我が家の子供達が小さいころ

このブログの読者の方に、「子供が小さかった頃の話を聞かせて欲しい」と言われていたのを忘れていました。すいません。

まず、我々がゴールドコーストに来た時、長男は3歳、次男は1歳でしたので、二人共日本での教育は一切受けていませんし、まだ近所の子供達と遊ぶという歳でもなかったので、「社会」の経験もありません。ゴールドコーストの周りが外人だらけの社会が彼らにとっての初めての社会。

ただ丁度その頃、日本人が幼稚園をはじめましたので、そこに入園しました。しかし、経営が日本人ということだけで、園児のほとんどは地元の子供達。日本人は何%ぐらいいたかなぁ。でもそれなりにいまして、その家族との付き合いがその後10年20年と続きました。みんな同じような環境でしたから。またその幼稚園が地元の他の幼稚園と比べてどう違うのかは、他の幼稚園を知らない私達にはなんとも言いようがありませんが、経営者の日本人がほんとうに真剣に教育や子どもたちのことを考えている人なのはすぐにわかり、その幼稚園に子どもたちを預けるのに何の心配もありませんでしたし、安心して任せていました。

今でも目に浮かぶのは、長男も次男も初めて幼稚園に行った日のこと。大声で泣きながら、私達に帰らないで欲しい、連れて帰って欲しいと訴えていた姿が忘れられません。親と離れて知らない人たちの中に置いて行かれるのを初めて経験した彼らがどんな気持ちだったのかは、きっと我々が想像する以上の辛さ、驚きがあったろうと思います。でもそれでもバイバイと手を振る彼らが愛おしかったし、今でも想い出すと胸がキュンとしてきます。

でも面白いもんで、その初日も終わって迎えに行った時には先生にも友達にも打ち解けて、嬉しそうに遊んでいましたっけ。明日もまた来ていいの?と聞きさえしなかったものの、また来るのを楽しみにしているのは伝わってきました。私はホッとしましたっけ。実は私は小さい頃から学校嫌いで、60年近く前の(笑)初めての幼稚園で泣いたこと、悲しかったこと、二度と来たくなかったことを今でも思い出します。それから二十歳すぎまで学校が楽しいと思ったことは一度もありませんでしたから、子どもたちの楽しそうな姿はすごく嬉しかったです。

私のことを書いてもしょうがないのですが、子育ての基本として、私は子どもたちが自分のようにならないことを第一に目指していました。それは絶対にトラウマを作らないということ。子供の世界って非常に狭く小さいわけで、その中での出来事のインパクトは半端じゃなく大きいですし、それを引きずって生きる人生なんて馬鹿げていますし、「生まれてこなければ良かった」という考え方だけはもたないように気を使っていました。

でも子どもたちのわがままを許すということもなかったと思うし、結構厳しく育てたつもりです。ただ、子どもたちに「なぜそうしなければならないのか」の意味をわからせるというやりかたで、「お前たちはこう生きるべきなのだ」と無理やり押し付けるようなことはしませんでしたし、「そういうことをすると怖いおじさんおばさんに怒られますよ」みたいな親の責任を放棄したような、また他人の目を気にするような性格にはすまいと気を使っていました。彼らは彼らなりに「常に自分を点検し、どうあるべきか考えさせる」ことを重視しました。これって結構大変で、自分の気づきを待たないとなりませんから時間がかかるのですが、意外に簡単にそういう癖って付くもんだと今ではシメシメと思っています。(笑)

そういう意味では我が家は本当に順調に育ってくれましたし、わけのわからないワガママをいう子供にはならなかったし、親としては「子育てって世の中の人が言うほど難しくないかもしれない」なんて思っています。親と子のしっかりした絆があれば問題なんて起こらないかもしれない。

でもその絆の構築が大変なのかもしれませんが、海外生活では極端な言い方をすれば「周りは全て敵」であるかもしれず、まだ20年前は、そして子どもたちの間では露骨な人種差別も存在していましたら、心の拠り所としてしっかりした「家」「家族」の構築は非常に大事だと思っています。また逆を返せば、そういう中で育つと、家族の絆は作りやすいのかもしれません。

細かいことを書くときりがないのですが、差別を感じることは結構ありました。まだ来た当初、子どもたちを連れて公園でピクニックをしている時、3歳の長男が近くにいたオーストラリア人の子どもと遊びだしたんです。ボールを投げ合って遊んでるその姿を見て、「こうやって自然にオーストラリアに溶けこんで行くのかなぁ・・・」と微笑ましく思っていたのですが、その子どもたちのところへ近寄った時に、そのオーストラリア人の子供が長男に言っている言葉を聞いて仰天しました。

