飛行場で思ったこと

今日の朝早く、日本から帰ってくるヨメサンをゴールドコースト空港(クーランガッタ)に迎えに行ったのですが、道すがら考えたことはやっぱりマレーシア機のこと。

あと1時間で到着だなとか思いながら飛行場に向かい、時計を見ながらあと15分か、あと5分か、もうそろそろ到着かな?とか時計を見る。飛行場の掲示板にも便名があり、到着予定時刻と到着予想時刻が出ている。あの日、北京でも同じように妻を旦那を、そして子どもや親、友人知人、愛する人たちを迎えに行った人が同じように電光掲示板を見ていたはず。

もし、予定時間を過ぎても到着しなかったらどう感じるだろう。5分、10分、15分と時間が過ぎていく中で、30分も遅れればおかしいと思うし、1時間も過ぎたら何かあったのかと誰しも不安を感じるはず。そんな時に「行方不明」のアナウンスがあったらどうなるか。

想像しただけでもゾッとするけれど、クーランガッタ飛行場にいたほとんどすべての人は、同じような想像をしたんじゃなかろうか。また飛行機に乗る人もマレーシア機の事が頭に浮かんだはず。それともそういうことは考えない方向に行くのが普通の人間なのかな?

でもいろいろ想像しながら、人間も変わるもんだと思いました。50代半ばまでは死というのが他人事に思えたというと変だけれど、日常の出来事では無かったし遠く感じていました。でも段々と身の回りで旅立つ人が増えてくるし、同年代も同じで、決してこれは他人事じゃないのに気が付き始める。まして60を超えてくると、日常とは言わないにしてもごく普通にどこにでも起きている出来事に思えてくるし、それは今日明日、自分に起きても全くおかしくないことだというのがわかる。

段々と死生観が変わってくるんですね。

これは若い頃から持っていた宗教観にも依ると思うのだけれど、私は子供の頃から魂の存在を信じていたし、今でもそうで、輪廻転生は当たり前のことぐらいに考えています。でもそれが仏教的なものかというとそうでもなくて、魂の存在は人間が一人ひとり個別に存在しているようなものとは違って、集合体として大きな魂になったり、また別れて分裂してそれぞれが存在したり。もし、今70億人の人間が存在するなら、魂はいくつ存在するのか?という考え方はおかしくて、魂は元々一つしかなかったのかもしれないなんて考えています。そしてそれは宇宙の中の一つの生命体の様に存在しているものかもしれない。

そう思うと今人間が一人ひとり別なのも、これはこの世の特殊な存在形態でしか無く、本来は皆一緒のような気もするし、またそれは動植物も、宇宙人も同じ。まぁ、こんな感覚を今は持っているのですが、こういう考え方を長く持っていますと、命を持っている今の方が特別で、命がない状態の方が普通なのかと思ったり。生も死も魂の形態の違いでしか無く、どちらが良くてどちらが悪いということでもなく、人間が起きている時と寝ている時の違いみたいなものかもしれない、なんて考えています。ですから死に対する恐怖感も昔とはかなり変わってきて、死とは引っ越しに似ている程度のもののような気もします。

ただ、恐れは昔と違ってかなり減っては来ているものの、別れることの悲しみは大きいわけで、特に子どもたちに対してはそれを感じます。でも、それもまた自分の中を観察していると時とともに変わってきたのを感じます。子供が小さい時には自分の死はもちろん、子供の死なんて想像することさえ不可能だし、とんでもないことでしたが、子どもたちも成人して同じ人間として見れるようになってくると、彼らは彼らの魂を生きているわけで、そういう点で私自身と何ら変わることはないと感じるようになっています。私も死ぬし彼らも死ぬことになんらかわりはありません。と同時に、死は別れではないという確信もいつのまにか出来上がってきて、そして悠久の時間の中に存在する魂を基準に考えれば、またその内、いつか会えるとさえも感じます。永遠の別れなんて存在しない。

これってかなりの歳を取ると似たようになるようで、身の回りに自分が知っている人は少数で、あちらの世界の方が親族から友人知人、愛する人たちもみんなあちらという人の場合、早く迎えに来てくれという親族が私にもいましたが、その心境が非常によく分かるような気もするわけです。

だから命って軽いものだということではなくて、永遠の時の中の特殊な魂の存在形態であるがゆえに、命は大事で、しっかり生きないとならないと思うわけです。そしてきっとそれは偶然ではなく、また親子、夫婦も友人も含めて人との出会いも偶然ではないと思っています。だから命と同じように出会いも大切にしたい。

なんでこんなことを書いているんだろうか。(笑)

でも車を運転しつつ、飛行場でヨメサンを待ちながらこんなことを考えていました。

マレーシア機の行方不明も情報が交錯し、何がなんだかまるでわかりませんが、実はまだどこかに着陸している可能性さえ私はあると思っていますし、またそれを示唆する情報も出てきています。これって関係者の心を乱すだけかもしれないけれど、その一分の可能性があるのならそれに賭けるのも当たり前で、各国、全力を尽くしてもらいたいなぁ。

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