街頭演説を聴いて思うこと

今回の解散は私もなぜ?と思いましたが、いろいろ考えていくと「大義がない」どころかここははっきり国民の審判を受けるべきだと思うようになりました。それは「消費税を増税しないこと」に関して。

一般庶民として見れば「増税をしないのは嬉しい」し、経済環境を冷静に見ても「増税はしない」のが順当だろうと思うわけです。でもそういう市民の目から見た政治と、国という大きなくくりの中での政治は違うと感じます。つまり、「増税せよ」という勢力が圧倒的に多い。

これは前回の5%から8%への増税もそうでしたが、増税派ばかりでしたよね。メディアも経済界、全てがそちらへ向いていた。でも本当に増税が必要かどうかという根本的な議論が十分になされたようには私には見えておらず、そして「増税すれば税収が増える」という馬鹿な話がまかり通っていて、借金の多い日本政府にはそれが必要だと多くの国民も考えていた、というか乗せられたように感じます。

商店の「利益が少ないから値上げしよう」というのと同じで、それで利益が上がるわけが無いところを指摘する声はかき消された。

今でもその流れはあるわけで、増税しろという声はかなりある。でも言っていることは前と同じで、「税収が足りない」「世界に見放される」「国の信用が・・」「国債がうられ・・・」と私には「本当かよ?」と思う論理が横行している。

これの背後にあるのは何かと言えば、私は財務省だと思うわけで、お金の出入りを握っているこの財務省の力は半端ではない。これは中国共産党の権力と似たようなものがあると私は思うわけで、これに逆らうことは不可能に近い。でも国民から見ると政治家も閣僚も官僚も全てひっくるめて「国」であって、「国の中での力関係」は見えてこない。

だから「増税は見送る」と安部さんが一言言えばそれで済むんじゃ無いかと簡単に考えてしまう。私が解散を聞いたときに「え?」と思ったのはまさにそれ。

でもこの選挙は私としては「財務省との戦い」に見えるんです。与党と野党の戦いでは無くて、与党の内部、野党の内部でも「財務省派」は少なくない。だから今回の選挙で今の政治を「国民はイエスと言った」という確証が必要なのだろうと思うに至りました。そしてそれは今後の「財務省改革」にも繋がっていくわけで、「何が何でも増税を是」とする役人(財務省の中では増税できれば評価されるとのこと)、「予算の割り振りで国をコントロール」しようとする役人、役所を変えていく第一歩のように感じます。

これって以前からトライはするもののことごとく失敗に終わった主導権を政治家が取るということであり、政治家は国民に選ばれるわけですから、「国民主権」をはっきりさせるための選挙にも思えてくるわけで、「大義が無い」どころの話じゃ無いと思います。

また700億円の経費も無駄だ無駄だと言いますが、そのくせ「さらなる財政出動」と願う人もいるのはおかしなもんで、この700億円は「公共事業」と同じ性質を持っていることを忘れるべきじゃ無いと思うんです。誰か特定の人たちの懐に入る700億円じゃないわけですから。

でもそれをうまい具合にすり替えて、この700億円があれば「あれもできる。これもできる」と言い出す。ま、この辺は「財政出動」がどうあるべきかの議論であって、国民が「無駄遣いだ」と簡単に考えてしまうように誘導するべきでは無いと思っています。

そんなことを考えながら、私としては結構好きな民主党の細野豪志の街頭演説を聴きました。

私はそもそも「市民派」の考え方は「国を滅ぼす可能性がある」と考えるタイプで、国は国民のために存在するものの「国民の我が儘」を聞いてはいけないと思っています。つまり私には「市民派の主張」は「我が儘」に聞こえると言うこと。

私だって「国民の生活向上が目標」と言われればその通りだと思いますが、国民にとって良い話というのは、どこか他にしわ寄せが行く、また国民が乗っている船そのものが沈没する可能性が増えるかもしれないとも感じます。うまい話には乗るなというのはここでも同じだろうと。

確かに言っていることは素晴らしい。市民が市民の立場だけを考えれば、細野氏の言うことは理想として正しいと思います。でも問題はそれで国が富むのかどうかという点。私が感じる「市民派」の多くは自分たちの権利に対しては非常に敏感で、それを死守しようとする傾向がある。これは大事なことだと思うけれど、そればかりに固執しては今の時代、大丈夫か?と思うわけです。

原発稼働問題も同じで、あんなものない方が良いに決まっていますが、本当に動かさなくても大丈夫なの?という点はしっかり議論するべきだと思っていて、「恐怖」「不安」を煽るだけの戦法を私は認めたくありません。

細野氏が言う、1億円以上の資産を持つ国民より、中間層を増やさなければならないなんてのは100人に聞けば100人がその通りと思うはず。でも中間層を増やすとはどういうことなのか、かつて合理化の嵐の前の時代を思い出せばわかるように、多くの無駄、非効率が生じるのは間違いが無い。かといって、バサバサ簡単に労働者を切り捨てたり、非正規社員がますます増えるような方向性は良くないのは当たり前だけれど、でも世界はそういうふうに動いている非常事態だとしたら、受け入れなくてはならない部分も多くある。

かといって、国籍があるのかないのかわからないようなグローバル企業がどんどん儲かるようなシステムって非常にうまくないはずで、国民もその辺はうまくだまされているように感じます。私は「インターナショナル化」というのは非常に大事で、明治維新の日本が狙ったのはまさにそれで、インターナショナルの基本には「ナショナル」がある。確固とした「自分の国」があって他国との関係を築くのが重要で、「ナショナル」をなくしてしまって「世界は一つ」みたいなグローバル化が良いとはどうしても思えないのです。だから「グローバル化」は素晴らしいと声を上げる人たちは「ちょっと危ない人」「頭の周りにチョウチョが飛んでる人」に見えます。