「Go get it, yellow monkey!」

とボールを投げて長男に取りに行かせていたのですね。犬とボールで遊ぶあれと全く同じです。でも長男は嬉しかったのでしょう。オージーの投げるボールを追いかけて拾ってはその子のところにニコニコして持っていくことを繰り返していました。

これってなんか違うんじゃないかと思った私は長男を抱きかかえて家族の元へ連れ戻りました。

「面白かった?」と聞くと「うんっ!」ってニコニコ笑っています。

その時、胸に込み上げるものがありまして、長男を抱きしめました。

「もしかしたらとんでもない国に連れてきてしまったのかもしれない。親の気まぐれで連れてきてしまって取り返しのつかないことが起きるかもしれない。ゴメンな、ゴメンな」と心のなかで思いましたっけ。

と同時に、何があってもこの子たちを自分は守ると心に誓いましたっけ。

まぁ、それが最初の洗礼で、その後、いろいろありました。小学校の頃、学校へお弁当を持っていくのですが、ある時、海苔で巻いたおにぎりを持たせたところ、みんなで寄ってたかっていじわるをされたようです。まぁ、オーストラリア人にしてみれば真っ黒で気持ちの悪い食べ物に見えたのでしょう。そのオニギリを取り上げられ、放り投げられたとのこと。その日は、帰ってきてから泣きながら「お弁当のオニギリはやめてくれ」とヨメサンに言っていたのも忘れられません。

こういう小さなイジメ、それも人種とか文化の違いによって起きる差別は日常茶飯事だったようです。ある時、長男が学校で「ジャングルボーイ」と呼ばれるのに我慢ができないとメソメソするので、私はクラスの担当に相談しに言ったんですよ。するとなんとその担任は

「ジャングルボーイと呼ばれたら、ジャングルボーイの真似でもして笑い飛ばす余裕が必要だ」と言うんですわ。

私は段々と頭に血が上ってきまして、「お前がホワイトピッグと呼ばれたら、ブーブーと豚がなく真似でもするのか?」という言葉が喉まで出ましたが、こんな担任に何を言っても無駄だとその日は諦めて帰ってきました。でも確かに担任がいうことに一理あると思うこともあったのです。私は長男に、イジメや差別には絶対に屈するなと何度も何度も何度も言い聞かせて育てましたので、冗談が通じない部分があるのもわかっていましたから。

なんて説明したら良いのでしょうか。例えば友達同士が会った時に、「オイ、タコ野郎、元気か?」と聞かれ、「おうよ、お前はどうなんだ?イカ野郎」みたいなやりとりが普通にあるんですね。でも長男はそういうのに乗れないタイプ。いちいち反応してしまう。

そんな挨拶をすること自体に問題があるなんてことは私は一切考えません。男同士って結構汚い言葉を日常使いますし、またオーストラリア流のジョークも存在するんですね。でもオーストラリア育ちのくせに、日本人的に純粋培養された長男には受け入れがたかったのでしょう。もしかしたら「お前、馬鹿じゃないの?」と笑って言われても、馬鹿という言葉に過剰反応するタイプだったのかもしれません。

このことは、実は最近長男が我が家に帰ってきて話す機会がありました。そして、あの当時、そういうジョークに乗れなかったのは私の育て方がそうだったからだと言うんですね。変に正義感が強くなりすぎたと言うんですわ。でもある頃から、自分がおかしいのかもしれないということに気がついて、それからは全く気にならなくなったと。

長男は私を非難するつもりで言っているのではないのはすぐ分かりましたが、私は、「今、お前がそれを言えることが大事なんだよ。普通の子供より一つ多く学べたということだろう」と言いました。それに対し、「イヤ、違う」と長男は反論しましたが、友達とナァナァで仲良くすることより、正義感が強く、曲がったことは大嫌いでそれが理由で友人関係がうまくいかない時代もあって、でもそれを乗り越えて、仲良くする術に気がついたということが大事だと思うと言いました。

面白いのは、長男と次男と全く同じように育てたのに、性格がまるで違うんですね。次男坊にはこういう悩みはまるで無かったようです。次男坊のほうが「周りを見る」のが上手いのかもしれませんね。まさに巷でよく言われる長男と次男の違いを我が家の子供達にも感じます。

