ同じ日本語ができます。書く方は奇しいですが(笑)、読むのは問題がありません。これは日本語をしっかり勉強したというより、日本語の環境の中で生活し、「学校と友達だけは英語圏」みたいな「留学」に近い育ち方をしました。

ですから幼稚園から現地の中にいるのに学校の英語は「中学卒業」まで苦労したようです。なんせ私が宿題なり論文なりの手助けをしていたぐらいですから。(笑)

でも高校になるとかなりレベルが上がりますから私にはどうしようもなく、彼らは自分だけで伸びていきました。日本語の補習校も宿題や漢字の書き取りなどもずーっと続けていましたので彼らの苦労は半端じゃなかったと思います。補習校は中学までですが、その後、古文を自ら学びましたし、「日本人として日本育ちに遅れるのを許せない気持ち」が彼らの中に育ったのは有りがたかった。「俺は海外育ちだからそんなことは知らなくて当然」というのは私も許しませんでしたから。

日本語補習校は低学年はごっそり人数がいますが、高学年になるとどんどん減って、ピラミッド型の人数構成比でした。また彼の友人たちも途中でやめて行く子が多かった。これは現地校の勉強だけでも大変なのと、補習校は土曜日であったが為に結構盛んな部外活動に支障もあったんですね。ですから私立の補習校へ行く子も多かった。

ただ、最近の補習校は以前とまるで違う様子で、どうも中学校でも小学校の教材(3年生の教科書と聞いたような・・・)を使うような事が起きているらしい。そしてハーフの子の率がかなり高い様で「補習校」の考え方がきっと違うのでしょう。かつては永住者だけではなくて駐在組の子女もいましたし、「日本には遅れないようにする」というのを学校も生徒も親もアタリマエのこととして考えていましたが、今はそうではないようです。

我が家の息子たちですが、たまにおかしな日本語の単語を使ったり、読み方を間違えたりしますし、「こたつ」って何?なんてことをいうことがありますから、決して完璧な日本語を習得したわけではありませんが、彼らと話をして「海外育ち」とは多分気がつかないだろうと思います。

彼らが英語で困った話は聞いたことがありませんし、大学、大学院にすんなり(でもないか 笑)進めたのは、リカさんが書いたとおり「日本語の基礎」があったからかもしれないと、今になって思います。でもそこまで当時の私は考えませんでした。ラッキーだったと思います。

でも今でもわからないのは「両方同時にレベルを上げることはできないのかどうか」です。どうなのか自分でいろいろ想像はできますが、それは想像でしか無いのでここには書きません。

ただ日本語に追いつくように伸びていった英語力ですが、いつどこかで逆転しているはずで、それがいつ、どの時期だったのかは私にはわかりません。多分、大学時代ではなかったのではないかと想像しています。大学では家を出て生活していましたし、ここで英語力が大きく伸びたのは間違いがなさそう。ですから「普通の留学生」に限りなく近いと思います。でも「小さい頃から英語には慣れていた」ってことでしょう。

で、今では英語のほうが得意の様です。でも「どちらが得意なんだ?」と聞いてみますと「うーん」と首を傾げていますが、どういう感覚なのかは私には理解できません。

息子たちは二人共、真の意味での「バイリンガル」ではないですが、「両刀使い」ではあると思います。仕事をする上で両方使いますが、敬語も相手によって使い分けることが出来ますし、不便はないようです。

子どもたちの友人の多くは同じように子供の頃からこちらで育っていますが、彼らの話を聞いていますと「日本語が主」です。でも一人でも日本語の苦手なのがいると英語だけで話をしていますし、逆に日本から来たばかりの友人が混ざっていると英語は使わなかったり、「こいつら何人だ?」みたいな感じです。

また長男と一緒に仕事をするにあたって、彼に勉強してもらわないとならないことがたくさんあるのですが、それを「何語でやったほうが良いんだ?」と聞いたことがあります。基礎は書籍から学ぶしかないのですが、日本語か英語がどちらが良いのか聞いてみたわけです。