自分の家と隣の家にははっきりした境があってしかるべきで、その境を無くしてしまってみんなで共同生活しましょうと言っているのと同じ。

数年前ですが、日本で就職難が言われている頃、日本の昔からの友人と話す機会がありまして、まぁ年が年ですから企業でもそこそこの地位にいるわけですが、「本当に人って余っているのか?」と聞きましたところ、「とんでもない。人材不足で大変だ」という答え。

私は自分の耳を疑いましたが、結局これが現実なのではなかろうかと。つまり、昔のように小学校の頃から一生懸命勉強し、塾にも通って良い大学を出て、さて就職となったときに、かつてのように「是非我が社に」というレベルに至っていないってことだと思うのです。要求されるものがどんどん変わっている。

これってオーストラリアとかアメリカもそうだと思いますが、「何も知らない学校出たての新人」は「金の卵」どころか「使えないヤツ」でしかなく、就職戦線では「能力と経験」がものをいう。でも日本人的感覚では昨日まで学生だった子に「能力と経験」を求めるのは不可能だと思います。でもそれが現実ですから就職に危機感を持っている学生は、学生時代に「能力をアピールする」方法を考えるわけで、大学時代は青春を謳歌して・・・(私の時代はそれ)みたいなことはなく、企業の中に潜り込んでインターシップを経験したり、勉強の中でも企業と繋がるようにするわけで、息子の友人に「インターシップをやるために1年休学した」というのがいると聞いてびっくりしたくらい。

結局ですね、例としては悪いですが、かつて「集団就職」というのがありました。中学を卒業して何も知らない子供達が都会に出て「労働力の下支え」をした。でも彼らの能力とはいかなるものであったのか。ここに注目するべきであって、今の機械化、IT化、専門化が進んだ時代にマッチする人材を今の教育界は送り出させる状態に無いってことなんだろうと思うわけです。そして学生達も今のニーズを受け入れるのを本能的に拒否しているようにさえ感じます。

これは新人に限らず、30歳、40歳、50歳でも同じで、「どうして自分が必要とされないのか」を受け止めるのは簡単では無いと思います。でもニーズは変化している。

これを政治のせいにして、中間層が増えるようにしなくてはならないというのは、私には無責任な理想論者にしか見えないのです。

それと同じことを憲法9条、集団的自衛権、特定秘密保護法などにも感じるわけで、理想論を言いたいのはわかるけれど、それで現在の世界の動きにマッチできるのかどうか。

でもその動きを止めようとする「市民派」は、私には改革変革を望まない「保守」に見えて来ます。面白いですねぇ。

でも「権利を守る」動きって絶対に必要で、私は安部支持派ですが、安部さんのやっていることが全て良いどころか問題はかなりあると思っています。でも安部さんしかいないじゃないかというのが私の本音。

経済的に日本がどうなるのかが一番大事なのかもしれませんが、私が安部氏を支持するのは、戦後続いた「骨抜きにされた日本」を「普通の国にしよう」としているのを感じるからです。でもこれに反発する勢力は半端ではなくて、中国韓国はもちろんのこと、アメリカもそれを受け入れようとはしない。世界にとっては「お人好しで、脅かすとすぐ金をだし、ヘラヘラしている日本の存在が一番良い」はずで、まさに戦後GHQが狙ったとおりの日本のまま。ここで政治的にも思想的にも日本が台頭してくるのは他の国にとって邪魔でしかない。だから「このままでいいじゃないか」と考える国民も多く、そして政治家の大半もそう。自民党もそう。

「なぜアメリカの言うことばかり聞くのか」と怒る国民は多いけれど、では「日本が自分の意見を言えるようになる」ためにはどうするべきかは考えない。これって、「一生懸命働くのは嫌だけれど、金はくれ」というのと全く同じで、ただの我が儘にしか私には聞こえない。

そもそも大国の言うことを聞く聞かないなんていう話のレベルが低すぎるわけであって、本来なら他の国をどうコントロールするか考えるのが外交のはず。でも日本人って「他国をコントロールする」なんてことは一切考えないのね。慰安婦問題も同じ。日本人はいつも受け身で被害者意識だけを持って「コントロールされている」という点にしか頭が回らない。そういう点では北朝鮮のずーずーしさを見習った方が良いと思うくらいです。

日本は「平和ぼけ」しているという点に賛同する人は多いと思いますが、実はその「平和ぼけ」って「ボケの中の一つ」でしかなくて、日本は戦後「とんでもない大ボケ」が進行したまま放置されていると感じる私。

戦前の日本が良いと言っているんじゃありません。でも明治維新から続いた「世界に見せた日本人の気骨」はいつのまにか消えていったと感じるのです。日本は「ヤルタ会談」「ポツダム宣言」で断定された「日本は極悪非道のならず者国家」という概念を平気で受け入れている不思議な国。だから世界中の国とニコニコお手て繋いで仲良くしましょうという平和主義者面したオッチョコチョイまで出てくる始末。

でもそれこそが素直と言って良いのかどうかわからりませんが日本人らしいのかと思ったり。今思えば、日本改造計画を持ったGHQの計画立案者ってどこまで日本を知り尽くしていたのかと感心するくらいです。でもマッカーサーもここまでうまく行くとは思わなかったって苦笑いしているんじゃ無いでしょうかね。 (笑)

 

 
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