ま、長男や次男に何があったかを書いた日記にがありますので、興味があるかたは読んでみてください。

オーストラリアの日本男子   ← クリック

オーストラリアの日本男子 その2  ← クリック

まぁ、こんな感じでいろいろあったことはありましたが、今思い出してみると、全てが良い経験で、経験出来たことが素晴らしいと思っています。

また、家庭内でも、我が家の子どもたちは本当に問題がない奴らで、私は子育てで何か問題があったかと思いだしても全く思い浮かびません。本当に順調で、神様に感謝したいくらい。

ただ気にしていたことは間違いなくあって、それは「子どもたちをちゃんとした日本人として育てること」です。

他の日記にも書きましたが、海外での子育てで、子供のしたいようにするとどうなるかはわかりきっていましたし、それは簡単に言えば、「子供はどんどん現地化する」ということと「日本が彼らにとって外国となり、日本語が外国語になる」という事実です。これは海外の日系人(駐在やロングステイじゃない『移民』)を見ればすぐにわかることですね。顔形が日本人というだけで、中身は完全な外国人です。

私の親族に日系人が多くいた事(アメリカの二世、三世)、そして周りに帰国子女も結構いましたので、彼らが抱えている問題はよーくわかったし、私は自分たちの子供を「何人だかわからない」ようには育てたくありませんでした。これは前にも書きましたが、アイデンティティをどう持つかというのは非常に大事で、我々のように「自分が日本人であることに一切疑問を持たない」大人にはわからないんですね。「俺って何人?」と思う辛さは、私の叔父の話も前に書きましたが、アメリカではジャップと呼ばれ、日本では変な外人と呼ばれ続けて一生を終えた彼の心中たるや、想像を絶する物があると思います。

だから海外で子供を育てるのは良いことだとか、英語がネイティブと同じに喋れたらいいねとか、国際人に育てようとか、そういう話を聞くと、こいつら何もわかってないな、と思うわけです。マスコミとかそこらの井戸端会議的な、そして海外への憧れを捨てきれない、そして日本語しかしゃべれないことに劣等感を持ち続けてきた人の戯言にしか思えないのです。

ですから、自分の子供達は、誰がどう見ても、そして自分としても「日本人である」という確固たるアイデンティティを持たせようと、幼い頃から注意して育てました。その基本はやはり「国語」。日本語です。言語とはことばと思ってはうまくなくて、文化そのものですから、日本語ができない日本人は日本人としてのアイデンティティを持てないと私は思うのです。またもし日本語が出来なくても自分は日本人だと信じていたとしても、他人には「変なやつ」としか映らないのね。いつかその自分が異質であると気がついた時にアイデンティティの崩壊が起きるのかもしれません。そしてこのショックは半端じゃ無く、生き方や人生に大きな影響を与えると思っています。

あいつは日本語が下手だけれど、外国語はいくつか話せるし、海外生活も長くて凄いなぁ、なんていうのは文明開化もしていない未開人が白人を見て劣等感を感じるのと全く同じだと私は思っています。

ですから、日本語は基本中の基本だと考え、我が家では徹底的に日本語教育をしました。英語なんかその地で生活していれば誰でも(かなりのバカでも)覚えます。それは周りを見ればわかるでしょ?小さな子供から、わけのわからない連中までオーストラリアでは誰でも英語を話すんですから。日本ではほぼすべての日本人が日本語を話すのと同じ。

ただ、日本語中心に育てると、子どもたちは学校で苦労するだろうことははっきりしています。でも私が考えたことは、小学校から地元の学校に通って、そこそこの成績を収めていれば英語はどうにでもなるということ。もし中学から、あるいは高校から留学したことを考えればはるかに楽に英語を体得するのは間違いがないのですから。

では日本語教育で何をしたかというと、大したことはしていません。(笑)

○ 自宅では「絶対」に英語禁止。
○ テレビはNHKか日本のテレビ番組。
○ 日本語補習校に行かせる。
○ 読み書きの勉強は毎日しっかりやる。

つまり、海外にいながら日本にいるのと同じ環境を作りました。家の外にでるとそこは外国で、毎日留学しているような感覚でしょうか。(笑)

それと重要な事ですが

○ 日本好きな子供に育てる
○ 日本に興味をもたせる
○ 興味を持ったらゲームだろうが(エロ本)だろうが日本語に接する機会を増やす

結局、無理強いは長くは続かないんですね。だから自ら日本語を知りたいと思わない限り駄目。だから私は必要以上に、そして事実以上に(笑)、「日本って凄いんだぞ」という話を子どもたちに聞かせたし、またほとんどの子供が必ず興味をもつ「漫画」や「ゲーム」も積極的にやらせました。

