自分の心の中を書くということ

(毎日幸せに生きている人はこの日記を読む必要がありませんので、飛ばしてください)

私のブログって変わっているとまた昔からの友人に言われました。どうしてそこまで心の中をブログにさらけ出せるのかって。

まぁ、そう言われるとその通りなんですが、私としてはこれも「常識に対する反抗」みたいなものがあって(常識とは私にとっては長年苦しめられた大敵)、特に日本人特有の「いい顔をする」「隠す」「主張しない」「適当な話でお茶を濁す」みたいな【無言の圧力】を自分の中から排除したいんです。でもそれにどっぷり浸かっている友人からすると「変人」に見えるようで、また私が排除したいと思うものは「他人に対する配慮として必要なもの」でもあるという。

これって私を「暗に批判」していることにもなるわけで、私は「読み手の気持ちを考えていない」ということ。ま、それもそう言われてしまうとその通りなのかもしれなくて、隠すべきところをほじくり返すみたいな性格があるのは確か。

ただ深層にあるものを見つけたい願望を抑えることができないわけで、まぁ、気分が悪くなる人にはごめんなさいと思うと共に、申し訳ないけれど、ここはそういうブログなので、読み手の「読まない権利」を是非お使い下さいとしか言い様がありません。

他人様がどう思うかは別にして、自分自身でも「ここまで書くかぁ?」と思うことはしょっちゅうあって、でも誰しもがそうであるのと同じで「絶対に書けないこと」も山のようにあります。ただこういう書き方をするようになってから、自分がよく見えるようになったのは確か。自分の中で整理がつくんですね。そして問題点が浮かんでくる。いつも書いている通り、このブログは情報発信のブログではないし、「私の日記」であるからしてそれで良いと思っています。

自分のことは自分が一番知っているなんてのは、私は大嘘だと昔から思っていて、いい加減でわけわからんのが自分自身だと思っています。これって自分の財布の中に一体いくら入っているのかわからないのと同じで(笑)、「いくら入っているはず」という信じこみだけで生きているんですね。人間って本当に面白いと思います。

でも自分の正体を自分が知ってしまうと生きていけないのかな、みたいな気もするんです。自分を愛し、自分を肯定し、俺って結構凄いじゃん?みたいな感覚がないと生きていけないのかも。たとえそれが錯覚だとしてもそれも「本能」の現れであろうと。

小さい頃から内向的で自己否定ばかりして生きてきた私ですが、昔はそんな自分が自分でもイヤですし、変だと思っていました。これは私が育った環境が大いに関係していると思っていて、否定されることが当たり前の育ち方をした人たちは似たようなものがあるのを感じます(60を過ぎてもそれを引きずるって面白いですね)。そしてその究極的解決方法は自分を消滅させることしか無いなんて結論に達するのも、もしかして普通の筋書き通りなのかもしれなくて、私もそんなことを考え続けた時期があったのですが、ある事件が切っ掛けで一瞬にして変わりました。

高校時代のその事件のことはこんな私でもここに書くことはできないし、ヨメサンや子供たちにも話せないことなんですが、人間って一瞬にして変われるというのを体験しました。昨日と今日とまるで別人。それに一番驚いたのは2歳離れた姉で、あんたいったいどうしちゃったの?と何度も私に言っていましたっけ。

私が気がついたことは「ものは考えよう」だということ。それだけです。簡単なんてもんじゃない。でも何かにしがみついているとそれが出来ないってことなんでしょうね。でも私はその時それをやっと解き放つ事が出来ました。世界が薔薇色に見えたなんてことはありませんが(笑)、世界に色を付けるのは自分だと言う単純なことに気がついて、それを頭じゃなくて精神的に理解できたんです。人間って全ての人がサングラスを掛けて生きているのと同じで、私は自分のサングラスの色を替えれば良いんだという単純なことに気がついた。そしてサングラスを取り替えることが出来た。それだけのこと。

それからは自分のことを社会のゴミだなんて考えることも無くなって、また時々そのサングラスを他の色に変えて世界を見る面白さにも気がついて、逆に図々しく積極的になりました。それどころか長い内向的で自虐的だった時代に培われた技術ってのが実はあって、社会に出るとそれが実に有効に使えるのもわかってきた。この技術ってなんなのかは同じような生き方をした人にはすぐわかるはずなんですが、この技術を持っている人は決して多くないのね。これが私の今でも続くメシの種になっているから面白いと思います。

