友達

なんだか最近このブログのコメントは「秘密コメント」の方が多いようになってきました。

まぁ、それはそれで良いのですが、中にはオープンでも構わないんじゃない?と思うのもありまして、折角面白い話でもクローズドだから私もその話を続ける、広げることが出来ないんですね。それがもったいないと思ったり。

でもクローズドの秘密コメントだから書ける内容も多くて、どんなもんなのか。

まぁ、普通の人は私みたいにバカじゃないかと思うほど開けっぴろげって少ないわけで、仕方がありませんね。

ところで、あるコメントに

「ダボさんは日本人のいいお友達をお持ちで羨ましく思います。」

と締めくくってあるものがありました。

ええーーー?と思いましたよ。

このブログを読んでいる人には、ダボって人間関係の狭い奴だというのがすぐわかるはずだと私は思っているので、このコメントは意外でした。

でもね、これって私の友達がどうというより、この方がいろいろ苦労しているんだなって思った。

まぁ、知り合いってのはいくらでもいるけれど、友達と呼べる人って意外に少ないという現実はあるんでしょうね。私もうちのヨメサンもまさにそれで、心を開けっぴろげにして何でも言えて、アハハハハハと笑っていられる付き合いって結構少ない。

なぜか?

常識が邪魔するんでしょうねぇ。

ルールじゃモラルじゃってのを日本人は大好きで、また個性は大事と口では言うけれど、本当は全然そんなことは思っていなくて、自分と違う人は敬遠するのが普通。全てはここに集約すると私は思っています。

それって私は日本人らしいと思っていて、どうして私が10代の時にグアムに行って人生観が変わったのか、グアムに入れ込んだのか、そしてその後、日本を脱出することになったのかってのはそこに原因があります。堅苦しいんですよ、日本って。息が詰まる。

まさにこんな感じ。それぞれ違いはあるんだけれど、それぞれがグループを形成してるのね。

どうも日本で言う個性とはこの写真に出ているそれぞれの違いを言うみたいで、個人個人がバラバラでそれぞれの価値観、考え方、生き方があるのを認めているわけじゃないのね。

日本の発展ってこういう日本の特殊性が根本にあるからだと私は思っていて、団体で動くのが非常にうまい。

団体とか軍隊を考えると、中国軍が恐ろしい人数で整列した姿をすぐ連想するんだけれど、実は彼らって日本人みたいな団体行動は苦手で、それぞれがバラバラで、恐ろしいほど自己中な珍しい民族だと思ってます。だからこそ統制するのに共産主義が必要だったのだろうと思ったり。

血液型を全く信用しない人は多いけれど(私は大いに関係あると思っています)、日本ってA型社会なのね。ルールありき。そして目標を定めたらそれに向かって邁進する。その途中で、やっぱりこんなのは嫌だよ、なんてB型みたいなことを言ってはならない。(笑)

こういう私は自分でも典型的なA型だと思うのだけれど、これって神経質な意味でそうではあるんだけれど、ルールや規則は大嫌い。というか、それは臨機応変で変わるものだと思っていて、絶対的なものなんかありゃしないという考え方です。

だから人付き合いも、なんていうのかなぁ、ルール重視の、私に言わせれば格好つけた付き合いが大嫌い。この歳になるとどういうわけか、紳士淑女であることが素晴らしいと考えるジジババも多いような気がするんだけれど、私が何よりも苦手なのがこの紳士淑女なんですよ。ま、本来の紳士淑女は良いものなんだろうけれど、私が目にする日本人の紳士淑女って格好つけているだけにしか見えないことが多い。ましてや自分で紳士です、淑女ですという人まで現れると眩暈がしそうになります。

ソシアルダンスをやる人にこのタイプの人って多いような気がするんだけれど、とにかく型にはめて、無理に作って引きつった笑顔、あるいはツンとしてみせる不自然さをよく感じます。でもソシアルダンスが悪いなんて思っていなくて、うまい人はうまいよね。実は私の大事な友人でソシアルダンスの先生がいるんだけれど(ここを読んでいたら連絡頂戴ね)、彼女のダンスの写真を見るとびっくりする。型と自由の融合というか、決して滅茶苦茶ではない自由な表現力というか、そして内面から出ていると思える何ともいえない表情がそこにある。これは美しいと思う。