我が家の場合、このゲームで日本語を学ばせる作戦が大当たりだったと思います。その頃はポケモンが流行っていましたし、ゲーム類も日本が進んでいましたから、そのエキスパートになると学校でももてはやされるんですね。またゲームの裏ワザとか攻略法を知っていると話題にことかかない。

だから子どもたちは読めと言わなくても、ゲームの攻略本を何度も何度も読み返すわけです。ですから、当時は子どもたちに「日本のどこに行きたい?」と聞くと「秋葉原」という答えでしたし、「おみやげに何が欲しい?」と聞けば「攻略本」と答えていた時期があります。

ですから私も秋葉原へ行って、日本語がわからないと出来ないようなゲームを買ったり、攻略本も内容が難しく、漢字にルビが振ってあるような低学年用のものは一切買わないようにしました。ですから、我が家の子どもたちは、読み書きはゲームで覚えたと言っても良いくらいです。もういいかげんにしろと言っても、読むのを止めることはしませんでしたから。

今でも子どもたちはオーストラリアで成人し、オーストラリアにいますが、日本と深く繋がることによって普通のオーストラリア人が知らない情報に接することが出来るのをよく知っているんですね。ビジネスでもそうですし、様々な情報を日本経由で取っています。

英語に関してですが、彼らは中学卒業まではかなり苦労したと思います。面白いでしょ。幼稚園からオーストラリアで教育を受けているのに中学卒業まで英語に苦労するなんて留学生みたい。中学時代の宿題でも論文形式が多いのですが、それを英語が下手くそな私が助けていたのですが、今になると笑い話です。オヤジの英語に助けられていたんだから酷いよね~、って。(笑)

でも高校生ぐらいになると私には全くわからない英語のレベルになりますし、彼らも苦労したとは思いますが、負けず嫌いなのが功をなして落ちこぼれることもなく、多くのにアジア人がそうであるように成績はトップクラスを維持出来ました。そして二人共、大学、大学院を卒業し、子供の頃は苦労をしたものの、最後のつじつま合わせは成功しました。

結局、こんな感じで、我家の場合は本当に順調に行きましたので、逆に参考にはならないかもしれないと思います。でもこれを言えば自慢になってしまいますが、「起こるであろうことは想定して、早めに手を打っていた」のは間違いがなく、「海外で育てば何かよいことがあるだろう」みたいな育て方は一切しなかったということです。

起こるであろうことの想定ですが、私が一番気をつけていたのは、多くの日本人子女がぶつかるであろう日本語の勉強であることは上に書いたとおりです。地元の勉強もどんどん大変になるわけですから、日本語の勉強、ましてや補習校へ行くとか、補習校の宿題をするなんて冗談じゃないと子供は言い出すのが普通だと思います。

これは補習校の人数分布を見ればすぐにわかりますが、幼稚園、小学校低学年はごっそりいるんですね。ところが学年が揚がるに従ってどんどん人数が減り、中学生になると極端に少なくなり、何十人もいた同級生がたったの数人になってしまう。どうしてこうなるのかは簡単にわかるわけで、子供の「どうして日本語なんか必要ないのに勉強しなくちゃならないの?」あるいは「現地校の成績が下がっても良いんだね?」みたいな子供の言い分にどう対処するのか。これは簡単ではないですし、子供が選んだことだから・・・・と親は諦めるしか無いのが普通。その内、親も、日本語も日常生活に支障がない程度に話せるんだからこれで良いのだと、自分を肯定しちゃうんですね。

人間って弱いし、ましてや親子関係ってある意味だらしがない関係と言いますか、お互いの言い分がぶつかった時に親が思う方向には動かないのが普通。そして親も、それで良いのだと納得してしまう。

ここが怖いと思うんですよ。でも逆を返せば、子育てに失敗は無いんですね。どういう結果になっても「これでよかったんだ」と必ず考えるようになってしまいますから。

だから、そうなるであろうことを想定して、早め早めに手を打って環境づくりが大切なんだろうと思うわけです。表現のしかたが悪いですが、私は子供をずーーっと催眠術に掛けていたようなもんです。ああしろこうしろとは言わない代わりに、子どもたちが自分たちが自ら選んだように、線路を敷いていくことに専念していました。そういう意味で99%成功しました。

では最後の1%は何かですが、これは長男が大学生になったころのことですが、長男自身が私の催眠術というか誘導にうまく乗せられていたことに気がついたんですね。つまり、自分が選んだと思っていた道は、自分が選んだのではなくてオヤジが敷いたレールだったと。

