ゆるいって良いですね~

ブログを続けるって結構大変で、ネタがないんですね。無ければ書かなければいいのですが、書かねばならぬという強迫観念があって、いつも何かネタがないか探す毎日。 (笑)

で、ネタを得る一番の元はやっぱりコメントとかメールで頂く内容。ブログの内容に関連しているわけですから、そこからネタを得て、話を広げると言うのが一番楽。

で、また、コメントからネタを頂戴しました。

マレーシアには「ゆるさ」があるというコメント。それがゆとりにも繋がっていくと。

これ、ヒジョーーーに良くわかります。私がオーストラリアに感じるのもまさにそれですから。もしオーストラリアが日本みたいに神経質な国だったら、言語、習慣、価値観は元より、法律、規制もまるで日本とは違うわけで、そんな中でやっていくのは苦痛以外のなにものでもないと思います。

では「ゆるさ」ってなんだろうと思うわけですが、これはゆるさに限らず、そういう感覚って絶対的なものは存在しないですよね。大きい、小さい、熱い、寒いも同じ。何をもって大きいというのか、熱いのか。

そりゃ簡単な話で、自分の持っている基準となる「物差し」と比べて、ってことですね。

全てはその物差しと相対的な関係で判断するわけですよね?

で、なぜマレーシアやオーストラリアでゆるさを感じるかと言えば、それは今まで生きてきた自分の世界の標準的な物差しで比べた場合、ゆるく感じるってことだけなんですね。

つまり、「日本と比べてゆるい」ってこと。

では、日本人が持つ物差しを持っていなかったらどう感じるのでしょうか。私が気になるポイントはここなわけです。

「ゆるさ」には「自由」も同居しているわけで、そういう国で自分の子供達をゆったり育てたいと思ったからオーストラリアに来たわけですが、ではオーストラリアで育った子供はオーストラリアに「ゆるさ」を感じるのかどうか。

答えは絶対に「ノー」だと思うんです。

理由は簡単。そのゆるさが彼らの基準になっていて、他の厳しい国のことは知らないわけですから。

前にも書きましたが、次男坊が中学生の頃に言った言葉があります。

「パパ、僕は日本人みたいに死に物狂いで働いて、そんなにまでしてお金持ちになろうとは思わない」

ま、そんな感じのことでした。これを言われたときに、まさに物差しの違いを感じました。「日本人は金持ちになるためじゃなくて、普通に生きるためにあれだけ働くのだよ」と言いましたが、次男坊は「ふーーん」と言っただけ。

この感覚の違いってかなり重要だと思うんですよ。

多くのロングステイヤーがマレーシアで住むことを「ご褒美人生」と言いますよね。その言葉を広めた人がいるわけですが、なぜご褒美なのか。私には全くそれが感覚としてわからないのです。

なぜか?

私は自分にご褒美をあげたくなるような生き方をして来なかったから。

好き勝手なことをしてきたのに、それにご褒美を上げたらとんでもないと思うくらいで、本来なら今後は世間にお礼をする生き方、あるいは懺悔の生き方をしないとならないと思ってます。

でも自分にご褒美をあげるという考え方に疑問を感じない人が多いって、やっぱりそれだけ自分の意に反することを「生きるために」やってきた人が多いってことなんでしょうね。だからゴルフにしても旅行にしても、あるいはただぼんやりするだけでも喜びがあるんでしょう。でも私にはそれがない。今まで通りのゆるい生活が老後も続くだけですから。 (笑)

苦労は無かったのかと言えば無いわけがない。でも無いのかもしれないとも思うんです。自分で好きなことをしてする苦労って苦労じゃないんですね。そういう意味で言えば、私は苦労をしたことがないと言っても良いかも。

