日本の戦略的利益

安倍さんの靖国参拝で、随分世界的に叩かれる形になっているけど、どんなもんなんでしょうか。

経済的なことを考えれば、絶対に参拝は反対。A級戦犯は分祀しろとか、他の追悼施設を作れとかってことになるんだろうと思うのですが、本当にそうやって他国(あの二国)との良い関係を保とうとする必要があるんでしょうか。

そもそも、反日、排日、侮日ってのは彼らの建国の柱になっているわけで、彼らが主張する内容の信憑性とかそういうのは全く関係ないと私は見ています。ただのプロパガンダのネタでしかない。だからもし分祀したところで、次にまた別のカードが出されるのはミエミエでしょう。BC級を言い出すだろうし、合祀されている半島人、外国人の扱いにも言及してくるのは必然。

慰安婦にしてもある時期から言い出したわけで、また今後は、え?と思うような話が出てきても全然不思議じゃないと思うんですよ。

彼らの根拠って非常にいい加減で、嘘や捏造が満載だけれど、結局、歴史的にプロパガンダで生きてきた国ってそんなもんで、ネタそのものよりプロパガンダが成功するかどうかの手法と結果の方が大事なんでしょう。

だから彼らに対する思いやりとは妥協以外の何物でもなくて、それは彼らのプロパガンダに負けたことを意味するし、それ以上でもそれ以下でもないと思っています。まぁ、はっきり言ってヤクザと同じ。

でもアメリカも諸外国も、日本に自省が必要だという。日本国内でもそういう声は大きい。

ヤクザのいうことを聞けと。それが日本の戦略的利益になると言う。

日本の戦略的利益ってなんなんでしょうね。私としては長期的に見た場合、日本の主張を通すのが日本の利益になると考えています。

アメリカの上下院で慰安婦問題に関して認めろ、謝罪せよと再び決議されてしまいましたが、これもどさくさに紛れて通った法案。これにオバマが署名するとしたら、私は日本も言いたいことを言うべきだと思っています。「二国間の問題に他国が介入するのであれば、日本とて今までは封印してきた主張をせねばならない」と。戦後日本の婦女子がどういう目にあったのか。また朝鮮戦争時、ベトナム戦争時に何があったのか、これに言及しなければならないと。そもそも戦勝国は常に正義であることにも異議を唱える必要があると私は思っていて、ネズミを中心にまとめて焼き殺すような作戦であった東京大空襲、広島、長崎も同じで、戦争を早く終結するために一般人の大虐殺が許されるなら、同じ理屈は敗戦国にも許されるはず。また湾岸戦争に関しても全く総括がされておらず、イラクには大量破壊兵器がなかったことをシャーシャーと後に認め、パウエル元国務長官は国連安全保障理事会で「わが人生の汚点」と言った。でもブッシュは野放し。また少なくともアメリカにおいては反省がなされているのに、日本では小泉はもちろん、イラク侵攻支援を騒いだマスコミもだんまりを決め込んでいる。私はこの件一つだけでも小泉は政治家にあらず、人にあらずと思っています。

強いものにはひれ伏すことを良しとしないのが日本人のプライドであって、それを出すこと、それすなわち大東亜共栄圏思想に繋がるわけで、また世界から孤立する可能性大。でも私はそういう日本の生き方も良いんじゃないかと思うわけです。今回は軍事力を使わない、欧米列強とそれにぶら下がる事大主義国家群との戦い。これに勝たない限り、戦後レジームからの脱却はありえない。

媚を売って経済大国になって、それで幸せなのか。自分の子供がそういう生き方をしていたら活を入れるのが親の役目だと思うのだけれど、日本そのものがそういう生き方をするって絶対おかしい。

ちなみに、ドイツに学べという声が結構大きいけれど、最近のドイツでの世論調査では「参戦国全てに罪がある 58%」(ドイツに主な責任がある 19%)という考え方が台頭しているとのニュースもあった。至極当たり前の考え方だと思う。

でも喧嘩両成敗が基本だとするなら、戦争なんかする馬鹿はいなくなる。勝っても意味がないわけだから。

でもこういう私みたいな考え方って、それこそが平和ボケなのかもしれないと思ったり。日本は島国で他国から攻められて国が滅ぼされたなんてこともなければ、首都陥落どころか地方都市さえも取られたことがない。満州引き上げ時に多くの日本人が苦労したけれど、それと同じ事が日本本土で起きたことは一度もない沖縄だけ。ところが世界の国々ってそれを何度も体験しているんですよね。国は滅亡し、民は略奪され殺され奴隷となったり、そんなことが世界では繰り返されてきたけれど、日本では仲間内の戦いがあっただけで、異国、異文化に国が取られる恐怖を知らない。だから負けたくせに、正義では勝ったとか、こちらにも言い分があるとか、それって戦争を知らない子供の言い草かもしれない。勝ったら善、負けたら悪。これを知らないのは日本人ぐらいなもんなのかも。