で、世の中にはその美しさを真似ようとする人が多いんじゃないかと思うんですよ。

人間付き合いも同じ。

そういうのってなんか自然じゃない、無理があると感じるし、でもそういう中できっちりやるのが人間関係だと信じている人が多いんだろうと思うんですよ。私はそういうのが苦手。

こういう付き合いがうまい人は多いのね。サラリーマン生活が長い人にその傾向があると思っていて、やっぱり組織に長い間いたことのない私とはまるで違うと感じることは多い。

海外に出るとそういうのがこれまた良く見えると思ってます。小さな日本人社会を形成する人たちの駐在組みの割合って結構大きくて、この駐在組みの社会の異常さを感じることは随分ありました。まるで関係ない奥さんの中でもちゃんと序列が決まっていて、それを壊したら即刻退場を迫られる。言いたいことなんか言えないし、逆に下っ端は言いたいことをいわれても我慢する。これって旦那の社会より厳しいところがあって、そんなのが見えると恐ろしいなぁって思うわけです。奥さんも旦那の立場があるからバカなことは出来ないし大変だと思う。

だから駐在組みでも駐在組みとの付き合いはほどほどにするって人も少なくないのね。っていうかこれも仕事の内と割り切っているんでしょう。

ゴールドコーストは昔は駐在組みってのも結構多かったけれど、近年はほとんどいないと言っていいくらいのはず。ただかつて結構いたと言っても、永住組みの方がはるかに多かったから彼らが目立つことはなかったと思うし、力関係では永住組みの方が強かった。力関係なんか重要なのか?って思う人もいるかもしれないけれど、例えば日本人会の運営とか特に補習校の内容は永住組みと駐在組みと全く望むものが違うからぶつかることも無くはない。そういう意味で、マレーシアでは駐在組みの力が絶大でMM2Hなんかおまけでしかないような感じがしています。これってうまくなくて、世界各地には日本人会と日本人クラブという様に二種類あるところも多いんですね。日本人会は企業組みが中心、日本人クラブは永住組み、日系人中心とか。どう考えてもこれらが一つの組織でうまく行くはずがないでしょ。連携は必要だけど。

永住組みと駐在組みって犬猿の仲ってことはないにしても、なんだか異様な線引きがあるんですね。まぁ、その辺を細かく書こうとは(今は)思わないけれど、これって今のマレーシアでMM2Hのジジババを叩く若者が多い(ジャランジャランという掲示板を見てもわかる)のもそれと同根かもしれない。

それとややこしいのが新しく来た人、あるいは若者が取る行動のパターン。

古くからいる人の中には確かに「俺は古いんだ」という態度をする人もいなくはないけれど、新しく来た人の中には「自分は新参者です」と異常にへりくだる人が結構多い。こうしなくてはならないのがまさに日本的なところだと思うのだけれど、こういう自虐的なのって見苦しい。先輩面する人なんていないのに、先輩先輩ってゴマをする。これっていい年のジジババがやることじゃないと思うんだよね。

また逆に新しく来たばかりでも過去の海外経験が長いと、馬鹿にされないように強気で出る人が多い。このパターンは結構あるね。聞きもしないのに、そして関係ないのに、かつてどこで何年いただたの何カ国渡り歩いただのと延々しゃべる人もいる。へ~~、凄いですねぇと周りは反応するけれど、だから何さと思われているのに気が付いていない様子。

いや、そうじゃなくて、そういう話を聞いて本当に凄い人だと思う人もいるのかもしれない。

わたしね、がっかりしたことがあるんですよ。オーストラリアの永住組みもそうだけれど、これって個人の資格で渡ってくるわけですよね。だからどこの馬の骨だかわからない。ところが駐在組みは看板背負っているからいろいろわかる。これはマレーシアのMM2Hも同じで、一体どこで何をしていた人かわからないわけだ。これが気になる人も多いようで、とっくに退職しているのに学歴や職歴を名刺に書く人もいるんだけれど、また聞き手の方も知りたいと思っている人が少なくないのがわかったことがあります。そんなのはどうでもいいじゃないかと思う私の方が少数派なのかもしれないけれど、ある時、ある人がマレーシアに行ったときの話を聞いたのですが、会った人たちの学歴や職歴を持ち出して、ああいう立派な人ばかりだから安心したと言うのね。

