自分はただのロングステイヤーだったと確信した

私達家族はオーストラリアに永住者として渡ってきました。いわゆる「移民」です。いつかはオーストラリアの土となると考えていたわけですが、歳を取れば取るほど「日本に対する郷愁」が強くなるし、オーストラリアは自分にとっては20年以上経っても「外国」でしかないと感じます。自分はやっぱり日本人だし、日本のことが一番好きだし、世界の将来を考えるときに気になるのは「日本」であって「オーストラリア」ではありません。

人それぞれ考え方も感じ方も違うし、「どうあるべきか」なんてことは「自分の問題」でしかなくて、家族の中でも違いがあります。ヨメさんは世界で一番好きな場所はゴールドコーストでここから離れたくないと常に言いますし、3歳、1歳の時にオーストラリアに一緒に渡った子どもたちは「ゴールドコーストが故郷」だと言います。

なんだか「オーストラリア人になりつつある日本人に囲まれた日本人」が私みたいな感じ。(笑)

これはこれでなんの問題があるわけでもなく自分の好きなように生きればよいのですが、これからマレーシアに移ろうと決めてからは「オーストラリアと自分」って何だったのだろうと考えることが良くあります。

そこで出てくる答えは「自分はロングステイヤーでしかなかった」ってこと。

ロングステイヤーの定義がどうなっているのか私には詳しいことはわかりませんが、私の中では「ロングステイヤーとは旅行者の延長線上にある状態で、海外に短期長期に関わらずそこに住んでいても、主体は母国にある」という風に考えています。

日本に住んでいた時には、当然日本のこと、地域、地方、コミュニティのことが気になりその中で生きていくわけですが、これが「住む」あるいは「その地で生きる」ということだと思うのです。日本にいた時に、オーストラリアは今どうなっているんだろう、アメリカは?ドイツは?イギリスは?韓国は?なんて考えませんでした。考えたにしても「世界は、外国はどうなっているんだろう」という興味でしかなくて、「自分が生きる場所」としての興味、あるいは心配事でもなんでもない。ただ、外国の情勢が「自分が住んでいる日本」にどういう影響があるのかが気になるだけ。どの国、どの都市の例えば犯罪率が増加しても「XXXXはやだね~」と思うだけで、所詮対岸の火事。

でもそれが普通だと思うんですよ。外国は外国でしかなくて自国ではない。他人の家と自分の家との違いがあるのと同じ。

ではオーストラリアに住んでいる自分は?と考えると、「日本に住んでいる日本人と全く同じ」であることに気がつくんです。私にとっての自国は日本であってオーストラリアではないし、事故や事件、政治にしても気になるのは日本のこと。オーストラリアのことが気にならないってことではなくて、比べた場合、私にとっては日本が80でオーストラリアは20ぐらいの差があります。

これってまさに観光客、あるいはそれに毛が生えただけのロングステイヤー(長期旅行者)ってことですね。

なんで今日、こんなことを書こうかと思ったのかですが、「オーストラリアにも慰安婦像を設置する」と言い出したあの問題が発端です。

オーストラリアに住んでいなければこれもまたアメリカのグレンデール市の慰安婦像と同じで、「しょうもないなぁ~」と思うだけでしょうし、自らの問題としては考えないのが普通。

ところがオーストラリアに住んでいる私もそういう「他人ごと」に感じていたんです。自分からそれに関して「何かしよう」とは思いませんでしたし。

ところがですね、この問題を「自分の問題」として立ち上がった日本人たちが大勢オーストラリアにはいたんですね。そして彼らの努力によって、シドニー近郊のストラスフィールド市の慰安婦像設置を阻止した。快挙だと思います。

彼らの行動、お互いの連携、主張を今になって知り、「ああ、これがその地に生きるってこと」なんだなと思ったわけです。

オーストラリア在住の日本人がこの運動にすべて参加すべきとは全く思いませんが、このブログでも日本がどうじゃ、韓国、中国がどうじゃといろいろ書いている「保守系」の私が何もしないっておかしいんじゃない?と思うわけです。まさに口先だけの人間であるのを「自分ではっきり自覚」させられてしまった事件だったわけです。言うだけの「評論家気取り」であって、自ら動く「実践者」ではなかったということ。