なんでまた今日もこんなことを書いているのかというと、前に書いたように、このブログにはログの解析機能(グーグルが提供するもの)がついていまして、どれだけの人がどんなことに興味があってこのブログを読んでいるかがそこそこ分かるようになっています。その統計的なものと、リアルタイムではどんな検索語句で飛んできて、どのページを読んでいるのかも(全部ではありませんが)わかるようになっています。

それを時々チェックするわけですが、それを見ていて気がつくことがあるんです。これに関して書くのは今日が初めてですが、「世の中には悩んでいる人が多くいる」というのがわかる。ま、当たり前のことなんですが、このブログは人生に悩む人が読みに来るブログじゃないわけです。でもそういう人がチラホラいるのがわかる。

私がたまに書く死生観みたいなページがその読者の検索語句でヒットするんでしょうが、検索語句を見ていると「そんな語句でネットの中を検索するほど追い詰められているのか」って感じることが決して少なくないんです。

それを見つけると、自分もそんな生き方をしていた長い時期があるわけですから他人ごとには思えません。かと言ってこちらからその人に話しかけることも出来ませんし、そんなこともあって「こちらから話しかける機能もついている」ブログのチャット機能に興味が出たわけです。(使う気はありませんのでご安心を。 笑)

もしそんな方がこのページを見たら是非覚えておいてください。あなたは決して孤独ではないし、あなたのことを心配して見つめている人間がここにいるってこと。そしてあなたが思いつめていることは決して無駄じゃなくて、それによってあなたにしか持てない人生の武器になる特殊技術を育成している過程かもしれないってこと。

 

 
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自分の心の中を書くということ” への2件のコメント

  1. 日本だと、言わない、主張しないなどなどが通用しますが、海外で、自分の力で戦い抜く、となれば、日本と同じ事やってるわけにもいきませんからねー。言わない、主張しない、は他人の意見全てを受け入れる事になりますし。自分はそんな人生イヤですね。
    もちろん相手の事も考えますが、自分の人生、主人公は自分です。親兄弟の事は一番に考えますが、血も繋がってないアカの他人が一番じゃありません。

    • 私としては「主張しない」「言わない」というのが「他人を思う気持ちだ」というのは大嘘だと思っています。

      それって「自分が災難に巻きこまれたくない」という村社会の中で学んだ自己防衛本能に基づいていると私は断言したい。相手じゃなくて自分を大事にしているだけですね。知らん顔していれば関係ないというのと同じ。

      若いころに友人と良く論争になった例があるんですよ。例えばですが「目の不自由な人が道路を歩いている。そのすぐ先には工事中でポッカリ空いたマンホールの穴。ところがその目の不自由な人にはそれが見えない。それにあなたが気がついたらどうするか?」

      「危ないですよ。目の前に穴が空いています。」というのが普通だけれど「何を馬鹿なことを言っているんですが、私はいつもここを歩いていて、つい先程も何の問題もなかった。からかうのもいい加減にしてください」という答えが返ってくるかもしれない。

      さて、そういう返事だったらどうするか?って話。

      ○ 好きにしろと放置
      ○ その人にタックルしてでも穴に落ちないようにする
      ○ 穴に落ちてから助ける (笑)

      いろいろ想定できますが、これと同じことが身の回りではいつも起きていますよね。でも現実的には自分がどこまで関わるのかの判断は難しい。

      例えが悪くてピントがずれちゃっていますが、言うべき時、黙るべき時の判断は簡単じゃないのは同じだと思います。

      海外でニコニコする日本的行為は、実は「馬鹿にされる」ということを知るべきですよね。当然無視される。居てもいなくても関係ないのですから。もしそこで「主張」して、それで「論争」になったとしてもそれを「良いこと」と考える思考が日本人には完全に欠落していると思います。

      「論争」とは喧嘩、殺し合いと同じ意味。「討論」でもそう感じる人が少なくないのは本当にどこかネジが外れていると思います。 (笑)

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