へそくりの重要性

今日はヨメサンと久しぶりにゆっくり話をしました。車に長時間乗っていましたから。って、我が家は本当に会話が少ないんですよ。くだらない話を短時間ってことはいくらでもありますが、まともな話題をじっくりというのが無い夫婦。そうしようと思ってもほぼ100%途中で喧嘩になりますから。でも今日は喧嘩にならず。

何を話していたかと言うと、女房としてのへそくりの重要性。

この歳になると、友人知人はもちろん兄弟姉妹の中にも経済的にうまくいかないとか、破綻したなんて話はいくらでもあるわけですよ。で、その原因は何にあるかという話なんですが、それは嫁さんのへそくり作りとその管理が下手ということで、夫婦の意見は合致。

単に家の家計の管理ってことじゃなくて、あくまで旦那の知らないへそくりの管理なのね。

あの人もそうだった、この人もそうだった、なんていくらでも該当者が出てきます。ヨメサンの妹もそう。

皆さん、本当に旦那を愛していて尽くすタイプ。でもこれが裏目に出るんでしょう。

男なんて子供と同じだと思えば間違いが無いのに、「今、家にいくらある?」なんて聞かれて正直に言っちゃう嫁さんが多いみたい。でも公式な(笑)家計のことはオープンで良いにしろ、「お前、お金持ってない?」なんて聞かれて「少しぐらいはあるわよ」なんて下呂っちゃうことも多いんでしょう。

遊ぶ金なら黙っているでしょうが、男は、どうしても必要な金なんだけれど都合が付かない、困ったっていうんですよね。自営業をやっている旦那なら、従業員の給料が払えないとか、手形が落とせないとか、そんな話は毎月のことで、何年かに一度は、今がチャンス!新製品を出したいとか、工場を拡張したいとか、支店を出したいなんて必ず言い出す。

ここで間違いが無いのは、こんなチャンスはもう二度と来ない、って言うってこと。私は、こんなチャンスは一生ないだろうなんて思うことが年に3,4回はありましたので、良くわかります。(笑)

相場も同じで、この株を買えばすぐに倍になる。絶対に間違いが無いとか。今この不動産を買えば数年で3倍になるとか(どこかで聞いたような話?(笑))、本当にその気になっちゃうってことが結構多いのね。

ここまで言われると、上を目指して欲しいとか、こんなに燃えている旦那を見たのは初めてだとか、男になって欲しいとか嫁さんは思うんでしょう。で、へそくりも出しちゃう。

私は小さい頃から、へそくりを作るのがうまい女性を嫁にもらえとか、そのへそくりをあんたにさえ内緒で増やせる女性が良いとか、一つのオニギリをこれが最後のオニギリと言いつつ皆で食べて、でも実はもう一個隠し持っている女性が良いとか、耳にタコが出来るぐらい母に言われて育ちました。

で、どうも私が結婚したときに、ヨメサンが呼ばれて、絶対にこれだけは守ってくれと、へそくりを作ることとそれを絶対に内緒にすることを言われたようです。

でもま、我が家の場合は、結婚直後、私は仕事も働く意欲も失って家にいて、ヨメサンが働いて稼いでくれた時期があるものの、お金に困って金策しまくるということはありませんでした。いや、あったか。どうにもお金がなくて健康保険証を持って五反田駅前のサラ金に行き、30万円借りたことがありました。(笑)

親しい友人で、ヨメサンが隠していたへそくり、子供の結婚資金としてこつこつ貯めていたお金も旦那がいつの間にか使ってしまっていたというのがいます。こういうケースは借金もかなりあるのが普通で、結局破綻しましたが、そこまでするか?というのが女性軍の考え方。でも私はその嫁がアホだと思いました。へそくりは隠すからへそくりであって、見つかるようなところへおいておくとか、預金通帳しかり、旦那がすぐおろせる様になっている事自体に問題があると思いました。

夜逃げするにしても、その後の生活資金、再出発の資金が必要だし、また倒産するにしても特定の人には絶対に返しておいたほうが良いというのがあるわけですよ。それがまた再出発の種になる。でも男にはその時すでに一発の弾も残っていないのが普通。こんな時に役に立つのが女房だと思うわけです。一緒に泣いているような女房は子供と同じ。

私の実家に大きな危機が二度ありました。一度目は私が幼い頃で私の記憶にはうっすらとしたものしかないのですが、オヤジが友人知人、親戚から、お金を増やしてあげるなんて偉そうなことを言ってお金を借りまくり、結局パーになったことがあります。もちろん我が家のお金もパー。このときはオヤジも反省したらしく、お袋に土下座をして謝ったそうで、トラックの運転手でも何でもするから許して欲しい、金は必ず返すと借りた人たちにも謝って歩いた。

そこまでやる気があるのならと紹介されたのが、当時動き出していた弱電の輸出関係。昭和30年代のはじめです。まだ日本が戦後のゴタゴタからやっと這い出た頃でしょう。

オヤジは輸出商の孫受けのさらに下請けみたいな会社に入って、ゼロから勉強し、すぐに独立しました。

まぁ、良いときもありましたが、小さな小さな中小企業で、家庭内手工業と言ったほうが良いような会社。私が小さなときに、学校から帰ってくると輸出用のエレキのコードとか、いろんなスイッチやコネクターの類を台紙をつけてパッキングするなんてことを手伝った思い出があります。

ただその会社もオイルショック、ドルショックの波を越えることが出来ず、倒産を待つばかりの状態になりました。で、もう駄目だ、倒産するしかないとオヤジが腹をくくった時に、「倒産じゃなくて、会社を閉めるのにいくら掛かるの?」とお袋が聞いたらしいです。もちろん会社がそんなになる前に、今お金が必要だとか、それこそ従業員の給料が払えないとか、手形が落とせない、金が無いかと何十回となくお袋は聞かれたものの、「無い」の一点張り。