すると彼の答えは「どちらでも良いよ」でした。専門用語が多く出てくるわけですから、日本語と英語とどちらかに決めたほうが良さそうですが、まぁ、学術的というほど難しいことをするわけではないですから、どちらでもどうにかなると思ったのでしょう。

私としても「どちらでも良い」のですが、というか、片方しかわからないってのはやっぱり情報収集するときに弊害がありますから、両方で進めて行くことにしています。

ま、そういう意味でも「両刀使い」としては問題がなさそうです。でもこれを「バイリンガル」と言っては駄目なんですね。子供がちょっと話せるだけとか、屋台のオヤジが何カ国語話せるから「バイリンガル」だとか「トリリンガル」だなんてのは、親の欲目か、周りのお世辞でしかなくて、そんな程度の言語は下手をすれば「どちらも使い道にならないレベル」だと考える必要があると思います。

もしガイドとか接客業ならそれで十分かもしれませんが、ビジネスの分野で求められる「バイリンガル」ってそういうレベルじゃないんですね。下手なことを言うと「恥をかきます」。

でも「両刀使い」レベルのニーズは高いわけで、やっぱり語学が苦手ってのはお話にならない時代になったと思います。ただそれも「少なくとも一つの言語は完璧」でないと仕事も出来ないんじゃないでしょうか。というか言葉は「出来て当たり前」ですから、それとは別のプロフェッション、つまり「専門性」が問われるわけで、言語が半端だとそもそもその専門性を得ることそのものに「支障がある」ということなのでしょう。もし適当な多言語がいくつか出来る程度で終わったら悲劇だと思います。

私はビジネス言語ってそんなに難しいとは思っていなくて、定型句が多いんですね。そして使う専門用語も決まっていますから、「一つの言語でしっかりわかっていれば大丈夫」だと思うんです。でもしっかりした言語がないと、そのレベルにも達せないということなんでしょう。

難しいのは「弁護士」とかじゃないでしょうかね。両方の言葉がまともにわからないとどちらかの言語でしかややこしい論理の組み立てはできないかもしれない。

そういう意味で、普通の人対人のコミュニケーションに関しては、それこそ小学生でもやっているわけですから、どうにでもなると私は思うわけで、「英語が大事だから留学だ」とか「海外で育てないと」と考える親は「どこかピントがぼけている」と私は思います。

海外で育てる良さは「言語を覚えるためではない」と思っています。

このことを細かく書くと今書いた以上の量になりますのでまたの機会にしますが、「マルチカルチャーの中で生き抜く力を育てる」なんてのもまるっきり的はずれだと思います。

そんなのは「個人の性格」によるもので、海外で育たないと外人たちとうまくやっていけないなんてことは「絶対にあり得ない」んですね。逆を言うと「海外育ちで外人嫌い」なんてのもいるのを忘れてはならないと思います。

親は誰でもトラウマとまではいかなくても欠点もあれば苦手なこともある。そして後悔もあれば「ああすればよかった」「こうすればよかった」「あんなふうにしたかった」なんてことが山のようにありますから、「それを原点に」子供の育て方を考える傾向が多いと思います。

でもそれも「的外れ」なんですね。親の夢、希望、想像でしかない。

これって海外ではなくて国内でも同じでしょ。自分が出来なかったことを子供にさせてやりたいなんて思う親は山のようにいますが、それでうまく行きますか?

ああああ、まだ子供が小さい人たちはこの辺のこともわからないかもですね。

ま、経験すると色々わかりますが、子供が大きくなってから「しまった」と思わないようにするにはどうしたら良いのか。

100年悩んでも答えなんか出ないでしょうが、「常に臨機応変に動ける状態を維持する」ことと、「今の自分はまちがえているかもしれない」と少なくとも「自分を疑うこと」をやめたらアウトだと思います。ましてやどこかの「お気楽な人たち」の話を聞いて「私も~~~~」なんて思ったら最悪です。

これって「ウチはお受験でうまく行って、XXX校に入れたから安心です」みたいなのと全く同じレベル。

 

 
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転載「幹になる言語のレベルに沿って他の言語のレベルが決まる」” への12件のコメント