厳しい世の中に生きてきた人たちが、マレーシアやオーストラリアに来て「ゆるさ」を感じて、いいなぁ、楽しいなぁって思うのは当たり前って言えば当たり前ですよね。

でも子供達にそれが理解できるかと言うとそれはないんじゃないでしょうか。逆に日本に行ったら息が詰まる、死ぬと大騒ぎしそうです。

これは一般的なオーストラリア人だってそう思うはずで、単身赴任、残業、こういう日本では当たり前のことだけでもオーストラリア人にしてみればとんでもない話で、もしオーストラリアがそういう社会になったら暴動が起きるかも。少なくともそういう会社には見向きもしないんじゃないかなぁ。

つまり何が言いたいのかと言うと、自分が持っている物差しで計って良いと思ったことでも、それはその地で生きた人にはただの常識でしかないってこと。

ゆるいことが普通に育った子供がどうなるのか、これは私の心配するところでもあります。長男の場合は日本で就職が決まっていますが、ノルマや残業が凄いと有名な企業で、結構給料が良いじゃんと思ったらなんのことはない、何十時間分の残業代が入っているそうです。これって法律違反のはずだけれど、まぁ、そんな会社で、夜10時、11時に家に帰るれるかどうかというような会社。

日本では、だから?って感じでしかないかもしれませんが、息子達にとっては地獄以外の何物でもないと思います。

次男坊はといえば、ラッキーなことに世界4大監査法人の一角に就職し、もう仕事が始まっていますが、彼が就職先を探している時の第一優先事項ってなんだと思います?

「5時に仕事が終わる会社」 (笑)

嘘みたいですが本当の話。で、今の会社は本当にそんな会社なのかと聞いたら、まぁ、5時にぴったりということはないけれど、残業らしい残業はないとのこと。

おまけにオーストラリアでは、4週間の有給休暇が法律で義務付けられていますから、日本から見たら天国みたいなサラリーマン生活。でもオーストラリアではそれが当たり前ですから、自分達がそういう恵まれた環境にいるなんて思わないのね。

似たような話で、良く日本の友人と税金の話をするんですが、みんな口をそろえて税金が高いって言います。嘘だろ?って私は思うわけで、もし日本の税金が高いと思う人がオーストラリアに来たら気が狂うんじゃないでしょうか。

でもまぁ、日本で生きてきた人たちって北朝鮮は別にしても、どこへ行ってもいいなぁ、なんて思うかもね。

私が若い頃グアムで感じたものはまさにその「ゆるさ」で半端じゃない衝撃を受けたわけです。それこそパンツにゴムが全く入っていない状態。ゆるゆるなんてもんじゃありません。これを知ったときにはこういう中で生きて行きたいと思うのも、日本で重圧感を感じていた人なら誰しも同じかもしれない。

日本ってゆるくない国ですよね。価値観も狭い範囲のアローアンスしか認められていなくて、あああるべき、こうあるべきで固められた価値観の国。そしてその通りに生きることが求められていて、個性だ自由だなんてのはただの掛け声でその実態は無いに等しいなんて思うこともあります。

でもそういう国だから教育レベルも高く、いわゆる中間層が厚いんでしょう。そして一生懸命働くことが美徳とされているし、嘘をつかない、約束は守るという世界ではなかなか出来ないことが日本では普通に守られているという不思議な国。

これが明治維新で西洋化に成功し、まさかの欧米人の無敵と言われた軍隊を駆逐し、また戦後、奇跡と言われた復興、発展を成しえた根本の理由だろうと思います。

こういう中で育った国民はオーストラリアやマレーシアはゆるゆるだと思うのが当たり前ですよね。だから生活するのは楽ちん。ストレスもない。でも仕事をメインで考えると冗談じゃないってことも多くあるのでしょう。

あ、そうそう、面白い言葉を思い出しました。昔ですね、駐在組みにこんな言葉が流行っていたことがあります。

1豪 3アメ ヨーロッ8(いちごう さんあめ よーろっぱ)

どういうことかというと、その年数その国に居ると、日本に帰ってから使い物にならないという意味です。オーストラリアはトップの1年。(笑)

日本が世界を追い落としている頃の言葉でしょうが、まさに日本って軍国主義とはいわないけれど全体主義でそれぞれの個性や自由を制限し、どうあるべきかというはっきりした基準を作り、皆がそれを受け入れそうなるように努力した結果が日本の発展の礎なんでしょう。