こういう生き方って私が一番嫌う生き方で、仕事でも遊びでもなんでも同じだと思うんですよ。「実行しないのなら何も考えていないのと同じ」だと私は思う。

このブログの読者って多種多様で、多分「趣味系」の人が一番多いかもしれません。その次に多いのは「マレーシアに興味がある系」。オーストラリアに興味のある人はかなりマイナーのはず。私もオーストラリア、ゴールドコーストに関して多くを書きませんし、でもそれは「書かない」と決めているわけではなくて、もう20年以上も居ると「すべてが普通の日常」になって気になるようなこと、書こうと思うことってそうそうないんですね。

これはアタリマエのことだと私は思ってて、マレーシアにしても「マレーシア~~~」と盛り上がる人はまだそういう情熱が残っている人、あるいはこれから行こうと思う人ぐらいなもんで、20年もそこに住んでいれば「書くネタ」さえ思いつかないんじゃないでしょうか。ゴールドコーストに来る前、私達は東京に住んでいましたが、「私は東京に住んでいます」というブログを書こうとも思わなかったし(当時はブログなるものは存在しませんでしたがパソコン通信(ネット環境)はあった)、そもそも「東京に住んでいて何を書いたら良いのか」さえもわかりませんし、「誰がそんなことに興味をもつのか」とも思うわけです。

これはきっとこのブログの読者も同じで、「今自分が住んでいる場所に関すること」を書きたいと思う人って「かなり変わっている人」じゃないんでしょうか。あるいは地方の活性化とか地域の振興、観光客の誘致に興味がある人ぐらいか。

でもその地に自分も引っ越しして住みたいと思う人にとっては、「この場所ではこんなことが起きている」とか「こういう店がある」「こんな生活をしている」という情報は有用だし、自分も引っ越しする前にはそういう情報を探したわけですから、それを書くのは良いことだと思います。私だってマレーシア関連の情報収集に関しては今でも続けていますし、またゴールドコーストに来る前にそういう情報があったら「隅から隅まで」読んだはず。

でも今日感じたことは、そういう(海外だろうと国内だろうと)引っ越しをする場合、誰でもが経験することとは違うものを感じたわけです。つまり「引っ越しをしたあと」のこと。その地に「生きて」「根を下ろして」毎日を過ごすようになれば、当然その地の住人としての義務なり約束事、あるいは暗黙の了解などがあるわけで、コミュニティーへの参加にしても、世界中のどこででもすべての人達はそうやって生きている。アタリマエのことですよね。

でもそのアタリマエのことをしないのは「旅行者」であり、それに毛が生えた「ロングステイヤー」だと私は思うわけで、実は自分自身がそれであったのを今回のことで痛感したわけです。地域やその国、コミュニティに関わって行動しない。それどころか興味も持たないというのがいかに「住人として異常」であるか。

でもしっかりその地に根を張って生きている日本人も間違いなく居る。今回の「オーストラリアでの慰安婦設置」に関して声を上げ、立ち上がった人たちには本当に頭がさがる思いがします。内容を調べていくと、日本人だけじゃなくてそれに賛同し協力するオーストラリア人、あるいは他の国の人たちもいて、この問題を自分たちの問題として受け止め、行動している人達がいる。素晴らしいと思いました。頭が下がる思いがします。

私としては「同じ移民」でも、「意識はまるで違う」ことに気が付かされましたし、自分の正体もはっきりわかりましたので、「オーストラリアにお礼」を言いつつ自分のあるべき状態に向けて進んでいこうと思います。つまり「生まれ故郷」で「一番好きな国」へ帰って、日本人として生きること。

でもその前にマレーシアにちょっとだけ寄り道。(笑)

とは言うものの、人生の終わりに向かって自分がどう生きるべきかなんてのはまだまるで見えていません。かと言って「楽しく」「面白おかしく」人生を謳歌しようなんて気は全くなし。逆に、今まで好き勝手にやってきたし最初にご褒美をもらっちゃったようなもんですから、世の中に「借り」をどう返していくか考えないとならないと思っています。

そういう意味でも「オーストラリアにとっての自分」ってなんだったのかという点もしっかり考えるべきだと思うんです。今までは「自分にとってのオーストラリア」という観点の発想しかありませんでしたから。オーストラリアにはどれだけお礼をしても足りない恩義を感じています。これは日本に関しても同じで、「私は外国に住んでいるのだから」という言い訳が常に自分の中にはあって、「日本の問題を自分の問題として見ない」傾向が間違いなくあったはず。

