確信

本当に今回の大災害はいろいろなことを考えさせられたし、今まで見えていなかったものが見えたし、自分もどう考え何をするべきかが見えた非常に大きな教訓となりました。

被災なされた方々は本当に気の毒ですが、その災害の中で日本人の「規律」「慈愛」「助け合い」「分かち合い」という非常に特異な、外国人には中々見ることができない行動も見え、そしてそれに対し各国から賞賛を浴びた。

海外にいながらそんなニュースを見ると涙がポロポロ出てくるし、日本頑張れ、まだまだやれるぞと熱いものが自分の中で沸いてくるのを感じましたが、それとは別に、やっぱり日本人の事なかれ主義や、美談には飛びつくけれど面倒な話は見てみぬ振りをすることにも気がつきました。自分の頭では考えようとせずに政府やマスコミのいうことを鵜呑みにする子供っぽさ。そしてわけのわからん政府、企業の我侭、マスコミの怠慢を感じました。これらは賞賛を浴びたのと逆に、オーストラリアではほとんど感じることが無いもので、日本の恥部というか昔ながらの駄目さを痛感しました。そしてそれが災害を大きくしていることにも気がつきました。

私は当然民衆サイドで物事を判断するわけですが、民衆はそこそこしっかりしているのに、体制側がどうにもならんと思いました。特に悪いのはマスコミ。彼らが体制側に着いているのが今回はっきり見えましたが、体制を監視し、おかしなところを暴き追及するのが彼らの役目なのに、なんと戦中の大本営発表のごとく、体制側のスポークスマンになりさがっていました。

やっぱりインターネットって凄いと思ったのは、体制側に着かない独立系の自由報道を目指すジャーナリストもいて、どんどん貴重な情報を得ることが出来ました。中にはガセネタや作家の妄想みたいなものもあり、何が真実か見分けるのは簡単ではありませんが、情報の出どころ、根拠のデータをはっきり出しているところも少なくなく我々素人にも十分に判断できる環境は整っていると思いました。

学者の中にも自分の立場を離れて、あるいは体制側にくっついていない学者も数多くいて、体制側が全く言わない、報道もされない事実を知ることができました。インターネットがなければ一切わからなかったことです。

それを考えると、いかに我々大衆はいつも洗脳されていたのかがはっきりわかるわけで、そういう意味で私のボンクラ頭もやっとこれじゃ駄目だと気がついて、今まではなんか変だなぁと思う程度で終わっていたののが、確信を持って行動できるようになった点で、私自身も一歩前進したような気がします。

今回はこの災害を通して宗教的なこと思想哲学的なことも考える切っ掛けになりましたし、政治や企業、そして非常に大事なマスコミもどうあるべきか、しかし今どういう状況なのか、それも良く分かり、私の人生の2-30年分の進化、進歩が自分の中で起きたような気がします。

その中でも私として何を痛感したかというと、民主主義のことです。デモクラシーとは民衆が立ち上がるときに立ち上がるからこそ成り立つもので、放っておいても民衆のために良いことは何も起きないという当たり前のこと。

昔で言えば百姓一揆がそれに当たるのでしょうが、今まで自分がしてきたことは、遠くからあいつが悪い、これを変えるべきだと文句を言うだけで、世の中を変えるための行動は一切してこなかったことに気がつきました。

居酒屋で飲んで上司の悪口を言うサラリーマンに似たようなものです。社長が悪い、いや常務だよ。いやいや、副社長が癌だとブツブツ言いながら批判をし、じゃぁ、明日直談判をしようぜという話になると、いやいやそれは・・・と尻込む。これの繰り返しだったような気がします。これじゃないも変わらない。

会社の場合、俺みたいなのが文句を言ってどうなるんだ?というのがあるのは間違いがありません。会社は民主主義で運営されているわけじゃありませんから。でも政治や世の中に関してはなんら遠慮する必要が無いことに今更ながら気がつきました。なんか、俺みたいなのが騒いでどうなるんだ?騒いでも良いのか?みたいな感じが今まで強くありました。

でも、民主主義ってそれを言う、行動するって事だと今回初めて気がついたのです。たとえ教養も教育もない、頭も悪かろうが、そういう一人ひとりが望む社会を作るのが民主主義であって、会社の上司と部下の関係ではないのだから遠慮する必要は無いし、遠慮していたら遠慮をしない勢力の思うがままの世の中になってしまうってことなんですね。こんな単純なことに私はこの58年、気がつきませんでした。本当に恥ずかしいと思います。私は世の中に生きていながら、そこから離れて見ているような、また海外に出てしまいましたから常に傍観者であったような気がします。

