パーティ

定期的に開くパーティですが、いつも一品持ち寄り+BBQ、各自の飲み物ってな感じ。

まぁ、それぞれが飲んで食べて、適当におしゃべりしてというのが延々と続きましたが、今回は出席者の内、3分の1が教育関係でしたのでやっぱりその辺の話題は結構でました。

で、どんな話か?

えへへ、酔っ払って忘れちまったよぉ~。ごめんよぉ~~。

でもま、思い出しながら書いてみますが、日本語補習校に関しては息子達が行っていた頃と全く違うとの事。なんていうか教育熱心な親が少ないと言っていました。当然、子供達もやる気がない。一体何のために補習校へ来ているのかわからないとのこと。

補習校に来たり来なかったりという子もいるらしく、どうやって卒業証書を出せるのか不思議。その卒業証書が欲しいだけ、補習校へ行かせておけば安心、行かないより行かせたほうが良い程度の考えの親がいるんでしょうねぇ。でも平気で休む子がいるとそれって必ず伝染するんですよね。子はもちろん親にも。

また補習校が出来た経緯を言い出すと長くなるので書きませんが、補習校って我々親達の努力によって出来たんですね。経営母体は日本人会ですが、日本人子弟の教育は日本人みんなの課題という理解があるから経営も成り立つわけで、普通の学校の様に、政府だか企業が作ったからそこにあると思ったら間違いなんですね。私達が経営者。必要だから作ったし、日本国にお願いして認可もしてもらい、補助金はもちろん、校長先生も日本から派遣してもらっている。もちろんそれは税金から出ているわけで、日本に税金も払っていない、なんの貢献もしていないような親、そしてその子女達が教育を受けられている。

でもそういう自分達の学校なんだという意識って親達には希薄、というか全くないと言っていいくらい。これは息子達が行っている頃でもそういう親は多く、学校任せ、国任せ、もらえるものはもらおう的な発想の親は多かったです。

ただ、やっぱり親からの視点と教育者側との視点にずれがあるのもわかりました。教育者としては学校に来てもらわなければ教育ができないわけで、来たくないならやめて欲しいという思いもある様子。でも親としては行きたくない子供をどうにか騙し騙し行かせているケースもあるわけで、それなのに、やる気がないならやめろと言われたら身も蓋もない。

でも所詮、やる気が無い子は行っても無駄でしょう。でも行っている内に好きになることもあるし、そういう方向へ持っていく努力をする先生もいるわけで、まぁ、ここのところは難しいところだと思います。

ああ、それと中3のクラスの生徒が二人だけっていってたかな。これってクラス単位で見たら経営が成り立たないわけだから難しいでしょうね。かと言って他の学年と合併なんてしたらそれこそもっと生徒が減るかもしれない。これは前にも書きましたが、小学校低学年はごっそりいるのに、上に行くにしたがって人数が少なくなります。補習校の勉強に追いつけない、現地校の勉強が大事、子供もなんで日本語の勉強をしないと駄目なんだよ~と文句を言い出すのが普通で、途中でどんどん脱落していくのはうちの息子達が行っていた頃と全く同じ。ただ、中3が2,3人というのは驚きだし、私としては非常に残念です。

ただ、地元の私立校の先生をやっている人もいて、その学校の日本人子弟の場合、やっぱり日本語でも出来る子は出来るし、日本語補習校へ行ったから出来るのだというわけではないと言っていました。今ではインターネットを使った勉強が簡単に出来るらしいし。でもま、やっぱり親の教育方針、子供のやる気が重要で、学校の先生の出来る範囲は限られているという当たり前のことがわかりました。

また話が飛びますが、オーストラリアと日本との学力の違いですが、日本より少なくとも1年は遅れていると言っていました。これに関して、他の教師から異論は出ず。

これを言われるとこちらで学校に行かせた親、進行中の親はドキッとするわけですが、まぁ、それだからこそ日本人子弟はそこそこの成績が取れるのかと思ったり。

で、補習校ですが、作文を書かせても一体何を書いているのかわからない子が多いと言っていました。これは日本語という言語の習得に問題があるというだけでもないようで、言語というより国語力の低下が見られるそうです。

でも国語力をつけるには言語が必要で、言語がちゃんとできるから知能も育つという言い方をしていました。ですからどんな言語でも高度なレベルを習得するのが大事であって、小学生レベルの言語をたとえ10出来たとしても意味がないかもしれませんね。複雑な思想なり価値観、あるいは技術や知識、ノウハウにしても言語がそのレベルにない限り話すこともできないし、読んでも聞いても理解できないわけですから。