だから会社を閉めるのにいくら掛かるのか聞かれて親父は驚いたそうです。でもXXXX万は掛かると言ったら、お袋はそれをポンと出したらしい。親父はその時、隠していたのかこの野郎とはならず、完璧なほどに打ちのめされていましたので、人生二度目の女房に対する土下座をしてお礼を言ったそうです。

後にこの話を聞いて、お袋に、一体いくら持ってたの?と聞いてもニヤって笑うだけ。これは今でもそうで、80半ばなのに自分の持ち金に関しては一切言わない人。

オヤジが中小企業で頑張っていた頃、母は新橋で商売をしていました。その店は父の母、私から見ると祖母が作った店なのですが、まぁ、老舗と言えば老舗なのでしょうが、大きな店でもないのにお袋はせっせと溜め込んでいたんですね。でもそれを旦那には一切明かさなかった。

ま、私にしてみればオヤジもオヤジで、自分の母が作った店を女房にやらせて、その内情を全く知らなかったっておっちょこちょいか、バカか、半端じゃないお人よしだと思いました。きっと、所詮小さな商店だとバカにしていたのでしょう。

でもま、それで我が家は助かった。ですから、へそくりを作ること、そしてそれは絶対に旦那に教えないこと、へそくりとは最後の最後のところで使う金だというのをお袋自身が実践していたわけです。大きくしたいとか、今がチャンスだとか、男が目を輝かせて夢を語るときに金を出しちゃ駄目ってことなんですね。また、借金が返せないというときにも出したら駄目。借金を返せば、またいつか借金するのは間違いが無いですから。そして、へそくりの存在を旦那が知れば、どんなことをしてでもそれを引き出そうとするのははっきりしているわけです。そのへそくりがどんな大事な金でも旦那は手を出す。

そもそも男ってどうしても金が必要なときは、空から金が降ってこないかなぁとか、宝くじに当たらないかとか、大金が落ちてないか、もし銀行強盗をしたらどうなるだろうなんて馬鹿なことを結構考えるのが私は普通だと思っていて、女房の金なんか、誰に気兼ねなく使える唯一の金なわけですから、ありとあらゆる手を使って引き出すに決まってます。男もその時は本当に真剣になっているわけですから。

そんな話をヨメサンと延々と話をしていまして、あの人もあの時にお金を出さなければ随分違っていただろうに、なんで出したんだろうねとか、3つ4つの例を出してああじゃこうじゃとやっていました。

そして、「そういえばお前もお袋にへそくりを作れとか、それを絶対に俺にばれないようにしろとか言われたんだよな?」と言ったんです。

すると、「それはそうだけれど、あたしって昔からそういう女よ。オニギリをこれしかないと一個出しても、もう一つポケットに隠し持つタイプ」だとさ。

それってまさにお袋が言った言葉そのものじゃないか!

ったく、偉そうに~~。へそくりなんて10万円程度しか持ってないのを私は知っている。(笑)

この歳になると思い出話しかなくなって本当に申し訳ないのですが、まさに私達の人生って思い出話で盛り上がる人生みたいなもんで、本当に歳を取ったと思います。

で、もう一つ思い出すのは、そのオヤジが結局会社を閉めたとき、私はアメリカの西海岸を放浪していました。親戚の家を拠点と言うか転々としながらアメリカを見て歩いていたのですが、ある日、日本から手紙が来たんです。差出人はオヤジ。ちなみにオヤジにもらった手紙はこれが初めてで、多分最後になるはず。

その手紙には「ドルショックの打撃があまりにも大きく、会社を閉めることになった。お前達に残してやるものもとうとう無くなった。親として本当に申し訳ないと思う。是非、アメリカで何かお前の将来につながるものを見つけてきて欲しい。」要約するとこういう内容でした。

私とオヤジとは犬猿の仲で、殺したいと思ったことはありませんが、早く死んでしまえば良いと思ったことは一度や二度じゃありません。子供の頃に、どんな大人になりたい?と聞かれて、お父さんみたいじゃない大人といつも答えていたそうです。

でもこの手紙をもらったときは私も泣きました。やっぱりオヤジは俺のオヤジだと思ったんです。

で、この時、私は20代前半でしたが、一つ心に誓いました。オヤジの敵は俺が取ると。

父の会社の名前ですが、我々姉と弟の二人から一文字ずつ取った会社名でした。ま、そこにオヤジの思いも感じるわけですが、この会社が無くなってしまうのはオヤジの思いも、我々姉弟の将来もなくなるようなそんな気がしたわけです。

ですから、私が始めて作った会社も同じ名前にしました。オーストラリアに渡って作った会社も同じ名前。アルファベットですが。そして今はその会社もありませんが、その名はファンドと言う形で今も生きています。そしてこれはオジーチャンが子供や孫、一族の幸せを願って作った会社の名前で、それをどうにか繋げてくれと私の子供に託すつもり。

ちなみに、オヤジから手紙をもらったものの、私はアメリカでこれぞと言うものも見つからず、ただの長い観光旅行で終わってしまいました。それどころか、シアトルで床屋に行った時に「どうして日本人って魚臭いんだ?」と言われたり、白人の老婆に汚いものを見る目で蔑まれたり、ビザの延長でイミグレに行けば、回りはメキシコ人ばかりでその担当官が偉そうに動物を扱うように我々に接したこと、そんなことが何度も何度もあり、冗談じゃないよ、こんな国と思いました。

アメリカは日本の大事な同盟国ですが、いつか早く彼らの庇護から抜け出て日本が独立国になることを願うのは、若い頃のこんな思いがあって、それが今でも心の底で渦巻いているからかもですね。(笑)

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