  1. ダボさん、おはようございます。
    リカさんと、ダボさんのお話とても為になりました。
    私の今の英語の能力はダボさんは知ってると思います(笑)
    第一言語は勿論日本語です。
    中学、高校。短大(短大は語学系ですが、中退しました。)
    英語の授業が一度も楽しいと感じた事はありませんでした。
    中学時代に、初歩で躓いているのに(私だけ?)先生が、外国人気取り?
    で、突然大きな声になったり、身振りが必要以上におおげさだったり、
    とにかく、英語の時間が怖かったのを覚えています。
    あてられたらどうしよう。という不安からだと思います。
    それなりに塾にも通いましたが、全く身に付かず。

    私が英語に興味を持つ様になったのは、インターネットを通して、音楽サイトを知り、
    ダボさんと知り合って、ジャズを好きになった事からです。
    どこの誰が書いているのか分からないと思いますので書きますが、
    現代国語は高校で5を取った事があります。
    でも多分英語は2を取った事があると思います。恥ずかしいですね~~~~~~。
    これって、私のせいだけでは無いんじゃないかと思うんです。
    理数系の好きな人、日本に居ても、英語の出来る人は居ましたが、それを自由に操って
    話す事が出来る人は周りには居ませんでした。
    多分、英語の教師も含めて。

    何冊かそういう書物も読みました。これという物に出会えましたが、
    やはり、自らをそういう英語など話す環境に置くと言う事。ダボさんの息子さん達が
    猛勉された様に、毎日の英語の学習を怠らない。

    う~~~~ん。出来るかな?では駄目なんですね。
    私、お嫁に行くより、英語が話せるようになりたいです(笑)
    日常英会話だけでも分かるように、使えるようになりたいです。
    あの世に行くまではそうなりたいです(笑)

    • 結局ですね、必要がなければ英語にかぎらず覚えられないんですね。また覚えたとしてもすぐ忘れる。これの繰り返しが起きているんじゃないでしょうか。

      また英語の勉強も本当はしていないのかもです。英語を覚えたい、英語ができたらよいなぁと考える時間が80%で、実際に勉強する時間は20%とか。でも本人は「本気で頑張ってるつもり」だったりなんてことない?

      本気でやるなら目先の小さな目標を決めて、それをコツコツとクリアしていくしかないでしょう。あっちに手を出し、こっちも気になるなんてやっても駄目ですよ~。

  2. 我が家も(ほぼ)日本語のみの生活で、子供が幼いころは私が日本語を使って現地の学校の勉強をみていました。

    言語習得能力が高めだった上の子は小学校に入る頃には学校の先生のお話だけで全教科を理解出来ましたが、下の子は4年生ぐらいまで日本語で手助けした覚えがあります。(特に算数、理科、社会科)子供が年齢相応に日本語が出来ていて、現地の学校の学習内容を私の日本語による説明で理解出来たことが、下の子が落ちこぼれにならなくて済んだ大きな要因ではないかと分析しています。(というか、このヤマを越えて私の助けが必要なくなったとたんに成績が急上昇したのです。これには正直驚きました。)

    このようにして、二人ともいつの間にか現地の学校で使っている言語のほうが日本語より強くなりました。しかし、そうなっても不思議なことに、兄弟の間では学校の生活用語を一切使わず、ずっと日本語のままで来ました。(以前読んだ本に書いてあった説と違う!なぜ?)
    「学校では友達と中国語で話しているんでしょ?なぜ二人で話す時に中国語で話さないの?」と尋ねたことがありますが、「そんなのヘン、気持ち悪いよ~!」と。(笑)おそらく、ここまで来ると一生このままなんだと思われます。

    もちろん、日本語で文章を書くことや敬語の使い方等は誠にあやしいですが、外国人としての日本語能力としては二人とも上出来の部類(上の子は最上級レベル、下の子はその次のレベル)まで行っていることが最近確認できました。この日本語の下地が、どれほど現地の学校の勉強に役に立っている(た)のかはナゾですが、上の子いわく、「日本語と北京語と広東語はスラスラと言葉が出てくる。」「自分が言いたいことをその言葉で何というのかと考えて言葉に詰まった経験がない。」「自分の母語はこの3つのうちのどれだか本当に分からない」んだそうです。(あくまでも”話し言葉”としてです)

