海外育ちのアイデンティティ:帰米二世と442連隊

そもそもアイデンティティって何かを理解、あるいは定義しないと話は進まないのですが、私は単純に「自分は何人か」と考えるのか。そこに注目しています。

日本に住んでいると、日本は単一民族国家ですし、自分が何人かと考える機会も少ないし、あるいは「日本人に決まっている」と考えると思うのですが、海外に住んだり、あるいは日本にも在日がいるように海外生まれの海外育ちは一体自分を「何人」なのか悩む瞬間があると思います。

今の日本は「グローバル化」の大合唱で、日本人である前に「世界人」であるべきだとの軽く浅はかな風潮が蔓延していますが、私としては「世界人」あるいは「国際人」なんて世界のどこにも存在せず、たとえ自分がそう信じていたとしても他人はそうは見てくれず「人種の壁」を感じざるを得ない時が何度もあるはず。そんな時に「俺って誰?何人?」と思うはずで、そして悩むはず。

もし自分を日本人だと信じていても、どうも普通の日本人とは違う自覚はあるし、日本語もろくすぽできず日本の文化伝統、習慣も知らないとしたら、「自我の崩壊」さえ起きるんですね。逆に「俺はアメリカ人だ」あるいはオーストラリア人だと信じても、どこからどう見ても黄色人種で言葉にしても言動にしても日本人らしさが見えれば、「お前は日本人だろ?」という扱いを受ける。この時もまた「自我の崩壊」が起きる。

帰米二世とかアメリカの442連隊(日系人部隊)を知る人たちは少なくなって来たと思うのですが、彼らの苦悩からいかにしっかりしたアイデンティティを持つことが重要か、そして実は簡単ではないのがわかるはず。

アメリカの442連隊は有名で、日系人でありながら太平洋戦争でアメリカ人として従軍したわけですが、特にハワイ出身の大100部隊(後に442連隊に編入)は勇ましく戦った。彼らは日系人ではあるけれどアメリカに忠誠を誓いアメリカ人として生きたわけですが、どれだけ差別と偏見に悩んだかは簡単に想像できます。だからこそ彼らは死を恐れず、アメリカ社会における日系人の立場も考え勇敢に戦った。当初はバカにされた部隊だったけれど、後に彼らを送ってくれという要望も強くなるほどで、確か未だにアメリカ軍史上最多の勲章をもらった部隊のはず。

私がハワイに良く行った当時は昭和の終わりですが、その頃はまだ100部隊の生き残りも多くいて、やはり二世で戦後アメリカ軍に入り日本に駐留した経験を持つ叔父との繋がりで、何度か会う機会がありました。同じ日系人が集まるパーティでも100部隊出身者ってまるで違うんです。叔父も中身は完全なアメリカ人で日本語も下手くそでしたが、彼らは日本語を全く話さないのね。知っていて話さないのかそれとも全く日本語がわからないのかは私にはわからなかったのだけれど、彼らより若い叔父の頃の日系人と違って、彼らは日本語は堪能であるはずだと私は疑っていました。でも日本語は話さないし、アメリカ人。

でも同じ年代の二世でも従軍経験がない人たちは結構日本的で、ハワイ訛りの日本語も話すので、全く違う日系人というイメージがありました。話をしていても価値観が違うのが私にも分かった。

戦前のハワイでは島民の40%が日系人だったと言われるぐらい多くの日本人がいたわけですが、彼らのほとんどは貧しい農民。いわゆる農作業をする移民たちで、中国人やフィリピン人と共に農場で働いていた人が多かったとのこと。彼らがアメリカ人社会でどういう扱いを受けていたのかは簡単に想像できるわけですが、そんな時に「真珠湾攻撃」が起きた。どんな気持ちだったんでしょうね。当時すでに兵役についていた日系人の若者がいるわけですが、彼らはアメリカ本土に送られた。当然ですよね。寝返るかもしれませんから。でもそこから彼らのアメリカ軍人としての歴史が始まる。本土でも同じで、本土では日系人は収容所に入れられた(ハワイではそれはなかった)し、私の叔父もそうなのですが、その中でもアメリカ人として戦いたいと申し出る若者が多くいたわけですね。そして彼らも442連隊としてヨーロッパ戦線で戦った。

簡単にいうとそんな流れなわけですが、彼らはアメリカ人であるというプライドが非常に強いんですね。ですから私がハワイで彼らにあった昭和の終わりでも、他の日系人とはかなり違う雰囲気でした。

そうかと思うと、同じ日系人でも「日本万歳」という日系人もいたわけです。シアトル生まれの日系二世ですが、私の叔父の親戚にそういうのがいた。彼は戦前、日本に帰り日本で教育を受けてアメリカに戻った日系人。これを「帰米二世」と呼ぶ。聞いたところこの「帰米二世」にもいろいろあるようで、戦前に日本に帰りアメリカに戻った人、戦後アメリカに戻った人、そして戦後日本に渡り、また戻った人もいるとのこと。どこであの戦争を体験したかで違いがある。