これをはっきり言われた時は私もドキっとしましたし、ヤバイと思いました。(笑)

と同時に反省もしました。私は本当に子供がやりたいことを見抜いて、それの手助けをしたのだろうかと。ただ単に、親のエゴを押し付けていただけで、しかしそのやり方が巧妙だっただけなんじゃないかと。

ここは難しいところだと思います。親としては子供が本当に行きたい道に行って欲しいですが、でもやっぱり親として望む方向もあるわけです。ここに存在する矛盾はやっぱり話し合いしか無いと思います。そしてもっと大事なことは、そういうことでも話し合える環境を常に維持することだと思います。親として一番怖いのは、子供が「どうせ話してもわかってもらえない」と思ってしまうこと。これって子供が小さい頃は全く問題にもなりませんが、小学生高学年から中学生になる頃には、自我がしっかり目覚めますし、反抗期も必ず来ると思って接したほうが良いと思います。

そういう意味で、息子たちには反抗期らしいものは全くなかったのですが、それは私の上手い口車に彼らが乗せられていただけとも言えるわけで、結局、無理なものは長続きしない。だからといって、あまりに小さい頃から子供の希望を取り入れるのも駄目だと思うんですよ。好きか嫌いかという二者択一の選択方法しかしない年齢の時に、それを「子供が望むのだから」と子供のいうことを聞くのはうまくないと思っています。

でもそれも様子を見ながら親も手の内を変えていく必要があるわけで、子供がどうしてもと望むのに無視することは不可能ですから。そして子供だけ日本に帰ったり、家族揃って引き上げたりということも起きるし、あるいは引きこもりの子供になってしまうこともあるし、そういう例は多く見てきました。なかなかうまく行く家庭って多くはないのね。

でもそういう問題を乗り越えてきた家族も多いわけで、そういう家族には特徴があるのがわかります。それは親子の間に信頼関係がしっかり保たれていること。その信頼関係とは、お互いの言い分を聞くとかそんなことじゃないんですね。話し合いが常に出来る状態は最低条件で当たり前の話。でも難しいのは、本当に相手の立場に立って考えることが出来るのかどうか。ここで起こりやすいのは、「親の妥協」。つまり子供の主張が勝つ傾向があるということ。これじゃ信頼関係も何もないんですね。子のわがままを親が聞いてるだけになってしまう。

それと大事なポイントは、子供が小さい時には問題なんか起きないのが普通ってことでしょうか。こういう親子の蜜月時代にのほほんとしていると、必ずやってくる自我の目覚め、反抗期に対処できなくなるかもしれない。だから小さいお子さんをお持ちの方は、当然今も大事ですが、小学校高学年から中学生のどんどん問題が出てくるようになる時期を想定して、今から準備することが必要だと思っています。また学校、付き合う友達、異性の影響でガラッと変わることが良くあるじゃないですか。そういうこともそれなりに想定する必要があると思っています。将来のことはわからないと決めつけてしまうのも一つの生き方だとは思いますが、私はそういう性格じゃありません。

また海外に出たばかりは心配ばかりで、子供が他国の子どもたちと一緒に遊んだり学ぶ姿を見て感動するんですね。そしてネイティブみたいな外国語を話すようになると、「やった~~!」とどんな親でも思う。うちの子供は3ヶ国語話せますなんて喜んでいる親も結構いるけれど、あの感覚よくわかります。でもそんなのは長続きしないんですね。ことばってたった一つの言語でも完璧に操るのは難しいですし(私の日本語も完璧じゃないし 笑)、日常会話が出来る程度、小さな子供が話す程度の言語で喜んでちゃ駄目だというのはすぐにわかるようになります。そしてそのうち勉強も難しくなると「日本語を捨てようと思う」なんて恐ろしいことを言い出す可能性だってあるんですね。ですから、小さな子供の成長を見て喜ぶのはそれで良いのだけれど、中学生以降のことを常に頭に入れて先手先手を打っていかないと、どこにでもいるわけのわからない中途半端な海外育ちになると思って間違いがないと思います。

子育ては日本でも海外でも同じと思うかもしれませんが、子供の置かれる環境、親の環境も普通じゃありませんし、本来起きるはずがないようなことも起きますし、それを放っておくと、日本人なら当たり前に持っているアイデンティティもあやふやな大人に育つことを容認してしまうことになるし、日本国内で育てるのとは違う難しさがあると思います。ただ、良い点もある。それは家族対外の対立軸、あるいは違いがはっきりしますので、家庭内をまとめるチャンスにもなるということ。でもそれだけに、家族間の連帯意識が壊れると非常にうまくない状況になると思います。