私は正直びっくりしちゃいましたよ。まぁ、私には自慢できるバックグラウンドもないからそう思うのだろうけれど、「どこの馬の骨かわからない奴ですいませんでしたねぇ」と言いそうになりました。で、過去の栄光を誇る人と、それをその人となりの判断基準にする人と、ちゃんと双方揃っているんだな、と。

まぁ、過去はどうでもいい、現在と未来が大事だと思う私はこういうのが良くわからないし、これから一緒に仕事をしようとするならまた話は別ですが、退職後の世界でもそういうのを大事にする世界は私は関わりたくないです。

これは若い人の中にもあって、年上ばかりの世界に入ってくる若者は馬鹿にされまいと肩肘張るとか口でアピールする人も少なくない。人となりは見ていればわかるし、逆に見えるものと口でいうものとのギャップがあった場合、逆効果だと思うんですけどねぇ。

ま、そんなこんなで日本人に取って普通の、当たり前の付き合いってのがあるんだけれど、私の付き合いってそういうのとはかけ離れています。

常識もルールもモラルもないとは言わないけれど、親友ってもしそれらが欠けていても付き合うもんじゃないんでしょうか。

約束は守らないとか時間にルーズだとか、そんなのは序の口で、浮気をしているとか(笑)、ここには書けない様なおかしな癖を持ったのもいる。これは私もヨメサンも同じで、長所より欠点の方が多いような地をそのまま出して付き合ってます。まぁ、嫌なら付き合わなければいいだけのことで、どうしても我慢できないことを我慢しながら付き合うんじゃなくて、まぁ、受け入れられることは受け入れる。そしてその許容度もかなり広いって感じ。

まぁ、そういう付き合いになるまでには言い合いもする、喧嘩もあった、ある時期付き合わない期間もあったなんてこともあるわけで、ではどうして今の付き合いまでになれたのかってのは私も良くわからず。

多分それってそれぞれの余裕に関係あると思うんですよ。自分に余裕がないと相手の欠点が許せない。これは逆も真で、余裕がある人たちだから我々みたいなおかしな夫婦とも付き合ってくれるんでしょう。

で、フト周りを見渡すと、そういう友達関係が持てていない人がいるのがわかる。また友達友達と口では言いつつ、それって友達とは呼ばないんじゃない?みたいな付き合いがあるのがわかる。

不安があるんでしょうね。

だから友達が欲しいと思う。でも自分の本性は出せない。出したら嫌われるかもしれないという恐怖がある。こういうサイクルって間違いなく存在している様子がわかります。だからとりあえず一見仲の良さそうな知人で周りを固める。

これを打破するには、自分の狭い生活範囲で友達を得ようとすることをやめるのが良いと思ってます。マレーシアに行く、不安が一杯、だからマレーシア関係で友達を増やすというのは意外にうまくいかないかもしれないと思ったり。身近の友人とうまく行かなくなったら帰るしかないなんてことも起こるし(女性の世界では結構ある話)、これってかなり気を使わないとならないはずで、まぁ、そういう気を使うのに慣れている人はいいけれど、私達みたいに自由気ままに生きてきた者には難しいです。

同じ会社とかグループの中で親友を作るのって結構難しいと私は思っていて、なんのしがらみも関係もないところだから人間同士の付き合いが出来る可能性があると私は考えています。

ネット社会と呼ばれる社会がありますが、これってパソコン通信の時代から考えるともうすでに30年以上の歴史があるんですね。私もモデムでピーーヒョロヒョロなんてやる時代、PCもカタカナしか出ない時代からネットの住人で、今思うと、ネットの中の友達の方がはるかに多くなりました。

これって年齢も職業もバラバラで、普通なら絶対に出会うことも無い出会いの中で友人になるわけで、その繋がりはかなり深いと思っています。そもそも繋がる必要がないところで繋がっているのだから、気の合い方も半端じゃないんでしょう。このブログの読者の中にももう何年来のネットの中での付き合いの人が結構います。

ネットの付き合いはそれなりだろう、なんて思うと大間違いで、私はネットだからバーチャルの世界だ何てまるで考えていなくて、仲良くなれば実際に会うし、私としてはネットこそが友達作りの一番のツールかもしれないなんて思うこともあります。なんのしがらみもない中での出会い。これって良いと思うなぁ。