こういう日本を引きずっている帰米二世、アメリカに忠誠を誓って戦った二世、そして私の叔父の様に収容所に入れらたけれど戦後アメリカ軍に入った二世もいる。そして私の姉の旦那ですが、2,3歳でハワイに渡り、そのまま育ってアメリカ人となった(自称)二世もいる。同じ二世で、同じようにアメリカ国籍を持ちながら日本に対する考え方が微妙に違う人達がいるってこと。でも共通点はみんな「ジャップ」であるということ。

彼らが一体どんな仕打ちを受け、何を考え、どう生きたかに思いをはせると「グローバル化」だの「国際人」だのという言い方がいかに的外れで脳天気なのがわかります。そしてそれはハワイやアメリカだけじゃなくて、世界のどこででも起きていることだし、そしてそれは決して過去の話ではないということ。

今の平穏な時代ではその国の国籍も取り、そこで教育を受けその地に暮らす人たちと同化していれば何の問題もないのかもしれませんが、「何かあったとき」にアイデンティティの問題が出てくるんですね。上に書いた私の姉の旦那ですが、いろいろありまして数年前にはアメリカ国籍を捨て、日本人に戻り(帰化)ました。またシアトル生まれの二世である叔父は、戦後20代でアメリカ軍に入り日本に駐留し、そして退役後日本に戻り日本で大半の人生を過ごすわけですが、彼は彼でアメリカでは収容所に入れられ「ジャップ」と呼ばれ、日本に来てからは生涯「変な外人」と呼ばれました。叔父は見た目は日本人ですが、日本語は下手くそ、そして中身は完全なアメリカ人でしたから。

彼の生涯に渡る「俺はだれ?」という苦悩は私にも分かりましたし、高齢になってから日本人に帰化し「生まれて初めての心の平穏を感じた」という言葉には想像もできない彼の苦悩と思いの深さを感じました。

私が子供を育てるときにはこの辺のことがわかっていましたので、子どもたちには「日本人のアイデンティティ」が持てるように育てたわけです。当然その基本になるのは日本語でしたし、文化、伝統、習慣、価値観全てにおいて日本で育つ日本人と全く同じものを持てるようにしました。どちらかというとオーストラリアで育ったものの(長男は3才、次男は1才から)、実態は「留学生」みたいなものかもしれません。

ですから、お前何人?なんて聞かれればもちろん躊躇すること無く「日本人」と答えますし、「日本人にしてはちょっと変だ」なんていう部分もないはず。仕事上でも日本育ちの日本人と全く違うことも無いようです。漢字が下手なくらいか?(笑)

私がいつも書く、海外で子供を育てるときに「アイデンティティ」が重要だというのはそういうことです。そしてアイデンティティとは単に自分がどう信じるかではなくて、他人からもそれを認められて初めてアイデンティティが確立するということだと思うのです。だから言語はもちろん大事ですし、文化、伝統、習慣、価値観においてもおかしなところがあればアイデンティティの確立はできない。上に書いた442連隊の日系人も同じで、彼らはアメリカ人であるという主張を認めさせるためにも勇敢に戦い、とんでもない多くの犠牲を払った。彼らの功績は多大なものがあって、それがあるからこそ戦後のアメリカにおける日系人の立場が確立され、一目置かれるのもそれが根底にあるからだと思っています。

ただ、上に書いた「帰米二世」の叔父はややこしい。アメリカ国籍を持ちながら日本で数年の教育を受け、日本語の方が得意で、中身も私から見たら完全な日本人。子どもたちはアメリカ人として教育を受けたのですが、難しい話になるとその叔父は日本じゃないと話せません。でも三世の子どもたちは日本語は不得手。

その叔父に、「叔父さんは日本人?」と聞いたことがありますが、一瞬「う~~~ん」と考えてから「アメリカ人かな?」という返事。この答えの異常さってわかるでしょうか。

海外で子供を育てる場合、ちゃんとしないとこういうことが簡単に起きてしまうということでしょう。この叔父の話ですが、日本という言葉をオーストラリア、あるいはマレーシアに置き換えてみれば他人ごとじゃないのがわかるはず。

結局、グローバル化とはこういうことだと思うんです。

大事にするとしたらグローバル化ではなくてインターナショナル化だと思います。インターナショナルとは、まずナショナルが元にあって、そのナショナル同士がどう付き合うかの場がインターナショナルでしょ。これからの日本に求められるのは、何人だかわからないような人たちの集まりじゃなくて、しっかりした「個」を持ちながらいかに「雑多」な世界で生きる能力があるか、ってことだと思うわけです。

そういう意味で凄いなぁと私が思うのは明治維新時の日本人で、海外に遅れてなるものかと海外から吸収するべきものは吸収し、そして彼らと正面から向かえ会える人材が多くいた。彼らは「グローバル化」を目指したのではなくて「インターナショナル化」を目指したのが簡単にわかります。羽織袴でチョンマゲを結って海外に出て行った彼ら。私は彼らを誇りに思うし、逆を言えばわけのわからん「グローバル化」した日本人なぞ居ても居なくても構わないと思うくらいです。