    だからと言って、それぞれの言葉がその言語のみを使用する人たちの最高レベルではないことは十分承知しています。なので、我が子も完璧なマルチリンガルではありません。

    上の子の場合、特にどの言葉が本当の「幹」になっているのかわからなくなっていますが、とにかく高等教育における学術的内容を理解するまでに言語能力が伸ばせたのは確かだと思っています。小学校は”母語のひとつの”中国語での勉強、中高は”母語でない”マレー語と理数系科目は英語での勉強、、、と来て、今は”母語ではない”英語で専門的な勉強をしていますが、言葉がわからなくて困るようなことは全くないそうです。(というか、成績優秀者の部類)
    下の子もこのようになってくれることを願っているところです。

    • こびたさんの「経験」は本当に良い情報だと思います。日記の本文でも使わせてくださいね。(笑)

      同時に多言語を学ぶって自分では経験がないのでさっぱりわかりませんが、頭のなかでは一体何が起きているんでしょうね。きっと学術的にはかなり解明されているのかもしれませんからいつか調べてみようとは思っています。何かヒントがありそうです。

      お子さん同士で喋るときは日本語って面白いですね。我が家の息子たちもそうですが、理由はわからず。ただ「そういうもんだ」と思い込んでいるだけかもですね。でもそこに「日本人の自覚」を私は感じることが出来て嬉しいです。

      知り合いの子どもたちには兄弟同士でも日本語(習得すべき言語の意味)は使わないのがいくらでもいます。私はなぜそれを親が許すのか不思議で仕方がありません。おとなになってからは良いにしても、小さい時にそれを許したらアウトだと思っています。子供同士で過ごす時間が一番長く、彼らにとっては一番「真剣な時間」(笑)のはずですから。

      こびたさん、子育てにかぎらず自分が経験したことのないことは、他人の経験を見て学ぶしか無いと思うのですが、こびたさんは事前にどういうことに注意していたのか、どういう人達を見て何を感じた、得たのか、そんな話もぜひ聞かせてください。

      私の場合は、海外育ちの子どもたちを徹底的に観察し、その親の育て方を見、良いと思ったところは徹底的に真似をして、危ないところは真似しない、改善方法を「自分のこととして考えてみる」でやってきました。だからある意味、簡単でした。(笑)

      これってマーケティングの手法と同じなんですよね。自分一人で想像を巡らせても大ハズレが普通。(笑)

      • 私の場合は、マレーシア人の落ちこぼれ率の高さが気になって、どうしてそうなるのかを探りました。一生懸命勉強している(らしい)子でさえ落ちこぼれている現実、この原因はなんだろう?と。

        そして分かったのは、そもそもマレーシア人はいろいろな言葉は話せるが各言語の能力にかなりのばらつきがあるため、親が子供が多言語で学んでいる学習内容をほとんど把握しきれないケースが多く、ただ単に学校のテストの点数を見て一喜一憂している家庭が大多数であることです。そして、ダボさんも「バナーナー」のお話でおっしゃっていたように、話せるようになれればもうこの先は安泰と考える親御さんが実に多いのです。ところがどっこい、そうは問屋が卸さないんでよね。

        なので、私はいくら上の子が学校の授業は全部わかって帰ってきていると思っても、小学校高学年までは本当に分かっているのかをいちいち質問したり、問題集の一部分をやらせたりしてチェックしていました。(理解していないかもしれないと予想したもののみ)この作業は、自分が受けた教育内容と違うものを日本語以外で自分自身が勉強してからでないと出来ないことなので、こういうことに私はずいぶん時間を費やしましたが、私にとって有意義なものだったと思います。おかげで、マレーシアの幼稚園児並だった私の中国語は小学卒業程度までになりました。お金もかけずに語学学習が出来て成果も出たので一挙両得でした。
        中学に進んでからはもう大丈夫であろうと判断したのと、もう私の学習能力では追いつかなくなったので、これは止めにしましたが。

        • なるほど。

          しかし、そんなに落ちこぼれが多いんですか?マレーの現地校のことですよね?で、落ちこぼれた子はインターに行く?