で、付き合い方もちょっと変わっていて、なんだか幼い頃の親友みたいな感じが多いんです。例えば当地ゴールドコーストの友人はやっぱり大人の友達で、おい、お前、みたいな付き合いは少ない。ところがネットの中の友人はこの数年の付き合いなのに、おい、お前、みたいな付き合いまで深くなるのね。なんででしょうか。よっぽどお互い気が合うからなんだろうと思うけれどとっても不思議です。

生活範囲の中の友達に当然女性の友達もいますが、やっぱりお前呼ばわりはできませんし、街で会えば、「お元気ですか~~?」みたいな社交辞令から始まる。ましてや他人の奥さんを捕まえてバカ呼ばわりもできないのが普通。ところがですねぇ、ネットの友人って子供のころからの悪友みたいな感じで、他人の奥さんでも「バカじゃないの?」なんて平気で言える付き合いが多い。当然、私も普通面と向かって言われたことのないようなことを言われる。こういう付き合いって私は大好きで、ネットをやっていて良かったと思う瞬間です。

バカ話が出来るからいいというんじゃなくて、それが出来るほど心が繋がっていると私は思っています。普通では絶対に話さないような、話せないような心の問題もネットの友達には話せる。

私にはとても大事な友人ばかり。

いくら知り合いがたくさんいても、そのつながりを維持するためにいろいろ気を使わなくてはならないのって悲しいことだと思うんです。親が子供を守るのと同じような気持ちで付き合える親友を持つことは大事で、多くの知り合いに囲まれながらそこに親友はいないと感じたときの恐怖、孤独感って恐ろしいくらいじゃないでしょうか。でも逆に、たとえ離れ小島で回りに人がいなくても自分を思ってくれる友がいると感じると孤独じゃないんですね。

海外と言う人間付き合いが狭くなりがちな場所で寂しい思いをすることがあったらちょっとネットの世界をのぞいてみるのも良いかもしれません。

私が出没するのはヤフーチャットと呼ばれるチャットの世界です。今は海外在住者が結構集まるチャット部屋にいることが多いです。

まぁ、チャットの世界っていろいろありまして、悪い部分もかなりありますが、良い部分も同じようにあります。ただし、女性の場合はハゲタカが寄って来ることが多いので注意。大部屋と呼ばれるところは特に注意。

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友達” への6件のコメント

  1. SECRET: 0
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    はじめて書き込みしますが、いつも楽しみに読ませてもらっています。

    私は将来マレーシアに住むつもりでMM2Hをとり、彼のSNSに入っています。まだ入って日の浅い方ですが、古い人や現地事情に通じている人の方が偉いような上下関係は確かに感じますね。

    入ったばかりでまるで状況がわからなかった頃、駐在経験の長い人に生意気な口をきいたら(相手の日本人礼賛的な意見に反する意見を書き込んだら)、私の事は何も知らないのに「日本からの逃避としてマレーシアへ行っても長続きしないよ」と決めつけられました。

    ただ単に面白くなかったんだろうし、その時カッときただけで多分もう忘れているだろうと今は思います。けど、その後その人に会ったら無視されたことや、私自身一番不安に思っていた点を突かれたこともあり、その時はものすごくショックでした。

    以来、怖そうな人にはなるべく近寄らないようにして(笑)・・・無用な軋轢を避けるため、自分の本音や個性は小出しにしています。(それでもにじみ出るものはあるので、波長の合う人とは出会えるんじゃないかと思っています。)

    コミュニティについては慎重に観察していますが、日本の常識に欠ける言動をとると(寄ってたかって非難したり、無視したりという)冷たい制裁が加えられるような傾向がある気がして・・・正直びびりまくってますよ。

    だから、<先輩面する人なんていないのに>というのは、ちょっと違うと思うんですよね。本当に先輩面をする人がいなければ、誰が好きこのんでゴマをすったりしたいものでしょうか。

    集団の圧力に屈するみたいで、自虐的で卑屈で悲しい・・・と自分でも思いますけど、今のところは(daboさんのように一人でやって行ける自信がないので)危機管理のためもあり「彼の地で孤立したくない」というのが本音です。

    いつの日か、自分に力をつけたら自立してやるぞ!と思っていますが、本当に、こんなんで楽しく暮らせるんだろうか?とちょっと不安にもなっているところです。

  2. SECRET: 0
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    sakit hatiさん、いらっしゃいまし~。いつも読んでいただいているとの事、有難うございます。

    良くぞ書きづらいことを書いてくれました。感謝しています。

    先輩面する人はいないのにって書いたのは、実はイヤミで書きました。確かにいますよね。(笑)