まぁ、毎度のことでダラダラ書きましたが、私が考える子育てとはこんな感じですし、我が家は本当にうまく行きました。臭い言い方ですが本当に神様に感謝していますし、子どもたちにも良くこんな親なのに一緒に生きてくれたと感謝しています。

それと話題はかなり変わりますが、平穏無事な家庭を維持するためにも大事なのは親としての収入の確保と、将来の計画だと思います。日本では長らく不景気が続きましたし、インフレの怖さを知らない方が多いと思いますが、日本がチンタラしている間に世界はドンドン成長したし、物価も上がった。

つまり、子育ては長期的なものなのに、親の収入確保もそれに合わせて長期的に考えないと、どこかで躓く可能性が非常に高いということです。子供が小さいうちはさほど気にならないかもしれませんが、中学校高校、大学と進む時にはとんでもないお金が掛かるんですね。それは学費だけではなくて生活費も同じ。小さな子供はオマケみたいなものですが、子供が大きくなってくると一人ひとりの金の掛かり方が大人と同じになるってこと。それプラス、学費も半端じゃなく大きくなる。

普通のインフレ+年齢とともに上がる経費+生活向上による経費の上昇とインフレに関しては3つの要素があるのを忘れてはならないと思います。年間ベースで考えると毎年10%以上の恐ろしいスピードで必要経費が増えるはず(10年で簡単に2倍以上になるはず)。これに対応できないと途中で破綻するのは間違いがありませんから、その辺もしっかり腹を据えて考える必要があるはず。

小さいお子さんをお持ちの方は、高校生ぐらいになるとどのくらいの授業料になるのか、生活費がどのくらいになるのかを調べることが出来ますが、きっと今のその費用を見ただけでも大変だなと思うことが多いはず。ところが子供がその年になる頃には、もっとそれが上がっていることを忘れてしまうことも多いと思います。日本ではそれでも大丈夫でしたから。でも海外では、今年なら100万円で済むことが10年後には200万円掛かるなんてことが普通に起きていることを忘れてはならないと思います。ここは非常に大事なポイントだと思います。

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我が家の子供達が小さいころ” への10件のコメント

  1. daboさんの子育ては立派だといつも思うし、ケチをつけるつもりはありません。
    ただ、あの幼稚園は、うちも同じような時期に行っていましたが、
    わたしの印象は、ちょっと違いました。
    「経営者の方は、「自由にのびのび育てるようにしています。」
    とおっしゃっていたけど、要はプログラムも何もない野放しってことね。」
    とおっしゃっていたお母さんを知っていますし、
    一人目をあの幼稚園に入れた家庭が、二人目は別の幼稚園に入れるケースが見られ、
    うちもそうしました。
    あの頃、一品持ち寄りのイベントが頻繁にあって、
    下に赤ん坊を持つ身で、料理を作って、赤ん坊連れで行事に参加するのが、
    かなり負担でした。
    卒園式のような行事があって、みな同じクラスだったのに、
    うちの娘は年齢が足りず、一人名前を呼ばれなくて傷ついたのも、
    事前に教えてくれれば・・・とショックでした。
    まあ、20年も前の話ですから、変わっているとは思いますが。

    • へーー、卒園式で名前が呼ばれずっておかしいですよね。お子さんが傷ついたであろうことはよーーく理解できます。クレームしました?

      プログラムがない野放しですが、そもそも幼稚園にどういうプログラムがあるべきかってのが私には(今でも)良くわからなくて、あの幼稚園は私には十分でした。私が気になったのは子供の社会性がオーストラリアでどう育つかということだけで、幼稚園とかプレップに何か期待したことはありません。その後、小学校からずーっともしかしたら私は何も期待していなかったかもしれないです。ただ論文書きとかディベートの訓練をしてくれたのが有りがたかったぐらいかなぁ。あ、そうそう、TSSは軍隊の訓練があるんですが、あれも良いと思った。でもあれがあるからと子供を転校させた親もいましたっけ。

      いろいろですねぇ。基本的に子育て、教育は家でするものと考えていますので、学校に多くを求めることはないかも。余計なことだけは教えてほしくありませんが。

      • クレームは、してません。
        うちの娘は、次の年から私立高のプリスクールに通うことになっていて、その日が幼稚園の最後の日でしたから。
        もちろん、幼稚園にはそのことも伝えてありました。