でもここぞという時には動かなければ世の中は変わらないと思いましたし、動けばそれが大きなムーブメントになり民意も動き体制も動くという民主主義のルールがちゃんと機能していることも今回、避難のことで動いて手ごたえを感じました。

政府も企業もマスコミも、我々が遠くから文句を言い批判をしても全く変わらない。逆に彼らは、民衆がブツブツ文句を言うだけで終わってしまうのをよーく知っているんですね。だからうまい具合にコントロールされてしまった。私がいつもここに書いている「小作人からの脱皮」ですが、自分はその小作人そのものであったということに気がつきました。

100の理屈より1の行動。これの大事さをここでも感じました。お金儲けも同じでどれだけ理屈を並べても何も起きませんし、やっぱり行動あるのみ。これはどこでも同じなんだとわかりました。

そして政府や企業、マスコミが一番怖がっているのは民意であるのは間違いがなく、大衆が動けば必ず彼らも変わると思うのです。ましてや我々が選挙権を持つのであり、企業やマスコミにノーを突きつける方法もあると思うのです。バカな羊達も動き出すと怖いと彼らは思っているわけで、それを我々もしっかり利用しなくてはならないと思いました。

それと、例えばブログは別ですが、SNSや仲間が集まる掲示板、あるいは飲んだ席でも「政治と宗教の話は駄目」と良く言われますし、またその通りだと思うこともあるのですが、ではいつどこで政治や宗教の話をするんだ?という質問に私は答えられません。あるいは哲学や思想、文化論などそういう話題も「臭い話題」として「面倒な話」として遠ざける傾向があると思うのです。そんなのを一生懸命話すのは「ケツの青いやつ」だけだという風潮もある。

しかし考えてみると教養ってのはそういう話も出来て、自分の考えもしっかり持っていることだと最近思うようになりました。集まれば経済の話は誰でもします。そしてその話題の広さ深さでその人が判断されたりする。ここがそもそも我々日本人が経済だけを意識して生きてきた戦後の悪い習慣だと思うのです。権力を持つものは、民衆に適当な衣食住と、適当な娯楽を与えておけば文句を言わないのを良く知っていますし、また民衆はそれに甘んじるどころかそれだけにしか執着しない。

私としてはそれじゃうまくないと思うわけで、今更ながらに哲学や宗教、文化論も自分のしっかりした考え方を持ちたいと思うようになりました。ただ金儲けに走り、好きなことをしてアハハオホホ笑っている自分がバカに見えてきます。

家庭の中ではそれなりにフィロソフィー(なんで突然横文字?)があって、家族で団結してどうにか生きてきましたが、これからはもっと真剣に「世の中」を考え、自分の問題として「行動」したいと思います。

今回の原発事故では政府も変、東電も保身ばかり、マスコミも利権の枠の中に組み込まれている構図がはっきりわかりましたし、これを野放しにして来たのはやっぱり我々国民だという点で、いろいろ考えさせられたのは収穫でした。

フト、オーストラリアを考えてみると、もちろん多くの人たちは政府に対して文句タラタラですが、でも日本と比べるとちょっと違うものを感じます。政府は公僕だという意識が強いのでしょうか。お上と言う感覚じゃないんですね。だから体制側も日本以上に民の声を聞くような気がします。

また道路工事にしても日本みたいに同じ場所を水道だ電気だ下水だと何度も掘り返すような馬鹿なことはまずないし、都市計画も後手には回らず先手を打っているのがわかります。今ゴールドコーストでは交通網の大幅な改革に一生懸命で、住民の意見を聞きたいという役所がうるさいくらいです。何度も家に来ますし、アンケートは送ってくる、電話も今まで5,6回。日本でこんな経験が無いのでびっくりしています。

また面白いのがトップが変わるとその下も変えてしまうようで、たまに混乱があるのを感じます。でも変革とはまさにそういうことで、その混乱に文句を言う人は少ないのが面白いと思います。

一つ日本ではありえないことを紹介します。日本で言うETCです。高速道路などの料金所を走ったままスルーし課金するというやつ。こちらはハイウェイと言えども有料の道があったり橋が有料だったりするのですが、そのETCに変更したときに、なんと全ての料金所を取っ払ってしまったのです。意味わかります?私はいつもその料金所を通るわけでもないしETCの装置は持っていません。つまり現金で支払う料金所を残しておいてもらわないと、年に2,3度しか通らない道や橋のためにETCの装置をつけないとならないわけです。