でもそれだけに和の精神が育った非常にまれに見る国だとも思うわけで、もしかしたらこの日本の思想こそが世界平和にはベストなんじゃないかと思ったり。パワーポリティクスしか通用しない世界なんて、全く存在価値すらないと思うんだけどなぁ。そんなことはわかっているけれど、リアリズムを追求すれば、勝ち残るしかないってことなんだろうけど。

500年後、1000年後の世界を見てみたいなぁ。日本は存在しているんだろうか。

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日本の戦略的利益” への2件のコメント

  1. この前、韓国での仕事経験のある方たちと飲む機会があって、、1人は、息子にも「韓国から見たら日本は巨大。同じアジア人として仲良くしてゆくように」1人は、「絶対無理(→仕事で、大変努力したのに、突然ホゴにされてしまって大迷惑)で、並行線のまま。。私は黄色人種(アジア)同士、仲違いしないほうが、、で、これも平和ボケ(この表現は、差別語になっちゃうかな)かもしれませんね。
    「日本は、異国、異文化に国が取られる恐怖を知らない」のはとても幸運で、母国語を英語にという政治家もでてくるのでしょうね。和の精神はいいなーと思います(ゴールドコーストの刺青shopの看板に、「平」→peaceと表示してるのを見て、「和」のほうがいいのでは?と思いました。)私は日本で昭和の貧しい育ちで、ブラウン管や洋書の画像で見る欧米文化に憧れた世代。
    原爆も東京大空襲の悲惨さもくりかえし教えられましたが、同時に、自国がまねいた罰という教育でした。

    韓国が、ユネスコの記憶遺産に、慰安婦の資料を申請するというニュース見て、、、
    記憶遺産が人類の贖罪のためのものなら、数々の虐殺も(東京大空襲も酷い写真が残っていて、ネット全盛の現在であれば、世界を震撼させたのでは、、)。。

    いつも引用ばかりですが、内田樹のコラム『従属と謝罪』読むと、敗戦、東京裁判から現在までのことを学ぶ機会が学校の「日本史」ではなかったなと思います。そこが曖昧なまま沖縄の基地問、慰安婦問題がくりかえされてる気がします。
    ↓(引用)
    「東京裁判は戦後日本に対して二つの義務を課した。
    一つは、敗戦国として戦勝国アメリカに対して半永久的に「従属」の構えをとること。
    一つは侵略国としてアジアの隣国(とりわけ中国と韓国)に対して半永久的に「謝罪」の姿勢を示し続けること。
    従属と謝罪、それが、東京裁判が戦後日本人に課した国民的義務であった。
    けれども、日本人はそれを「あまりに過大な責務」だと感じた。二つのうちせめて一つに絞って欲しいと(口には出さなかったが)願ってきた。