親としては学校に頼りたい思いがあるわけですが、教師としては限界があるのが当たり前という前提で話をしているのが面白いと思いましたし、言われてみればその通りで、学校にお任せで全部うまい具合に行くわけがない。

ましてや、海外における日本語学習となると、プラスアルファの特殊技能ですから、誰に頼るわけにも行かず、親と子と二人三脚で頑張るしかないと思います。

こういう風に考えれば、そもそも教育って家庭でするのが当たり前で、それを学校に託してるだけのことで、学校が教育をする主体ではないんですね。やっぱり家庭が主。だから学校に任せてうまく行かない場合、学校に文句を言うモンスターペアレンツなる存在がいるわけですが、勘違いもはなはだしいと思います。で、このモンスターペアレンツはゴールドコーストにもいるとのこと。学校がうまく教育をするのが当然と思っているんでしょう。

海外育ちの日本人子弟で日本語が話せない子の話題になりましたが、これの実情は私が想像しているより酷い様子で、全く出来ない子が増えている様子。あるいはめちゃくちゃ。でもそれでも出来ないよりは良い程度の考え方を持っている親がいる様子。

いろいろ問題がある子がいるのは、結局親に問題があるからということで皆さんの考えは一致していました。教育を受けるべきなのは親のほうであると言っていましたが、私もそれに賛同するところがありますし、結局このブログでガタガタいうのはそのことでもあるんですね。親がどんな価値観を持っているかわかりませんが、それによって本来伸びるはずの子も伸びていない現実があるってこと。また子供に期待をしている親でも、自らはそれに関して何もせず、学校に期待するだけであるとか、根本的に何かが狂っているような感じを受けます。

日本はゆとり教育の方針のせいでかなり学力が落ちたと言われていて、ゆとり教育が見直されているわけですが、そもそも親からのそういう要望があったから国も動いたのだろうと思っています。そして今、海外に出て行く親達は、海外でのゆとり生活を求めている家庭が多い。怖いですね~。海外で自由きままに育てたら一体どういう子に育つんだろうか。ここで勘違いがあると思うのは、海外での教育はゆとり教育であるとなぜか信じてるのね。現実は頑張る子は頑張るし、頑張らない子は頑張らない。世界中同じでしょう。

それとゴールドコーストの私立校の学費ですが、やっぱりかなり上がっているようで、高校では年間15000ドルから18000ドル程度掛かる様子。でもブリスベンに行くと2万ドル以上の有名私立校がゴロゴロあるようで、シドニーメルボルン辺りでは3万ドルを超える私立校もあるとのこと。

聞いた話ですが、誰でも入れるようになっているものの、どういうわけか黄色人種がいない学校もあるらしいですね。これは名門ゴルフクラブもそうで、人種差別を公然と行うことはオーストラリアでは大きな犯罪ですが、実態はそれが普通に行われている様子があることはある。

前にも書きましたが、長男(だったかな?)が大学で先生に言われた言葉。君達(外国人)が優秀なのはわかる。しかし君達がこの学校へ入ったことによって、優秀なオーストラリア人子弟が良い教育を受けるチャンスを失ったことを私は残念に思う、と言った教授がいたそうな。ま、その気持ちはわからなくもない、どころか、日本がこういう状態で外国人ばかりが勉学でも上位を占めるのが当たり前になったら社会問題化、外人排斥運動が起こりそうです。

でもここは日本はそうなっていないと安心する場所じゃないんですね。日本の学校には外人が少ないと言うだけで、戦いの場は日本国内から世界へと広がっているわけで、どれだけ優秀な子弟が海外で育っているか考えると、彼らがどんどん日本に入ってくるであろうことは見えているし、それは大企業の新卒の中の外人比率を見ればもうすでに起こっているわけで、特に日本の多くの大学生のように、小中学生より勉強時間が少ないという今の状況はいつか日本と言う国そのものの浮沈に関わってくると思います。

そんな時に、勉学や学歴ばかりが人生じゃないと考える人が今以上増えるであろうことは簡単に想像できますが、本当にそれで幸せになれるのか。例えばオーストラリアやマレーシアで自由に伸び伸びと育って欲しいと願う日本人の親は多いですが、では当地ではみんなさほど勉強もしないで伸び伸び暮らしているのか。実は熾烈な戦いはそこでも行われていて、そして彼らだって「幸せになるために」そうしているわけで、幸せになるためには勉強や成績や学歴なんか意味がないなんてことは考えていないと私は思います。