          こびたさんがいつか書いた、親が子供の教科書を見たのか、勉強を教えようと思ったのか忘れましたが、「こんなことは習ったこともない。自分には全くわからない。」と親がびっくりしたって話。あれが印象的でした。

          そもそもマレー系の親の平均的な学歴というか、どの程度の教育を受けてどんなレベルなのか気になりました。

          日本ですと、今の親の世代はもちろん偏差値だ、受験だと苦労した世代なわけですが、マレーシアの親の時代ってどんなだったんでしょう。のんびりととりあえず学校に行ったみたいな人たちなのかなぁ。教育レベルはかなり低いとか?

          今の子供達こそが初めて競争にさらされている世代とか?

          インターでのんびり育った子どもたちはどうなるんでしょうか。

          そういえば、私の子どもたちがまだ小さいころ、友人の日本人で「子供は元気に育ってくれればそれで十分」なんて余裕をかましていたのがいたのですが、中学生ぐらいになった時に突然「勉強だ~」と言い出して、かなりの有名校に転校させたのがいましたっけ。結果的にオーストラリアのトップ3の大学に行きましたが、あのまま「丈夫にすくすくと・・」なんて言っていたらどうなったのか。

          事実とは異なるかもしれないとは思うのですが、マレーシアに子供を連れて渡った日本人たちは「マレーシアを選んだ」というより「マレーシアに逃げた」という感じを受けるんですよ。

          でもマレーシアは多分欧米的で日本以上に競争社会で、日本人の親が考えていたような社会じゃないと思うし、そこでのんびり育てて、最終的にどうなるのかそれが気になります。

          もし大学は欧米系の大学に進ませると考えているとしたら、のんびり育った子がどうにかなるような世界じゃないのを知って驚愕するんじゃないですかね。

          その時は少子化で入学が簡単になっている日本に帰るなんてことになったら「また逃げる」のと同じことで笑い話になっちゃいますね。

          • 私はマレー系の方々との交流は殆ど無いので、詳しいことはわかりかねますが、少なくとも公立校に通わせれば、勉強の根っこは母語のマレー語で出来るわけですから、私の周りにいる自分の母語ではないマレー語教育に翻弄されている中国系とは状況が違って来るとは思います。

            マレー系でお勉強が出来ないというのは、日本で(日本語ができるのに)お勉強が出来ない子がいるのと同じこと。非マレー系でお勉強が出来ないのは、本当は出来る子だったのに学習言語能力がそこまで達しなかったためにダメになるケースが多々含まれ、それがマレーシア全体の落ちこぼれ率の高さにつながっているのではないかと推察します。

            そして、マレー系というか正確にはブミプトラの方ですが、その方々の優等生は、小学校の統一試験の結果で中学からボーディングスクールや、そうでなくてもマレー系を中心とした優秀生を集める学校に「隔離」されるケースが多いので、詳しい全体像が面になかなか出てこないです。

            チャイニーズやインド系はそういう学校に基本的に入れないので、”普通の学校”の中で優秀生が集まる中学校を目指します。もちろん、こうした学校に入って来る優秀なマレー系の生徒さんも少なからずいます。中国語教育を受けたあと、そのまま中学もチャイニーズの多い学校に残るマレー系のお子さんもいるので、我が子からそういうお子さんの様子の報告はあります。
            当然ですが、できる子はかなり優秀で、統一試験において母語でない中国語でさえも、ヘタなチャイニーズより良い成績を取るのだそうです。そういうお子さんは、もちろん、他の科目も素晴らしい成績をおさめるとのことです。不利なものを克服できるということは、そうでないものは言わずもがな、、、というわけですね。

            これが、チャイニーズは真逆のパターンで、中学でマレー語で勉強する科目全てが不利なはずのに、ものすごく頑張っていい成績を取ってしまうんです。当然、途中で落ちこぼれなかった子のみに可能なことですが、その頑張りがハンパではないのです。

