日本はどこへ向いているのか

ジジーになるともう自分がこれからどうなるかより、子どもや子孫のことが気になるし、やっぱり日本の将来が心配。

今の日本はうまく行ってるのか?

全体の大きな数字で見るとうまく行っているように見えるけれど、どうも違う方向へ行っているような気がします。

日経平均が上がれば良いのか?まぁ、経済的にはそれが言えるのだろうし日本が駄目なら日経平均は上がらないはず。

こんなのを見ていると頑張れ!とは思うのだけれど・・・

2014-06-22_00h58_53

安倍さんって二面性があると思っていて、一つは彼が昔から持っている理想の部分。まぁ保守派が彼に期待するのはそれなんだけれど、でも経済政策を見ると真逆に感じることのほうが多いはず。新自由主義というか新古典派だし、市場原理主義者なのは間違いがなさそう。それを考えるとすぐ頭に浮かんでくるのが、昔から話す時にニヤニヤ話すあの男。そう竹中平蔵。彼の影響が強いというより、ああいう考え方が主流になっているんだろうけれど、私は昔から彼の理屈がすんなり入ってこないんですよ。

彼の言う通りにすれば「日本」は良くなるんでしょう。でも彼がいう「日本」とは何なのかがはっきり見えてこないのね。国を形作るのはその国に住む国民のはずなんだけれど、彼の考える「国」は「日本という入れ物」のような気がするんですよ。国民は二の次。

つまり「日本」という家の数字の辻褄が合っていれば良いというように聞こえるのね。例えば最近話題になる移民政策もそう。人口が減るのはあらゆる意味で問題があるのはわかるけれど、ではそれを移民でカバーするって本末転倒じゃないかと思うんです。極論を言えば、日本人がいなくなっても「日本に住む人が増えれば良い」。日本というくくりで数字が合えば良いという考え方でしょ。

彼の頭のなかはアメリカ的なものが支配していると私は感じるのだけれど、日本という国がアメリカのような移民の国になっても全くそれで良いと考えているフシがある。また、移民政策で新たな問題が起きているヨーロッパのようになっても「入れ物としての日本」の数字がよくなれば良いと考えている。

でも我々国民が望んでいるのはそんなことじゃなくて、日本は日本人の国であって、どこかのバカの「日本は日本人だけのものじゃない」なんていう考え方は異常だし、この日本が日本人の手によって前進し、日本人にとって素晴らしい国になるのが第一目標のはず。でも竹中氏の考え方にはそれを感じないわけです。日本をただの入れ物のような言い方をする。

でもそれが手っ取り早いってことなんでしょう。最近、出生率は上がっているとの報道でびっくりしたのだけれど、本来はやっぱりそういう方向に全力を投入するべきだし、また年寄りが海外に逃げるように出て行く風潮も変。若者は内向きというけれど、もしかしたら彼らは「日本人としての最後の抵抗」をしているのかもしれないなんて気もしてきます。もし若者が外向きで、韓国みたいに国民の70%以上が海外に出たいというような国になったら恐ろしいと思うわけです。どうしたら良いのかまだ見えないけれど、日本で頑張りたいと考える若者を決して非難することはできないし、どんどん海外に出て行くジジババや若者がこのブログの読者には多いけれど、それが良いことだとは決して言えないと思っています。

ま、海外に出る人もいろいろで、自分の中に「日本」を持っている人もいれば、簡単にそれを捨てる人、あるいは捨てることになる危険性を感じていない人、流れに乗るしかない人、日本だなんだと言っている余裕のない人もいるわけで、ひとまとめに話すことは不可能だけれど、私は今の自分があるのは「日本のおかげ」であると思っていまして、もし日本以外の国に生まれたら随分違う人生だったと思うし、それは子どもたちの世代も同じだと思うんですよ。自分の力で今の自分の生活を勝ち取ったと思うのは錯覚でしか無い。

