三島由紀夫

三島由紀夫?なんでここで彼が出てくるのか?

私もびっくりなのですが、昨日、各地の地震・津波災害の映像をユーチューブで見ていたのですが、その中にどういうわけか三島由紀夫の映像が入っていました。

なんで?

私もこれが不思議で、ユーチューブはご存知の通り、何かの映像を見るとそれに関連するものを勝手に並べてくれるのでどんどん広がって様々な映像を見れるわけですが、どうしてその中に三島由紀夫が入っているのか不思議でした。

ま、見てみよう。と思って見たのがこれ。

正直なところ、私は三島由紀夫に興味を持ったことさえなく、彼の著作を読んだ事も無ければ、彼がどういう思想を持っていたのかもしらず、ただ単に、これを言ったら怒られるのを覚悟で書きますが「ナルシスト」であったという感じを持っていました。また、三島由紀夫と言えば、市ヶ谷の自衛隊駐屯地に行き、時の総監を人質にとり、多くの自衛官の前で演説し今こそ決起せよと声を掛けるも、それに呼応するどころかブーイングを浴び、部屋に戻って自決。一緒にいた盾の会のメンバーが首を切り落とすと言う怖い「事件」だったというイメージしかありません。

彼が何を言ったのか、当時の日本の何を憂いていたのかも全く知りませんでした。というか、ま、アメリカに押し付けられた憲法の中で、その存在自体が違法と言われていた自衛隊に対し、決起せよとハッパを掛けたのだと理解しています。彼自身、それで自衛隊が行動を起こすと思ってはいなかったと想像するわけで、でも彼は命を賭けて言いたいことを言うしかなかったのだろう程度の認識です。

ところがこの動画を見ていくと、びっくりする発言があるのに気がつきました。いや、びっくりと言うべきではなくて、私が長い間感じていたことを彼はそれをはっきりと言っていたことに驚いたのです。

「自分の為だけに生きる事にはすぐに飽きてしまう」

「人間が自分の為にだけに生きるのに卑しいものを感じるのは当然」

「死ぬのも何かのためと言うことが必ず出てくる。これが大義。」

この辺の考え方が私が常日頃考えている事と全く同じなのにびっくりしたのです。

自分の為にだけに生きる事にはすぐに飽きてしまうなんて、良くぞそこまで断言できたと思うのですが、常日頃自分を殺して組織の中で働いていたり、大きな力によって自分が自由に生きられない状態が長かった人にはこの感覚はないかもしれませんが、私のように、自由を求めて、自分の好きなようにしか生きてこなかった者にはこの言葉の意味が凄くよくわかるのです。

自由でありたくて、自由に生きてきた。でもそれはいかに退屈する人生で、求めていたはずの喜びは無かったということなんです。

それを感じると、では自分の人生はどうあるべきなのか考えます。すると次に出てくるのが、三島の言う

「人間が自分の為にだけに生きるのに卑しいものを感じるのは当然」

で、

「死ぬのも何かのためと言うことが必ず出てくる。これが大義。」

自分は何のために生きているのか、これを実感として欲しくなるんですね。

自由を求めて生きてきたけれど、自分が欲しいその自由を勝ち得てもそこに感じるのは虚無であるということ。この三島の言うことは私に言わせると「全く正しい」「その通り」であります。

ではどうするのか?

それに関して私の中では何の答えも出ていませんが、三島は自分の生き方を決めたのでしょう。

「大義の為に死ぬのが人間のもっとも華々しい英雄的な立派な死に方。しかし今は大義が無い」

「生きている事すら無意味だという心理状態がないわけではない」

「名誉のある、もっと何かのためになる死に方をしたいと思いながらもそういう時代じゃない」

そして彼は日本人が失ったものは何か、それをはっきりさせ、喚起し、日本人がかつてそうであった日本人に戻って欲しいと訴えることに大義を見出した。それがあの市ヶ谷駐屯地の事件だったのでしょう。

彼がそう考えた事は理解はできるものの、彼のその選択は私は絶対に間違っていると思っています。彼は彼の理想的な日本を作るために努力することを拒否した。私にはそう写ります。ただ、心に印象を残す事が何よりも大事なのだと考えれば彼の行動を美化することもできるかもしれませんが、まさにそれこそが小説家であり、特異な美意識を持っていた彼だから選んだ道なのではないかと思います。

彼は自分の美意識を保つ事を選んだのであり、日本の為に働こうとは思わなかった。ただこれに関しては適材適所ということもあり、彼の使命は人の心に訴え、それを残す事だったのかもしれませんが、果たしてどれだけの日本人の心に彼の思いが伝わったかは疑問です。つまり、私が三島はナルシストであったと思う所以がそれなのです。