            なんだか、ダボさんが少々民族的なこと?を誤解されているような気がして、マレー系の優秀な方は別世界にいることが多いということを言おうとして書き始めたのですが、どうも話がまとまらなくなってしまいました。この話はここまでにしておきますね。

            そして、落ちこぼれたらインターということはないと思います。
            裕福で教育熱心なローカルのご家庭の方がお子さんをインターへと考えるのは、マレーシアのカリキュラムで勉強してマレー語で回り道するより、最初から英語での学習が効果的という考えからだと思われます。一般的なローカル家庭では、公立校で落ちこぼれても、大抵はそのまま「おとなしく座っていればその学校は卒業できる=ただし、国家資格としての卒業資格はない」に甘んじて、いるケースがほとんどです。

            それに、仮に公立校で上手く行かなくてインターへ、、、というケースであっても、いくら成績が芳しくないとはいえ、ある程度英語ができていてこそインターへ入学させようとするのが普通の考えなので、(大変失礼ながら)、英語ゼロで他国から来る人たちよりは、はるかにきちんとしていると思います。なので、本当に箸にも棒にもかからないようなローカルの落ちこぼれの子はインターにはいないんじゃないかな?と想像します。

            一般のマレーシア人がインターナショナルスクールに入学できなかった時代は、ローカルカリキュラムで授業を行いながら英語教育に力を入れている私立校が、裕福で教育熱心な方の間で人気がありました。その当時はそういう学校には入学試験である一定の成績をおさめないと入学許可は貰えませんでした。主人の友人のお子さんは、やっとのことでそういう学校に入学を果たしたのですが、一年生の途中で「英語がこんなに出来ないなら転校してください。」と事実上の退学勧告をもらい、公立校に移ったそうです。これは、将来、海外のレベルの高い大学を目指すお子さんが多く通う学校での出来事です。今のだれでも入れてしまうインターナショナルスクールとは全く別世界ですね。

            • うーむ、現地の人達の話になるとややこしいですね。

              3回読んでも頭に入らない。 (笑)

              親のレベルが気になったのは何故かと言うと、実は今はオーストラリアは教育熱心で教育がひとつの産業みたいになっていますが、ついこの間までは半端じゃなく大学進学率が低かったんです。

              前にもブログに書きましたが、私がビジネスを持っている頃、オージーのスタッフが「名刺に大卒であることを入れてくれ」と言うんです。びっくりしましたが、10数年前までは大卒はエリートでした。

              大学に行かないのが普通ってことは高校でどういう勉強をするかは大体想像が付くわけで、かつてはなかなか良いスタッフが見つからなかったのもそこに理由があると思っています。

              当然、イギリスの流れがありますし凄い連中は凄くて伝統も中身もある超有名校はいくらでもあるわけです。でもそういうところの卒業生とは一般生活の中で出会うことはありませんでした。

              そういう意味で、マレーシアってどうなのかと思ったわけです。日本でも中卒の集団就職時代もあって、決して皆が高等教育を受けたわけじゃありませんから。まして発展途上国となると教育レベルの高い人の%は少ないはず。これは東南アジアはどこでも同じですよね。

              親自身が学業での競争を経験していないと、子供には頑張れというしかなく、ボクシングのセコンドみたいに細かい助言はできませんよね。

              ま、学業の話ばかりになってもしょうがないのですが、「学校はどうでも良い」という日本人の親は少数派だと思いますので気になっています。私の息子もマレーシアに連れて行きますし、息子の彼女がマレーとのハーフでもありますので、いろいろ考えています。

              • ダボさんぐらいの年代の方のマレーシアの教育は英語学校(英語で教える学校)のレベルは今より相当高かったと聞いていますよ。まだ、植民地の名残が強かったので、英語ももっときっちりしていて、教科書も英国のものと同等の内容をそのまま教えていたようです。
                ただ、その頃は、まだまだマレーシアは貧しく、特に女子に大学教育など不要という雰囲気だったと聞いています。そもそも大学が国立大学のみで数も少なかったので、その時代の人たちで国内の大学に行けたのは、Form6まで進んだで優秀な成績を取った人の中でも限られた人たちだと聞いています。その当時から裕福な家庭の人たちはもちろん海外留学をしていましたし、飛び抜けて成績優秀な人はお金に余裕がなくとも奨学金を得て海外留学という人達もいましたが、こういうケースはかなり少なかったと思われます。