        他にも、うちの近くに住んでいる人が、足がなくなったから、その幼稚園に行けなくなったとかで、
        わたしに「送り迎えをしてくれ」と言ってきて、
        当時、post natel depression で体力はどん底だったわたし。
        赤ん坊のサイクルに合わせて、幼稚園のお迎えに行く、
        外に出たついでに、スーパーに寄って、足りない買い物をする、
        ということをしていたので、
        その上に、他人の子供の送り迎えのことを考え、毎日英語で電話して、
        その子の親と送り迎えもする、というような余裕がなく、
        「できない。」と断ると、「近くなのに。」と言われました。
        学校の話ではなく、あの幼稚園がわたしにとって問題でした。
        他の方の事情はいちいち聞きませんでしたが、
        二人目以降、他の幼稚園に入れた方が複数いらっしゃったので、
        同様のハッピーじゃない体験があったのかも、と想像します。

        • なるほどねぇ。あの幼稚園のことですが、何も問題がなかったというと嘘で、ま、問題もありましたっけ。ただその内容を書くと個人の話になっちゃうので書けませんが、おかしいんじゃない?と思うことは何度か。

          でもそれで幼稚園を変えるとか、あの幼稚園を否定するとか、そこまでのおおごとではありませんでした。

          子供が楽しそうにしていればそれで十分だと思っていましたし。

  2. daboさんは、オーストラリアに移住するとき、相当語学力は備えた父親ですよね。その前はグアムに長く滞在していて、親御さんが、海外での生活に慣れてるのとゼロからスタートでも、だいぶ違うのかもしれませんね。

    他の人の子育ての話で、子供が試練をうけたときに、どう親が見守ったのかという話は、(私が親ばかでつい過干渉になりがちだったから)心に響きます、人種差別を受けた憤り、悲しみを自分で消化して、音楽を奏でることで静かに訴えるまでのエピソード、私も演奏会に同席していたら拍手をいっぱいしたでしょう。子供には、受けた苦しみを負の連鎖で終わらせず、健やかに育ってほしいですね。

    (話がずれますが、先日、バンサーのショッピングセンターで、盲目のピアニストが演奏をしていて、やりとりをしたとき、どこの国から?と聞かれたので日本と言うと、「さくらさくら」を弾いてくれ、とても嬉しかったです。音楽は言葉の障壁がないからいいですね。)

    クアラルンプールの日本人会館の図書室にいった時に、東京の図書館の出張所程度にも満たない品揃えに(日本人学校ならもっと児童書の蔵書数も多いのかもしれません)海外の子育てって、途方も無く大変なことだなーと、初めて怖くなりました。

    日本でお目にかかる帰国子女の学生達が優秀なのは、相当、親御さんが頑張って教育をなさってるのでしょうねえ。

    母国語と外国語の習得だけでなく、社会の規範も違うし、、日本はオーストラリアに戦渦をもたらしているし、、オーストラリアの歴史を見ても、(詳しくはないのですが)成り立ちや、移民を受入てきた経緯から、オーストラリア人自体も、アイディンティティの拠り所
    が脆いのではないかという気がします。

    • 私の語学力は昔も今も駄目です。謙遜じゃなくて本当に駄目。でも出来ないからといって尻込みすることはしませんでした。

      たまきゅうさんのこのコメントで気になる場所がありました。それは「日本でお目にかかる帰国子女の学生達が優秀なのは、相当、親御さんが頑張って教育をなさってるのでしょうねえ。」というところ。

      是非、日本ではなくて世界の日本子女を良く観察して頂きたいと思います。日本に帰りたくても帰れない、あるいは帰ろうとも思わない、帰ってもどうにもならない日本子女が世界にはうじゃうじゃいるのがわかるはず。海外での子育てって、自分の子供がそうなるであろうという前提で考えるのが良いと思っています。いわゆる日本人じゃなくて、日系人を観察するとすぐわかると思います。

      海外での子育てって、日本プラスアルファを狙う親が多いと思いますが、日本の維持は簡単じゃないんですね。最初からそれを放棄してしまうのも一つの生き方だと思うし、そういう日系人は何百万人と世界にいるってことですね。どれを選ぶかは個人の勝手で、日本語が出来なくても、日本の文化を知らなくても構わないと考えるのは一向に構わないし、他人がとやかくいうことでもありません。ただし、日本プラスアルファを狙っている場合には、それは簡単ではないということを私は強調したいのです。そしてそれが失敗に終わった時に、これで良かったのだとどの親も思うようになるのね。だから失敗にはならないのだけれど、それで良いのか?って話。(笑)