    この件に関して、まだまだ書きたいことがあるので日記で書かせてもらいますね。

    有難うございます。

  3. SECRET: 0
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    初めまして。
    何時も楽しみに拝読させていただいております。
    私は仕事でアメリカに度々訪れてました。空港に着き一歩踏み出した時何かが変わるのが分かります。
    そして帰国した時も同様です。
    そうなんです。daboさんのおっしゃいます事、”息が詰まる。”
    生き苦しいんです。daboさん同様、我が国にもちろん愛国心歯持っておりますよ。
    しかし経済的に今の私は海外生活は無理の様です。毎週ロト6に挑戦はしておりますが(笑
    今はdaboさんのグログを楽しみにさせていただくで、ここで息を吸います。(ふ~ふ~!!

  4. SECRET: 0
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    お染さん、はじめまして。

    やっぱり息が詰まりますか。私みたいに仕事をしていなくてもそれを感じるぐらいですから、お仕事関係があるとするならばややこしい人間関係もあるでしょうし、大変でしょうね~。

    でも最近フト思うんですよ。その息苦しさを感じる自分は、日本的でないからそれを感じるのではなくて、逆で、あまりにも日本的だからそれが良くわかりすぎるのではないかと。

    つまり問題は自分にあると。(笑)

    外人は日本に息苦しさを感じるんでしょうか?

    ま、どちらにしても深呼吸も難しい世界って、自分が悪いのか他が悪いのかは別にして、深呼吸ができないっていう事実だけでやっぱり逃れたいですね。

    今後とも宜しくお願いします。

  5. SECRET: 0
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    最後のdaboさんのコメントに関するコメントです。
    外人(特に白人系)は、日本人の感じる息苦しさを、日本に感じてはいないと思います。

    去年、娘(オーストラリア生まれ育ちの日本人)がボーイフレンド(ドイツ人とタイ人のハーフ、タイの生まれ育ち)と一緒に日本にホリデーで行ったとき、
    彼のタイのお金持ち仲間(タイ人で日本に留学中)の案内で、あちらこちらお勧めのレストランで食事したそうです。(8千円のステーキとか・・・)

    ボーイフレンドは、「日本に住みたい!」と言ったらしいです。
    だって、日本は、
     ・おいしいものがいっぱい。
     ・オシャレなお洋服、靴もバッグもお買い物に最高!
     ・便利で快適。
     ・人が親切(外人に対して)
     ・比較的治安が良い。
     ・衛生面でレベルが高い
     ・サービス満点!!         ですから。

    でも、娘は、「絶対、イヤダ!」と言ったそう。
    だって、日本人の顔をして、日本語をしゃべっていれば、日本人として当たり前の暗黙の了解とか、常識を期待されるから。(と考えたんだと思う。)

    外人さんだったら、「外人さんだからしょうがない。」と許される部分が、自分には許されないと、彼女が感じたんだと思います。
    それは、彼女が、オーストラリア生まれ育ちであっても、
    日本人としての感性を持っているから。

    その意味で、「自分が日本的だから、息苦しく感じる」という点について、賛成です。 

  6. SECRET: 0
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    やっぱりちりとてさんもそう思いますか。ですよねぇ。

    我々が海外に出ると自由を感じるのもそれの裏返しで、所詮、相手にされていないからと考えるとつじつまが合うと思っています。

    昔、オージーにいつまでオーストラリアにいるの?と良く聞かれることがあって、うーーむ、わからないと答えると、オーストラリアって良いところだよ。一生ここに住めば?なんて言われたのですが、これって観光客に良い顔をして、自分の住む場所を良く思って欲しいという気持ちから出てくる言葉なんですね。もし、「私も貴方と同じオーストラリア人になって、貴方と同じにこの地で生きていくつもり。」なんていうと態度が変わったり。(笑)

    これって我々の世代にはなかなかわからないことで、オージーの中に入って生きていこうとする子供達は、オージーの拒否反応と出会うことがたまにあるんですよね。

    わが子の場合はまだわかりませんが、友人の子供が、就職してから随分人種偏見で苛められたと言っていました。オージーには簡単にわかること(日本人には??)をあえて言いつけて、それが理解できないと使えない奴だと烙印を押されたり。

    ま、いろいろですねぇ。

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