                ですから、その年代の方の学歴は、おそらくダボさんがおっしゃっている一昔前のオーストラリアに似たような感じだと思います。

                マレーシアで私立大学(ユニバーシティ)が認可されたのはごく最近のことで、それまでは私立の高等教育機関はカレッジのみでした。それもそれほどの歴史はないので、ホンの少し前は、大卒といえば国立大学卒業者か海外の大学卒業者のみでしたから、大卒と言えばそれだけでエリートと見なされていたようです。

                今がちょうど、日本でのダボさんの時代ぐらいの大学進学率なのではないかと思います。

                ダボさんがお知りなりたいことのお答えになっているかどうか分かりませんが、マレーシアの学歴事情はこんな感じです。

                • 一般の人達がどういう感じかというのを知りたいんです。

                  トップクラスはどの国でも凄いわけですからそれは横に置いといて、普通どこにでもいる子供を持つオジサンオバサン連中がどんな子供時代を過ごした人たちなのか。

                  私は1953年生まれですが、やっぱり進学じゃ塾じゃ受験じゃと忙しいのが普通でしたが、海外のその時代がどうだったのかというのはまるでわかりません。特に東南アジアとなりますとさっぱりですし。

                  そういう時代を経験した親、経験してない親って子供の育て方も違うと私は考えていて、マレーシアがどういう変化を経てきたのかに興味があります。

                  またそれも都会と地方とはまるで違うのでしょうし、一概には言えないと思いますが。

                  • お知りになりたいことがわかりました!

                    それは、もう日本の戦前に近い状況かも知れません。まだまだ貧富の差が激しかったせいだと思いますが、小学校さえマトモに修了していない人が、うちの子供の親世代でも今だにチラホラいるほどです。私が直接知っているだけでも3人そういう人がいますが、自分の名前を書くのがやっと、マトモに読み書きもできません。いくらなんでも、そういう人は義理の母の代で終わっているかと思っていたので、そういう現実を知った時には大変驚きました。

                    まあ、これは極端な例ですが、普通に学校に通わせてもらっていた場合でも、まだまだのんびりしていたようです。塾などもなく、学校の授業を聞いているだけで出来るようになる子だけが、ホンモノの優等生になって行った時代です。(かつての日本でも同じですよね?)中学3年までで終わる人も結構いましたし、中5で終わるのが一般的。(日本でいう高卒)大学進学予備課程である中6(Form6)まで進んでもその学歴で終わる人が大勢いました。(勉強が出来る人でも大学進学しない人が多かった)

                    いつから、こんなに「塾だ!家庭教師だ!」になったのかはよく分かりませんが、国民全体の生活レベルが上がり、同時に私立大学が増えてきて、(莫大な お金のかかる)海外留学をしなくても勉強さえ頑張れば大学進学のチャンスがあるようになったことも大いに関係がある思います。

                    なので、今のマレーシア、おそらくダボさんが想像していらっしゃる通りの状況だと思いますよ。親の世代は、のんびり過ごしていたくせに、子供には「勉強せい!勉強せい!」
                    うちの子いわく、「夜遅いから早く寝なさい。そんなに勉強しなくていいよ、時間のムダ!」な~んて言う親はうちのママだけ、、、だそうです。
                    友達の多くは、のび太くんみたいに机に向かって勉強しているフリをしているらしい?(笑)

                    • なるほど。

                      自分がしたことがないこと、できないことを子供に強要するって非常にうまくないことだけれど、それが起きてるんでしょうね。

                      中国もそうですが、子どもたちが可哀想。

                      でも勝ち残った子どもたちは強くなるでしょうね~~。日本のひ弱な子どもとはかなり違うかも。

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