だから母なる日本にはどうにか頑張ってもらいたいのだけれど、どうも指導者は我々国民のことを考えているようには思えない。

鄧小平の「豊かに成れるものから豊かになれ」という政策と今の日本は全く同じだと思うのだけれど、その言葉には「先に豊かになれる人が豊かになり、豊かになった人は他の人も豊かになれるように助ける」という前提があったはず。でも今の中国がそうであるとは到底思えないわけで、そもそもそういう綺麗事が通用するのかどうか。

これは日本も全く同じで、安倍さんの基本も鄧小平と同じ。確かに大企業が全く儲けも出ない状態で日本が、日本国民が豊かに成れるのかといえばそういうことは無いと思うのだけれど、企業優先の考え方が露骨で、国民はしらけているんじゃないでしょうかね。

トリクルダウン理論というのでしょうか。まさに鄧小平もそれを狙ったわけですが、「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透(トリクルダウン)する」ってのは理想論でしか無く、そんなように世の中ができているとは思えないんですよ。じゃぁ共産党が言うように、大企業の内部留保を吐き出させろなんて言ってもそうはいかないでしょうが、やっぱり富ますのであればそのターゲットをきっちり狙わない限りそこに富は流れていかないのが世の中。これは親族どころか兄弟家族でさえも、富の分配は大きな力が作用しない限りうまくいかないと思うんですよ。

つまり、ダメな奴でも自分で立ち上がれ、それが出来なければ死ねという、まぁ、当たり前って言えば当たり前の大宇宙のお約束事なんでしょうが、駄目なやつは切り捨てて、生き残ったやつばかりで乾杯出来ればそれで良いってほど人間って非情に出来ていないはず。でももちろん頑張らない人もいるわけで、じゃぁ、切り捨ててよいかというと私はそれも違うと思うんですよ。

頑張ってもどうにもならないのが人生で、結果が出ないのはお前のせいってわけにもいかない。また頑張れない人たちもいるわけで、それが身体的理由だろうと精神的理由だろうと出来ない人たちもそれなりに生きれる世界が望ましいと思います。かつての日本ってそういう国で、大企業なら窓際族にも食わせる力があって当然という風潮もあった。植木等の歌じゃないけれど、グータラサラリーマンも結構いて、それでもみんなが食えていた時代があった。私としてはあの当時、どうしてそれが出来たのか、それを今だからこそ振り返ってみる必要があるんじゃないかと思っています。単に右肩上がりで日本が成長したからということではなくて、世界に類を見ない2000年以上の歴史を持つ日本が、法律とか約束事ではなく、皆で作り上げた素晴らしいコンセンサスがあったからだと思っています。でもそれが壊され続けている。

例えば談合だとか天下りなんてのは悪の権化みたいな風潮ですが、私はあれは日本人の知恵だと思っていまして、アメリカ的な合理性一辺倒では世界は弱肉強食の殺し合いを助長するばかりだと思っています。でもそれじゃ競争に勝てないというのは負け犬の理論であって、競争に勝ちつつ内部は豊かに保っている国や企業はいくらでもある。まぁ、昔からの談合や天下りがこれからの時代に復活すべきとは思っていませんが、それらは排除するべきものじゃなくて、現代の日本にあった形に進化するべきものだと思っています。

ああ、これに関しては「日本の養殖業界」を見てみるとそこにヒントがあると思っています。電気関係で韓国に負けたのも、世界トップ技術を持っている日本の養殖業界が世界的には完全に負けているのも同じ理由だと思います。和牛も同じ。

何を甘っちょろいことをと思うでしょうが、オーストラリアって国を一度しっかり見てもらいたいです。図体ばかりでかい小国だったのが力をつけて来ましたが、ではそこに国民の犠牲があったのかというと、私は無いと言って良いぐらいに思っています。どうしてこの国って一生懸命働こうと思わない国民がゴマンといるのに、これで経済が成り立つのか本当に不思議。なおかつ社会保障は分厚い。