結局、私は「日本」にも「オーストラリア」にも住んでいなかったってことなんですね。39歳の時に日本を出ましたが、そこで時間が止まったままの様です。その後はご都合主義の自己中そのもので、今まで「良い所どり」をして生きてきただけ。こういう生き方に「ずるさ」を私は感じるのです。ずーっと無責任に遊んで生きていただけの様な・・・・・・・・

 

 
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自分はただのロングステイヤーだったと確信した” への2件のコメント

  1. ペナン在住の鈴木と申します。もうペナンは9年目になります。その前はミャンマー、広州と通算海外生活は16年になります。全くの個人滞在で無聊をかこちながら一人で暮らしてきました。
    以前私が勤めていた小さな会社役員が定年後憧れであったニュージーランドへ退職金を叩いて移住を目論見ましたが1年有余後日本へ舞い戻ったと聞きました。日本という国は自然災害の宝庫で欧米から見れば全土立ち入り禁止区域に指定されてもおかしくない環境ですが日本人の日本への愛着は非常に強く伝書鳩のように必ずと言っていいほど日本に舞い戻ってきます。海外とは日本人にとって冷やかし半分で物見遊山する一夜の夢的存在かもしれません。奥様はゴールドコーストがとても気にいっているようですが思うに日本女性にとって欧米は永遠の夢見る青い鳥だし多くの欧米男性は日本女性をチヤホヤしてくれるしまた過酷な男女差別が残る日本から離れることは幸せかもしれません。反面男性は欧米社会では尊敬されるものではなくむしろアジアの方が居心地がいいかもしれません。奥様としてみればアジアと言えば3K(キツイ、汚い、危険)のイメージが有るし格落ち、転落のイメージを持つのではないでしょうか。
    ご意見の中で自分が日本人であることをオーストラリアで再発見、益々その思いが強まると述べておられますがよくわかります。しからば海外生活は冷やかし半分そして一時の生活体験でもいいのではないでしょうか。奥様や子供のことを考慮しない、蚊帳の外とすればの話ですが。
    アメリカ人はMovingと称してトレーラーで一生の間転々と各地を移動するのが珍しくないと聞きますがアメリカ人らしいと思います。何より変化を好むのでしょう。
    書きたいことは一杯ありますが今日はこの辺で失礼します。

    • 歳を取るとそういう傾向が強くなるんでしょうね。

      ロス在住の知人に聞いた話ですが、日系人がごっそりいるロスの老人ホームでの話。日本を離れて何十年、アメリカ人と結婚して年老いた日本人老婆が老人ホームでは日本語しか話さないと言うんです。英語も、自分がアメリカに居ることさえわからなくなっていると。

      この自分の奥深くに染み付いたものって変わることがないのか、またそれをどこまで大事にするべきかというのが今の私には良くわからないところです。

      逆に、前の日記に書きましたが、シアトル生まれの日系二世である叔父は若い頃にはジャップと蔑まれ挙句の果ては日本人強制収容所に入れられ、でも戦後アメリカ軍人となり日本に駐留し、叔母と知り合って結婚、そのまま日本に居着いたわけですが、彼の最後は日本の老人ホームでフィリピン人看護師に囲まれ、自分は大好きなハワイに居ると信じ幸せに過ごした。

      ま、「骨を埋むる何ぞ期せん墳墓の地 人間到る處青山有り」ということなんでしょうが、田舎に住む遠い親類たちは「海外に出る」なんてことは全く想像もしない世界でその地に皆が根を下ろし、そしてその地で死んでいく。こういう当たり前のことに「素晴らしさ」を感じてしまいます。

      性格的に「農耕民族」と「狩猟民族」の差ってあるのかもしれませんが、自分はかなり「濃い」「農耕民族」なんだろうと最近思うようになりました。(笑)

      しかし、「旅の恥はかき捨て」なんてことは考えたこともありませんが、結局、自分の海外生活とはそれにかなり近かったような気がします。根っこが生えていると錯覚していただけで、ただの長期旅行者と同じだったと思います。

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