でもその狭い許容範囲に我慢できない人間はいるわけで、またそれがあるから平均点は高くても天才はいない国だと言われるようになった。だから恐ろしいほどの才能がある人たちはさっさと日本を出てしまうし、私の様に日本で良しとされる価値観の許容範囲からはみ出た人間は日本を出るしかなくなる。(笑)

さて、どっちもどっちで、何が良いんでしょうか。私にはわかりません。でも少なくともそういう日本を否定はしません。

納期に厳しいとか、予算達成にしてもそうで、出来ない理由は認めない。約束の時間に5分でも遅れようものなら、遅刻!と怒鳴られ、スーパーに賞味期限の過ぎた商品があれば店長を呼び出して文句をいうような国だからこそ一定のレベルが保たれているのでしょう。

でもそんな息苦しい国は嫌だと思って海外に出ると、「ゆるーーい」感じで温泉にでもつかっているような人生を送れる。 (笑)

そしてそういう海外で日本の感覚で仕事を頑張ると重宝されるのね。出来るやつだと。特に発展途上国ではそうなんじゃないですか?

昔の話です、ゴールドコーストのある日本企業の支店長ですが、結構バリバリやる人でした。でも日本では係長だそうです。まぁ、私はたいしたもんだと思いましたが、逆に、たかが係長で偉そうに~なんて思われる存在でもあったのですが、ゆるい国ではそれが普通に起きるんでしょう。技術的にもそうで、日本では現場の一技術者でも発展途上国に行くと管理者の立場になる。

ただ、先進国に行くと使えると言われる日本人は減るんですね。基礎的なものはしっかりしていてもその一つ上を行く独創性とかチャレンジ精神に問題があるのかもしれません。でもその部分は日本では潰される傾向があるんだから、無理と言えば無理。でもそれも現代の日本ではかなり変わってきたはずで、独創性、チャレンジ精神が重要視されるようになったのでしょう。とは言うものの、一般的に一直線の横並びの世界ではまだまだそういう人たちは異端児扱いされていると私は思っています。まだまだ日本は意識改革の発展途上だと思います。

でもま、オーストラリアみたいゆるい国だと楽なのは間違いがなし。手抜きでも十分生きていける。私みたいないい加減なのがのんびり生きてこられたのがそれの一番の証だと思います。

そこで問題なのは、そこで育った子供達は、そのぬるま湯が常識となるってところ。

要は何が言いたいかというと、オーストラリアがあるいはマレーシアがゆるいとか素晴らしいとかそういう絶対的な価値なんか存在しないし、単に自分がそう思っているだけってことなんですね。

それを子供達に押し付けた私達は、日本で日本の価値観を押し付けるのと全く同じであろうと言うことです。どこが良いも悪いも、親と子供と考えることは全く違うんじゃないでしょうか。

また私は30代に日本を出たわけですが、今振り返って、日本で育ったことがマイナスどころか、日本で育った良かったと思っています。日本で育ったおかげでオーストラリアをゆるいと感じることが出来て、その思いが一生続くんですから。

でも子供達にはきっとその感覚はわからないでしょう。日本で働くことがあれば、日本人は狂っていると思うでしょうし、早くオーストラリアに帰りたいと思う可能性大。でもオーストラリアではゆるいとは感じない。それが普通と思うだけかも。

世界に通用する人材に・・・なんて思ったのが、ぬるま湯大好き人間になっただけだなんてね。

そう考えると軍隊と言っても良い様な日本育ちのほうが世界で通用する素質はあるのかもです。その強さに言語、独創性、積極性がプラスされれば鬼に金棒かも。

私がいつも書いている、日本の町工場でも商店でも海外に出たら勝てると思うのはそういうことでもあります。

日本の自虐史観に似たものがあらゆる方面に浸透しているような気がします。海外崇拝も適当なところで止めておかないと。

さて、子供達ですが、どうなりますかね~~~~。

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