ただ一つわからないことがあります。それは日本の教育の現場。これを私は知らないわけですが、子供の将来を考えるとこんな教育は受けさせられないと真剣に考える親が増えているのも見えてきます。ただ詳しい内容はわからず。もし、ちゃんとした教育を受けさせたいと願うのであるなら、海外に出るのは一つの手で、私は今の日本の現状は知りませんが、少なくとも私が育った時代と比べると、段違いでオーストラリアは進んでいると思います。マレーシアのことは知りません。

ただ、オーストラリアに来ても、学校の選択、家庭内での育て方を甘く考えていれば、期待通りにはならない。それどころか、海外に出なかったら自然に身についたものさえ、海外に出たことによって身につかないことがあるのをはっきりと認識する必要があると思います。純白の綺麗な素材だったのにただ単にいろんな色が渦巻くような色に染まってしまうだけかもしれない。海外で育てる場合、真ん中にしっかりしたアイデンティティの色を作ったり、コアとなる言語、価値観を持たせるのは簡単ではなくて、子供の中身はカオスと言って良い状態になってしまったら不幸以外の何物でもないと思うのです。

まぁ、教育者、そして我が家の様にそこそこ教育熱心な家庭が集まったパーティでしたから、自ずと教育は大事と言う方向で話は進みますが、その手の考え方を持たない親、違う方針を持つ家庭があってもそれはそれで全く問題なし。ただ、野良犬の様に放っておけば良いと考える親はいないはずで、違う価値観があるにしても、その違う価値観を具現化するためには、そちらの方向で教育熱心にならねば何も起こらないと言う点では同じだと私は考えています。

それとオーストラリアでは学校に通わせないで教育する家庭も結構あるようで、全て自習、親の教育となりますが、私はこれが原点だと思っています。どうしても家では出来ないことがあるわけで、だから学校へ行かすと言う考え方です。ですから、良い学校との出会い、よい先生との出会いがあるかないかで子供の人生が変わったら困るわけで、私は確固たる教育方針を家庭が持つのは大事だし、教育とは家庭でするもの、学校教育はそれの補佐である程度で考えるのが良いと思っています。

カラオケ中。真ん中で踊っているのはうちのカミサン。

実はなんで一応子育ても終わった私が教育のことを最近書いているかと言うと、実はまだわが子の教育は終わっていないと最近考えるようになったからです。大学、大学院も出て就職が決まっているのに?と思う方も多いでしょうし、私もそう思っていたのですが、社会ウォッチングをしていて最近感じることは、上には上がいると言う当たり前のこと、そして今世界が直面している競争社会はそんな甘っちょろいレベルじゃないということ、それを考えると、我が家の教育をこれにて終了として良いのかどうかが疑問に思うようになったからです。

これから先は親が考えることじゃなくて子供が考えることなのは間違いがないのですが、ゴールドコーストという田舎でノホホンとしボケーーっと育った子供達は世界を知らない。そしてこの私自身が世界を知らない。つまり、選ぶのは子供であるのは間違いがないにしろ、こういう世界があるんだということを子供に見せるのは親の仕事でもあると思うのです。私自身が厳しい競争社会にいたわけでもありませんから、その辺のことを我が家では子供に伝えることが出来ていないのです。

また前にも書きましたが、子供達には自由に生きて欲しいと思っていまして、社会の歯車から外れて生きることも積極的に考えろと私は育ててしまいました。これは私の生き方そのもので、100%の実力を出し切って、厳しい社会に生きるのも良いけれど、80%の力でのんびり生きるのも人生だと、そちらのほうを強調して育ててしまいました。

子供がそれを選ぶのはそれで良いのですが、100%の力を出し切って勝負をするという生き方を教える、見せることが私にはできなかったのが気になるのです。

なんていうのかなぁ、昔、わが子が集団就職するのを見送って、東京行きの夜行列車に乗せたら親の役目は終わりと思った時代もあったと思うのですが、今の私はそれと全く同じだと気がついたのです。世界の競争はかなりハイレベルのところで行われているのに、中途半端で世に送り出してしまったような部分があるかもしれない。

もちろん私の言うことを聞くような子供達ではありませんが、こういう考え方もある、こういう世界があると言うのを子供達に知らせたいし、もしお前達にやる気があるなら全面的に後押しをするという親の意志を伝えたいと思うのです。

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