    ある人々は「もし、日本人に対米従属を求めるなら、日本がアジア隣国に対して倫理的疚しさを持ち続ける義務からは解放して欲しい」と思った。別の人々は「もし、東アジアの隣国との信頼と友好を深めることを日本に求めるなら、外交と国防についてはフリーハンドの国家主権を認めて欲しい」と思った。
    伝統的に、従属を求めるなら謝罪義務を免除せよと主張するのが右派であり、独自の善隣外交を展開したいので、アメリカへの従属義務を免除して欲しいと主張するのが左派である。
    そういう二分法はあまり一般化していないが、私はそうだと思う。
    その結果、戦後の日本外交は「対米従属」に針が振れるとアジア諸国との関係が悪化し、アジア隣国と接近すると「対米自立」機運が高まるという「ゼロサムゲーム」の様相を呈してきた。
    具体的に言えば、戦後日本人はまずアメリカへの従属を拒むところから始めた。内灘・砂川の反基地闘争から60年安保闘争、ベトナム反戦運動を経由して、対米自立の運動は1970年代半ばまで続いた。
    高度成長期の日本企業の精力的な海外進出も対米自立の一つのかたちだと解釈できる。江藤淳はアメリカ留学中にかつての同級生であるビジネスマンが「今度は経済戦争でアメリカに勝つ」とまなじりを決していた様子を回顧していた。敗軍の兵士であった50~60年代のビジネスマンたちの少なからぬ部分は別のかたちの戦争でアメリカに勝利することで従属から脱出する方位を探っていた。
    だから、日本国内のベトナム反戦運動の高揚期と日中共同声明が同時であったことは偶然ではない。このとき、アメリカの「許可」を得ないで東アジア外交を主導しようとした田中角栄にアメリカが何をしたのかは私たちの記憶にまだ新しい。
    同じロジックで政治家たちの「理解しにくい」ふるまいを説明することもできる。
    中曾根康弘と小泉純一郎は戦後最も親米的な首相であり、それゆえ長期政権を保つことができたが、ともに靖国参拝で中国韓国を激怒させた経歴を持っている。彼らはおそらく「従属義務」については十分以上のことをしたのだから「謝罪義務」を免ぜられて当然だと思っていたのだ。
    その裏返しが「村山談話」を発表し、江沢民の反日キャンペーンを黙過した村山富市と東アジア共同体の提唱者であった鳩山由紀夫である。彼らはともに「謝罪義務」の履行には心を砕いたが、アメリカへの「従属義務」履行にはあきらかに不熱心だった。
    このようにして、戦後70年、従属義務をてきぱき履行する政権はアジア隣国への謝罪意欲が希薄で、対米自立機運の強い政権は善隣外交を選好するという「ゼロサムゲーム」が繰り返されてきた。
    このロジックで安倍首相の行動は部分的には説明できる。今回の靖国参拝は普天間基地移転問題でのアメリカへの「従属」のポーズを誇示した直後に行われた。「従属義務は約束通りに果たしたのだから、謝罪義務は免じてもらう」というロジックはどうやら首相の無意識にも深く内面化しているようである。
    問題は、アメリカ自身は「従属か謝罪か」の二者択一形式には興味がないということである。彼らが同盟国に求めているのは端的に「アメリカの国益増大に資すること」だけである。「われわれはアメリカに対して卑屈にふるまった分だけ隣国に対して尊大に構える権利がある(その結果アメリカの「仕事」が増えても、その責任は日本に従属を求めたアメリカにある)」という日本人の側のねじくれた理屈に同意してくれる人はホワイトハウスにはたぶん一人もいないだろう。」

    • 最近、感情を横において世界の中の日本を考えることが多いのですが、そうすると全く違うものが見えてくるのが面白いと思いました。と、同時に、世界は「自国の利益」だけで動いていて、そこには理念、真実、正義なんて全く存在しないと断定しても良いような気がしています。主義も単なる看板に見えて来ます。

      日本の行く末にしても、自分はどうあって欲しいのか、国民としてはどうか、政治家として、日本の利益はどうかと考えていくと全く違う答えが出てきます。そして国はやっぱり「自国の利益」だけで進むべきだろうと、結構危ない考え方が芽生えて来ています。(笑)

      つまり、日本人として守るべきものなんかないという前提になるし、靖国参拝もそこに利益があるのかないのか、そういう考え方になってきます。

      自分としてはこうであって欲しいと願うことは山の様にありますが、それって日記にも書いた「平和ボケ」かもしれないし、スーパーマンの格好をして正義の味方を気取る子供のような気もしてくるのです。

      「潔く死ぬ」のは日本の美徳であると考えますが、国がそこに美意識を持ってはいけないと考えるようになりました。

      「従属」と「謝罪」の間で揺れ動く日本も大人になり切れない子供の行動にも思えてきます。

      これは従属と謝罪という二つのラインがスパイラル上になって続いていく螺旋状に我々の精神が乗っている限りそこから脱却できることはありえず、従属するでもしないでもない、謝罪するでもしないでもない、その「従属」と「謝罪」の概念そのものを日本の中から追い出す必要があると思います。このバランスを取ろうと努力することさえ無意味に感じます。

      日本がそこから抜けることが出来ない、また世界の中でもその場に押し込められたままというのは、やっぱり日本には柱となる文化を作り出すだけの能力がないということであって、大東亜共栄圏思想もアジアを動かすだけの力はなかったと思うのです。つまり、殺戮だろうが侵略だろうがそれを正当化してしまうだけの力を持ったキリスト教であるとか、民主主義とか、あるいは共産主義のような人民はもちろん国家さえそれを認めるようなインパクトがある文化を日本が作れていないということだと思うのです。だから日本が偉そうに主張することはどこの誰も許さない。いつか日本が「和」を中心にした文化をはっきりした形で世界に見せ付けることが出来れば、新しい勢力としてその位置を得ることが出来るんでしょうが・・・。

      そういえば、最近注目している若手の言論人で、戦後レジームとは何か、それは二重螺旋のようなものであるというのがいます。彼の分析って非常にユニークで、そして当たっていると思いますし、その動画がありますので日記で紹介しますね。

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