  3. 補習校で、学年が上がるに連れ、生徒の数が減っていく原因ですが、
    子供の「嫌だ」「やめたい」に親が妥協するケースばかりではないように思います。
    daboさんがおっしゃるように、子供の年齢が上がるに連れて、
    学費、その他、お金がかかるようになります。
    親が仕事を増やすことになり、結果、土曜日の送り迎えができなくなることもあるでしょう。

    また、サッカー、テニス、ゴルフなど、土曜日に試合があるものも多いです。
    音楽関係もそうかもしれません。
    親が、日本語にこだわるよりも、個人の能力を伸ばすことを優先したい、
    と考えることもあるでしょう。

    基本的に、子育て、教育は家庭でするもの、とはその通りで、
    補習校に行かなかったうちの娘も、日本語は達者で、
    日本の会社から依頼を受けて仕事をさせてもらっていますが、
    先日、ゴールドコーストにいらした社長さんから
    高く評価していただいたことを、親として大変喜んでいます。

    • ちりとてさん、前にも書きましたが前提が違うんですよ。

      ちりとてさんはご自分、ご家族の環境を前提にしていますが、このブログでこの事に関して私が書く時、私が前提にしているのはまるで環境が違っていて、永住権もない、就労権もない、社会保障もない、そういう所へあたかも移住するがごとく家族でその地に溶け込むような生活をして大丈夫なのかってこと。つまり、その地に永住することさえ出来ないのに、その地にべったりの子供になったらどうする?ってことなんですよ。

      ちりとてさんがインドでもバングラディッシュでもインドネシアでもどこでもいいですが、自分の仕事の不安も抱えたまま、そしてそこへ小さい子供を連れて渡ったと考えてください。日本人学校も補習校もどうでも良い、個人の能力を伸ばせれば良いだの何だの言っていられます?

      そういう人生を選ぶ人も少なくない時代なのは間違いが無いですが、将来起こりうることを想定できているのか、それとも「海外で、英語で教育を受けられればヽ(^。^)ノ」なのか。

      永住権を持ち、その国に守られて住んでいる私達は、今の日本で考えると少数派になるはずです。また我々は万が一子どもたちが日本を捨ててもしょうがないという覚悟があったでしょ?それは子どもたちが将来オーストラリアという国に守られて生きていけることを知っているから。でも現在の潮流は永住権ももたず旅行者の延長であるがごとく子供を連れて海外に出ちゃうんですよ。そういう状態で、子供が日本を捨てたらどうなります?

      あるいは、ちりとてさんは永住権がなくても子供を同じように育てました?

      • このコメントで、daboさんがおっしゃることは、いちいちごもっともで、素直に納得できます。
        わたしは、かなり慎重で保守的な人間ですから、永住権なしにこの地で子育てすることはなかったでしょう。
        また、初孫を海外で産んで育てることにした嫁として、おじいちゃん、おばあちゃんと話ができない子供にすることは考えられませんでした。

        わたしたちが、日本を離れたのは、20年以上前ですよね。
        パソコンも携帯電話もなかった時代から、世の中は大きく変わりました。
        たまに日本に帰ると、主人の出身地である地方都市にも、住んでいる外国人が年々増えていることを実感します。
        観光地はもちろん、すし屋のカウンターにも外国人。
        いまや、日本に生まれ育ったとしても、日本人社会だけで完結できない環境になっているんですね。

        daboさんのお子さんたちは、お二人とも優秀で、どこでもやっていける立派な青年になられたことは、喜ばしい限りです。
        わたしたち永住組でも、英語オンリーの家庭があったり、様々ですが、
        日本語、日本人として、を強調しすぎたあまり、成長してもオーストラリア社会になじめず、かといって日本では資格の問題で望む仕事に就けず、というお嬢さんもいらっしゃいます。
        何事も程度問題ですね。

        とはいえ、安易にバラ色の空想だけで、我が子を海外に連れ出す若い親に、極端なほどの警鐘を鳴らす人も必要だと思います。
        応援しています。

        • 私がいつも思うことなんですが、海外で命の次に何が大切かというとそれは「滞在ビザ」なんです。これがないと「人にあらず」と同じで何も出来ない。

          ところが簡単に「とりあえず滞在できるビザ」を得ることが出来るとそれでそのまま生きていけるような気がするんですね。ここは落とし穴だと思います。

          そのことに警鐘を鳴らし続けたいです。

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