三島由紀夫

このブログも書くことがないので本当に困っているんですが、ちょっと三島由紀夫のことを。

私は三島由紀夫の著作を読んだことはありません。世の中に散らばっている彼に対する評価、評論をかいま見たりする程度。ただあの市ヶ谷での事件はやっぱり印象に残っていて、彼は一体何を考えていたのかというのは非常に興味があり、また私は右に傾いた思想を持っておりますのでそういう意味でも気になる存在でした。

あの市ヶ谷の事件はインパクトが大きいし、しかしあれが三島由紀夫の全てであると考えてしまうと誤解があるであろうことは簡単に想像できました。あれは一つの彼の思想の行き着く結果でしかなくて、彼はあれを目標に生きていたわけでもないと思っています。もちろん生粋の愛国主義者ですからあの行動には大きな意義を感じていただろうし、あれがあったからこそ多くの崇拝者がいるのは理解できます。

ただ私はあの事件のインパクトが大きすぎて、三島由紀夫が一体何を考えていたのかという根っこの部分がおざなりにされて彼のイメージが出来上がった感じがするのです。

なーーんて三島由紀夫研究をしたこともないヤツが何を言うかというお叱りもあるはずですが、ユーチューブで見つけた彼の談話を見て、私にとっての三島由紀夫はこれだと思いました。彼の原点を見たような気がします。そしてそれに大いに共感しました。

この映像です。50秒辺りからの話に注目。

まぁ、私がいつも疑問に感じていたことの答えがここにあったというだけのことなのですが、私のようにわがままで、そのわがままを通し続けることが幸せであると考えてきたものの、現実的にはわがままを通し続けることは不可能であるし、でもほぼそれが可能であったラッキーな私でも結果的に幸福感を感じないのは一体なぜなのか。その答えがここにありました。

多分そうであろう事はうっすら気が付いてはいるものの、これほどまではっきりとそれを指摘した言葉に私は合ったことがありませんでした。

人間には欲望があって、それが満たされるから幸福感を感じるのだという、1プラス1は2みたいな絶対的な常識があると思います。またもしそれで幸福感を得られたとしたら、たまには他のことも考えましょうねというのが世の中の常識。だから人は自分や家族のために一生懸命働くし、余裕ができればボランティア、チャリティなどにも興味が出てくる。それが世の中の常識。私はそう考えていました。

でも私は自分の欲望を満足させるために、そしてわがままを通し続けるような生き方をしてきたのに、どうしてこうも満足感がないのか、何でこうなっちゃうの?みたいなことを感じ続けていました。その答えがこの動画にあったわけです。

特にインパクトがあったのは、「人は自分のためだけに生きるほど強くはない」という言葉。こういう言い方は本当に初めてでした。

私としては、人は自分のために生きるのは簡単で、でもそれだけを追い求めては駄目だ、たまには他人のことを考えろ、程度の単純な考え方を持っていました。でも三島が言うのは逆なんですね。自分のためだけに生きることは難しいと言っているわけです。それで幸せを感じるようには出来ていない。そう生きれるほど人は強くないと。

また「人間は自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう」という言葉も印象的です。これって私のことだと思いました。(笑)

東日本大震災でもインパクトがあったのはボランティアの人達です。もちろん災害に遭遇した方々が大変なのは想像を絶するほどで、またそれがわかるからボランティアも一生懸命になるはずですが、そのボランティア達の中には自分も被災者であり、本来なら彼らも助けを必要としている側で、他のために働く余裕が本来無い様なボランティアの姿が多くあったのです。

海外でのんびりと悠々自適の生活をしながら、「大変だなぁ」なんてそういう報道を見ている自分ってなんなのか。多少の義捐金を送くるだけでそれでいいのか。これは何か違うぞと思いました。

また私の好きな警察出身のレポーターがいたのですが、彼が冤罪事件を追いながら結局何もできず悲観したのでしょう、彼が自殺していたのを知りました。自分に関わる事件でもないのに、それに命を賭ける人もいる。

俺って一体何をしているのか、何をしてきたのか?そんなことを考えずにはいれませんでした。自分に何が出来るのか、それを考え出した時に気が付いたのは「原発事故」に関すること。裏があるというのはピンと来ました。でもそれは想像であってはいけないししっかりした証拠が必要。でもそれも見つけました。どういうわけか世間ではそれがほとんど無視されているような状態でしたが、ちゃんと政府はそのデータを公表していたんですね。SPEEDIのデータです。これを見ただけで政府がやっていること言ってることは大嘘だというのがわかる。ま、そんなデータをよく公表したと思ったのですが、そのデータを元に何かを論ずる人は不思議に見当たりませんでした。


その切っ掛けになった日記はこれ
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色々調べだすと政府の言うこと、東電の言うこと、そして大マスコミや学者達が言うこと、何かおかしい、何かを隠していると思うようになりました(菅さん、枝野さんは永遠に許されることのない大罪を犯したと今でも思っています)。それを元に行動(政府の言うことを鵜呑みにすることなく、自分で調べリスクを考え行動すべきだというイイダテ村と福島市からの避難を促す運動)を開始したわけですが、それとて壁は大きくて自分が思うような結果なんか出やしない。でももしたった一人の人間、たった一人の子供でも一日も早く危険地域から脱出することが出来たらそれで十分だと思って私なりにやってきました。でも今になっても自分の行動の評価は全く出来ません。ただ一人で騒いだだけだったのか、何か効果はあったのか、それさえもわかりません。ただ、私と同じ考えの人はかなりの数存在しまして、それなりのムーブメントはあったわけで、それに参加できたことは間違いが無く、それだけでも良かったと思っています。

大震災、原発事故のことは横においといても、もう人生も後半のラストスパートの段階に来ている私としては、ここでなんらかの方向転換をしないとこのまま中途半端な人生で終わると思います。自分の好き勝手を押し通してきて、でも幸福感ってなくて、でも家族も子供もどうにか人並みに暮らせるようになったのだからそれで十分だと自分を言い聞かせようとしても、そう簡単に納得できないんですね。

だから今までとは全く違う価値観で残された人生を生きてみたい。それがあの計画です。私がマレーシアに行ってハッピーな老後を送りたいとは全く考えていないのはおわかり頂けますでしょうか。ハッピーな生活どころか私は今まで世の中に目を背けて生きてきた罪滅ぼしをしないとならないと思ってるくらい。

相場という人間の欲望が渦巻く世界。そしてそれの対極にあるチャリティの世界。それを融合させて、参加者にも利益があり、そして人助けにもなる。そんな水と油を混ぜ合わせようという無謀な計画ですが、それこそが私が生きてきた世界の理想の姿であるのはわかりますので、是非それに挑戦してみたいのです。そしてそれが出来たときにきっと私は生まれてこれまで感じたことのない幸福感を得ることができるような気がするのです。

そしてもしそれを成立させることが出来なくても、その理想にチャレンジすることが大事だと思うのです。私は今まで逃げてばかりいましたから。

このバカみたいな理想に付き合いましょうと言ってくれる方も出てきておりますので、どうにか形にしたいと思います。

宜しくお願いします。

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