息子たちが中学生の頃、学校で「日本には莫大な金がある。でもオーストラリアには地下に莫大な資産をもつ中央銀行がある」と習ったと聞きましたが、やっぱり国力を計る時に、資源というのは大きな要素なんでしょう。でも日本にはそれがない。だから贅沢や理想論を言っている余裕はないのだというのもわかる。かと言って今の日本が国民の望む方向へ向かない理由にはならず、日本の弱肉強食がすさまじい嵐のように私には感じます。

特に若い世代が可哀想で、またその中でも女性が酷い状態だというのをNHKスペシャルを見て痛感しました。数年前に年収200万以下の時代がくるぞという友人の弁に、なことはないだろうと思っていたのですが、今は200万以下どころの話じゃないのね。そしてこれは一部の人たちの問題には思えませんでした。

NHKスペシャル 女性たちの貧困 14 04 27

ここをクリックすると動画が見れます  ← クリック

NHKスペシャルといえば、見て考えさせられたのがこれ。「資源は足りるのか」という放送。

NHKスペシャル 資源は足りるのか – 14 05 24

ここをクリックすると動画が見れます。 ← クリック

世界に資源は足りているのか。発展の素晴らしいインドですが、もしインド人全てがアメリカ人と同じような生活を始めると世界の石油資源は10年で枯渇するとのこと。これって冗談じゃなくて、東南アジアもアフリカも、そして中国もまだまだ伸びようとしている今の時代、エネルギー獲得合戦が激化するのは間違いがないし、その根源には「もっと豊かになりたい」という全ての人間がそう望むことを誰も止められない現実がある。

これを突き詰めれば、仲間同士の連帯はあったにしろ、皆が等しく幸せに・・・なんていうのは理想論の中の理想論でしか無く、獲得戦争に負ければその国は間違いなく衰退するのでしょう。

もしかしたら原発もそういう観点で考えるべきかもしれず、前は地獄、後ろは絶壁。さてどこへ行くべきかという選択を日本人は迫られているのかもしれませんね。何も食べずに餓死するのか、それとも毒饅頭でも食って命をつなげるのか。

これは日本の問題じゃなくて世界の問題で、日本だけでどうこうしようとしても無理な話。それでも世界に反原発を訴えていく必要があると考える人は多いのでしょうが、これは軍備の話と全く同じで、皆で軍備縮小をするのなら良いけれど、自分だけ軍備縮小したら自殺行為になる。でももちろんそれを世界に訴えていくべきで、あのアメリカでさえそうしているわけだけれど、じゃぁ本当に縮小するかどうかは周りの様子を見ながらするしかなくて、言っていることとやっていることが逆になることは往々にしてあるし、しかたのない事だと私は考えます。

私は人間の限界ってあると思っていて、理想論が世界を動かすとは全く思えないのです。でももしそれをやるとするならば、自分が世界の征服者になるしかない。またその征服は完全なる征服である必要があって、99%が同意しても他の1%が反旗を翻せばそれだけで世界は滅亡する。

つまり、私は世界は滅亡に向かって邁進しているとしか思えないのですが、それが生命の根源だと言えると思っています。大きく花開いたらあとは滅びていく。この摂理を人類が乗り越えられるのかどうか。それに挑戦するのは大事ですが、決して理想論を今の何百倍の大きさで世界に叫ぼうと世界は変わらないのははっきりしていると思っています。

ではどうするのか。そんなことは私にはわからないわけで、自分の周りに飛ぶハエをどうするか忙しいだけで人類の将来まで考え行動することはできず。つまり私みたいな考え方ばかりだと人類の滅亡は間違いなく起きるってことなんでしょうね(笑)。

でも、エコだと言って、買い物袋を使わずに、それでいて年に何度も飛行機に平気で乗るような脳天気な連中の話をまともに聞こうとも思えないのです。

ただ考えることは、身の回りの人たちとの共存共栄の方法を模索することぐらいか・・・・・。

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