でもそんなのお構いなく、こちらはバッサリやるわけです。もしこれが日本だったら大騒ぎになると思うのですが、こちらではそうでもないんです。経費削減でいいんじゃない?って感じ。

ETCの装置を持っていない場合は、通り過ぎた後にインターネットでETCより高い金額の支払いをします。彼らはちゃんと車のナンバーを検知してデータとして持っているってことですね。で、支払わないと罰金が上乗せされ後で請求書が郵送されてきます。

ひどいなぁ、とは思うもののこういう素早さがあるんですね。道路も混み出す前にどんどん拡張しますし、行政が民衆の利益を優先しているのを私は感じるのです。でも日本にはそれを感じません。

この差は、「この国は俺達の国だ」という意識の差だろうと私は思うのです。だから政府がおかしければガンガン文句を言うし、それで行政は当然のこととして動くし、またオーストラリア人は「フェア」であることをかなり強く意識します。これはイギリス系の思想だと思うのですが、これがちゃんと機能していると思うのです。そしてマスコミも監視機関として機能している。

そういうそれぞれの機関が己の仕事を全うできるようなシステムつくりが日本にはなされていないと思うのです。まずマスコミに手を入れるべきだと思うのですが、新聞、テレビ、雑誌を大手が握っているところがまず大問題で、朝日なら朝日、読売なら読売が大きな力を持っていますのでメディアを総動員して民衆を洗脳することが出来ちゃうってことなんですね。これの分割をしようという意見が日本でも出てきていますが、私は大賛成です。企業の肩を持つマスコミの存在が今回はっきりしましたし、これは是非早急に手をつけてもらいたいことだと思いました。

そもそも日本に原発を導入したときの立役者は誰か。なんと読売新聞社主の正力松太郎だったんですね。アメリカと極秘に連絡を取り政府に働きかけ話を具体化させ、みずから国会議員となり原子力委員会の初代委員長に就任。その後、初代科学技術庁長官に就任。彼が自分の会社を使ってどれだけのプロパガンダをやったのか想像できると思います。正力松太郎は日本の原発の父と呼ばれるくらい。

マスコミは事実を隠さず出すのが一番の仕事で、どうあるべきかは社説で書けば良いだけのこと。でも情報操作をすれば結論をある方向に向けるのは簡単なんですね。これを許してしまう日本の風土はどうにか変えないといつまで立っても大本営発表のまま。まぁ、インターネットのおかげでいろいろ情報を手に入れることは出来るし、今回の原発の事故に関しては海外の報道を見ていたほうが何が起こっているのか良く分かるくらいでしたし、マスコミも今後変わらなければならない時期に来ているような気がします。いつまでも国民はバカじゃない。

また、電力会社が独占企業であると言うこと。これが諸悪の根源のような気がします。そして原発だろうが広告費だろうが金を使えば使うほど電力会社が儲かるように出来ているシステム。本来独占企業なんですから莫大な広告費もいらないのになぜマスコミにそれだけの金を使うのか、その理由は子供が考えてももわかるはず。東電には文句を言えない、悪さを暴くことが出来ない図式が出来上がっていてそれの弊害があるのは今回もはっきりしました。

今回目が覚めた民衆は私だけじゃないと思うし、またそれにマスコミも含めた体制側、政治家も気がついているだろうし、このムーブメントをしぼませること無く、遠くから評論家面して偉そうに言うだけで終わることなく、出来ることをしっかりやっていこうと思いました。

私は今まで署名運動とかデモに参加したことがありません。でもやっぱり民意を知らしめ、世の中を変えるのはこれが一番のような気がします。ただ、どういうわけか安保のとき、そして学生運動が華やかし頃の後遺症が日本にはあると思うのです。騒ぐのは左翼の学生か右翼の街宣車と相場が決まっていると考える傾向があると思うのです。「青臭い」「異常」だという感覚さえある。

でも天安門がそうであったように、また昨今のエジプト、リビアなど各国で民衆が動けば世界が動くと言う事実。これを忘れてはならないと思いました。自分が参加できなくても、行動する人たちの支援はしっかりやろうと思うし、チャンスがあれば自分も動こうと思います。

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