でも間違いがないのは、多くの企業がグローバル化していて、その中で働くとしたらグローバル化された労働者である方が都合が良いってこと。下手にナショナリズムなんか持っていたら邪魔になる。これに乗せられたら絶対にうまくない。

アメリカの442連隊関係の動画です。彼らの苦悩がヒシヒシと伝わってきます。(1時間11分)

なんで今日、こんなことを書いたのかということですが、最近ブログで話題にしている「日本に帰る」とか「日本も我々にとっては外国みたいに感じる」ということに関係しています。

私は自分は日本人以外の何者でもないと思っていますし、子どもたちもそうやって育てた。でもねぇ、やっぱり死ぬのは日本で死にたいとか考えるようになったものの、永住でオーストラリアに渡ってきてオーストラリアを第二の祖国として生きてきたものからすると、なんだか日本が遠く感じるんです。私にとっての日本って過去の日本でしか無くて、たった20数年の間に、生まれ育った街は大きく変貌してしまったし、友人知人もほとんど居ないし、付き合いのある親戚も居ない。当然帰る家なんかないし、日本の今の事情も良くわからない。だから日本に帰っても「帰国」という言葉を使うものの、感覚的には「外国旅行」に限りなく近いんです。

つまりですね、アイデンティティが大事だのなんだの偉そうに言っていますが、じゃぁ日本に帰って普通に生活できるのかと考えると疑問があるんですね。これは子どもたちも同じのはずで、「日本人」のアイデンティティを持ちながら、じゃぁ、日本に行って生活する?となると、海外に行くのと全く同じ感覚を持つはず。

結局、上に書いた「帰米二世」と限りなく似ていて、ただ違うところは確固とした日本人としてのアイデンティティだけは持っているというだけ。

フト、あのルバング島から戻った小野田さんを思い出しました。彼ほど日本人らしい日本人はいないと思うのだけれど、結局彼はブラジルで生きることを選んだんですね。彼の知っている日本と、彼が帰った時の日本は全く違う国になっていたから。

どうも今の時代、似たように感じる人達は少なく無いようで、海外に永住した人たち、あるいは人生の大半を海外勤務で過ごした人たちが多い。実はヤフーチャットに「海外組」が集まる部屋があって、そこにそういう人たちが集まるのね。すでに定年退職して日本に戻ってきたけれど、それこそ友人知人はみんな海外にいて、日本では孤独を感じるような人が結構多い。マレーシアに行こうかなんて考える人達の中にもそういう人がチラホラ見えます。かつて赴任経験があったマレーシアに居る方が日本より落ち着くみたいな。

ま、この辺は考えてもどうにもなることではなくて、根無し草は根無し草として生きる道を探すしか無いのかもね。(笑)

グローバル化なんてものはそれを目指すべきことじゃなくて、そうならないようにすべきことだと思いますわ。でも海外に長くいるとそういう悪い意味でのグローバル化、根無し草化が進むってことなんでしょう。結局、子育てもそうだし、我々もそうで、日本を自分の中に持ち続けるためには、定期的に日本に住む期間を作らないとどんどん離れてしまうんでしょう。そういえば、日本に帰りたいけれど帰れないなんていう日本人とアメリカで何度かあったことがありますが、結局こういうことなんだというのが今になって良く分かる。

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海外育ちのアイデンティティ:帰米二世と442連隊” への2件のコメント

  1. 小さい頃にアメリカに渡り、全ての教育をアメリカで受け、英語も日本語も完璧に操りアメリカの俳優として活躍してる人を知ってますが、彼は躊躇なく自分は日本人だと言ってました。日本で暮らした事がないにもかかわらず。彼の凄いところは、何があっても、何が起きても、自分は日本人だと言い切るところでしょうか。いろいろ苦労というか困難というかがあったのかもしれませんが、絶対に自分は日本人だという姿勢を崩しません。自分に対する自信、日本という国に対する誇りのようなものを感じました。

    • その方の話を聞いて思うことは、我が息子たちも同じであろうということ。

      そして「アイデンティティは海外で感じること」なのかもしれないってことです。

      自分は日本人だと信じきって海外に生きていて、では日本に帰ったらどう感じるか。そこなんですね、大事なところは。「自分の中の日本人」と「日本の日本人」と同じなのかどうか。帰りたいけれど帰れないという複雑な気持ちを持つ海外在住の日本人が多いのはそこのところだと思います。単に生活環境とか住みやすさではない「何かしっくりこないもの」があるんじゃないでしょうか。

      正直なところ、私の息子たちですが彼らの持っている「日本人像」とは(親によって)作られたものであると言って良いかもしれない。実際に日本で住んだこともなければ教育を受けたわけでもありませんし、こんなことは考えたくありませんが「偶像崇拝」に似たものがあるかも。そしてそれが私自身の中にも存在するのがわかるわけです。

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