「『永遠の0』の何が問題なのか?」を読んで腹が立った

永遠の0を皆さんご覧になりました?私は小説は読みましたが映画はまだ見ていません。小説と映画とどう違うかも知りません。ただ戦争がどうの特攻がどうのじゃなくて、エンターテイメントとしての映画の出来は素晴らしいと聞いています。早く見たいなぁ~~。

ところで、この永遠のゼロを批判する人も世の中には結構いて、小説そのものはフィクションであり、映画はエンターテイメントであるのに永遠の0が主張することに拘る人がいるのね。私はそれはおかしいと思うのだけれど、真剣に否定する人がいるので私もそれに対して真剣に反対したいと思いました。(笑)

その意見はニューズウィークの日本語版に掲載されました。まずそれを読んで頂きたい。

『永遠の0』の何が問題なのか? – 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代  ← クリック

この冷泉彰彦とやらが主張することに私はびっくりしました。こういうおかしな奴もいるんだと。まぁ、彼の意見に同調する人は私が狂っていると思うのでしょうが。(笑)

フェイスブックに書いたのですが、このブログにも載せようと思います。

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プリンストン発でニューズウィークに乗るくらいだからどれほど凄いことを言うのかと思ったんだけれど、正直なところこんな程度なのかとびっくりした。「個」を何よりも大事にするからこういう風にしか考えられないのだろうけれど、特攻というのは何も特別な行為ではなくて、動物の本能に根ざしていることが理解できないのね。また、戦いとは戦争にかぎらず現代の社会における経済戦も同じで、負けたら自分は死ぬ、抹殺されるのが前提となっている事がわかっていない甘さを感じる。また個の負けと全体の負けはイコールではないわけで、「個」と「全体」の関わりもわかっていない。

確かに「国軍として正規の作戦命令」として発令されたこと、実質的には「自爆攻撃を強いた」ことに問題があるとは思うけれど、「敗戦を前提とした絶望的なもの」というのは歴史誤認だし、彼の論理だと「勝てるなら特攻は是」とも読めてしまう。「特攻は無駄ではなかったという心情を否定しきれていない」「そのような作戦を採用したという事実は、公的にも私的にも強く否定されなくてはなりません」という点は、彼が何度も書く(個にも国にもある)「ジレンマ」を彼自身がわかっていないと思う。そもそも人間には命を賭けても守りたいもの、捨てることはできない意地があることを全く無視しているし、長いものには巻かれろという生き方を拒否することが「自分を生かす」ことだという心情も理解できていないのがわかる。生きることそのものがジレンマなのに。

極めつけは「戦争や作戦は否定しなくてはならないが、個々の犠牲には畏敬の念を抱く」というジレンマを背負わなければならないのは「日本は戦争に負けたから」と結論づけているところ。狂っているとしか思えない。勝ったなら是なのか。もし勝ったにしても特攻は悲しみの中の美であってジレンマから逃れることはできないだろうに。「敗戦国が、負けた戦争の正当化をするということは、名誉回復へ向けた闘争を宣言することになる」ということを否定しているけれど、勝敗は時の運でもあって、それが事実や正義を変えることはできないのに、しかしそれが世界のルールではあっても、正義もあったことを否定することはできない。これは勝者(戦勝国)でさえ敗者(敗戦国)のそれを認めているのであって、単にルール上、それを表立って認めることはしないだけのこと。誰もがわかっていることなのに、良い子になってルール通りに黙れ、忘れろというのは人間の尊厳を捨てろと言っている世の中の事をまだ何もわかっていないけれどリーダーを気取る小学生の学級委員を連想する。だから敗者であるのは認めた上で、事実を主張するのは間違っていない。日本が戦争に勝ったことにしてくれと言っているわけじゃない。(笑)

「戦没者への畏敬の念を持つことが、新たな紛争の火種になって行くのです。それは、日本を改めて孤立に導き、日本の繁栄を傷つけ、安全を保障するのではなく逆に危険を引き寄せて行くことになるのです。戦勝国が寄ってたかって日本を再び悪者にしようと思えばできる、そうした口実を与えるだけなのです。だからこそ、戦没者の個々人の犠牲には畏敬を払いつつ、戦争の全体や個々の誤った作戦への批判は続けなくてはならないのです。」この部分を読んで、こいつは根性も志も夢さえない、負け犬根性に毒された馬鹿なガキだと思った。四面楚歌の中でどうやって自分の居場所を作るのか考えるのが脳みその役目だろうに。目の前の利益を最優先する若造かと思って調べたら、著者は1959年生まれ(笑)。日本語学校の教師だとのこと。嗚呼・・・・・・・・。こんな程度でリベラル派を気取られたらリベラル派も怒るんじゃない?

国家観もなければ、全体の中の自分の存在価値もわからないやつが教師か。国家観がないということは世界観もないのと同じで、また都市も街もご近所さんも関係なくて、そこにあるのは「個の権利と利益に固執した」市民の存在だけ。

彼の前世はきっとバッタで私は蟻か蜂だな。(笑)

あるいは古代の奴隷がいる時代に生きたとすれば、彼は奴隷を管理する奴隷だったろうと思った。勝者のみを正義だと信じたなら人間の進歩はそこで止まる。

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「『永遠の0』の何が問題なのか?」を読んで腹が立った” への2件のコメント

  1. 冷泉彰彦氏に対する評価を検索していて、偶然、この記事を拝見しました。

    「奴隷を管理する奴隷」

    冷泉氏の書くコラムや記事に対して、以前から何となく違和感や不快感がありましたが、この言葉は腑に落ちました。

    どうもありがとうございました。

    • どうもありがとうなんて言わないでくださ~い。

      この日記を書いた時には本当に頭にきて、「この馬鹿たれが~」と思いながらでしたので、文章もかなり乱暴になりました。

      特攻に関しては本当に悲しい出来事ですし、強制したなんてとんでもないし絶対に許せませんが、どんな気持ちで死んでいったかと思うとそこにあったのは悲しみや恨みつらみだけではないと私は思うのです。そして彼らを美化するのではなくて、命を捧げてくれたことに関しては我々子孫は未来永劫、感謝し続けなくてはならないと思っています。

      そして二度と同じことが起きないようにしないとならないのは当然ですね。

      でもここぞという時に命を掛けて戦うのは、私は人間、いや生命の本能だろうと思っていて、それを美化はしないもの否定もしません。自分の愛するものに危機が迫ったら、私はこういう時代でも命をかけて飛び込んでいくつもり。勝てるかどうかの計算なんかしません。

      こんなジジーに何ができるわけでもありませんが。(笑)

      きっとこの冷泉という男は「愛したことがない男」だろうと私は思うのです。いや、自分のことを一番愛しているのか。

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