その後、三島と交友関係にあった石原都知事の考え方、そして偶然にも三島に関する著書をだした副知事である猪瀬氏の見方は興味深く、その動画も見つけました。

非常に判りやすくて良いと思いました。

彼を批評するなんてことは私にはできませんし、ただ、共感する部分が大いにあったということを書いておきたいと思います。最後に、もっとも驚いた彼の言葉はこれです。

「自分の為だけに生きて自分の為にだけに死ぬほど人間は強くない」

人間は弱いからこそ、自分を大事にするのだと私は生まれてこの方信じて生きてきました。でも彼は逆のことを言う。

「自分の為に生きるほど人は強くは無いと。」

これは脳天を叩かれるぐらいの衝撃で、これが真実だからこそ、自分の為に生きる事に「飽きる」のであり「大義」を欲しくなるのだろうと思いました。

では、かつての日本人は「生」に関してどんな価値を感じていたのか、それは現在でも通用するはずで、その辺をどういう風に考える事ができるのかユーチューブで探ってみました。

そこに出てきた答えは、実は想像したとおり「武士道」であり、「いかに死ぬか」に重きを置くことで「生きる事ができる」という死生観。

日本の特攻隊に代表されるような特徴的な行動も「天皇陛下万歳」と言いつつ死んだのではなくて「おかあさーーーん」と泣き叫びながら死んでいったのであろうとは思うものの、でも死を強制されたから仕方が無く死んだのではなく、きっと象に立ち向かう一匹の蟻だとしてもこの一撃で、そしてそれの結集で祖国や自分の愛するものを救える手助けになるはずだと信じ、またそれが無駄だとしてもその為に死ぬ事に、自分が生きる道を見出した日本人特有の考え方があると私は思うのです。

これは軍国主義も何も関係なくて、日本人の死生観と言う哲学の部分であり、これは間違いなく自分の中にも流れているし、しかしそれは自分が日本人だからだとも思えず、戦時中の話を聞いても、なぜ兵隊は死を恐れつつも命を賭けて戦う事ができるのか、あるいは数年前、真冬のハドソン川に墜落した飛行機があり、救助隊が来たものの、一人ひとり救助されるのを自ら助けていた乗客が、力尽きて沈んで行ったその場面を世界の多くの人が見て感動したのを思い出します。

生きたいと思わない人はいない。でも、いかに死ぬか、あえて日本らしい言い方をすれば死に場所を選ぶと言うか、それがあるからこそ自分の生に「自分」で価値を見出す事ができるし、自己満足も感動もあるのではないかと思うのです。当然、進んで死ぬということではなくて、死を恐れて逃げることなく、やるべきだと信じることを躊躇なくやるということ。

逆に、「生」そのものに価値を見出してしまうと、生きるためには他の生命を殺さないとならないのと同じように、他の仲間、同じ人間でさえも殺し合い、食い合う事を容認することになるんじゃなかろうか。実際に、生きるか死ぬかの時になると、人肉さえも食らうのが人間で、あの映画になった「アンデスの聖餐」しかり、戦時中の東南アジアで取り残された兵隊がしたこと。あるいは中国の近代史の中でもそれがあり、それを認めてしまうと、嘘のような誠の話の「究極のグルメ『人間の胎児』」なんてことにも進んでいくし、私としては人が人であることを大事にし、人で無くなるときには死を選ぶという選択があるのも人として絶対に間違えていないと思うのです。生きていさえすれば良いってもんじゃないはず。

人間は何がなんでも生きていれば良い、生命は何よりも大事ということではないと私は思うのです。人として生きる道があるのと同様に、人として生きるために死ぬという選択もあるはずです。何が何でも生きようとするのはまさに畜生道の考え方であり、はい、これまでと思ったときに死ぬ覚悟、大事なものを守るためには死ぬ覚悟。その覚悟を「生きるために」持つ必要があると思いました。

つまり仕事場で言えば、人の道に外れる事を会社がやろうとしたらそれに反対するのが当たり前であり、保身の為にそれを受け入れ、酒でごまかすような人生は最低であるという事。人付き合いの中でも、自分が儲けるために、あるいは生き残るために他人を、友人をその身代わりとして陥れても自分が生きる道を探すのは絶対におかしいということ。

自分がそういう事態になるということは、そういう事態を招いたのは自分であることを強く認識する必要があるわけで、潔く負けを自ら認めるべきだと思うのです。

またその選択が出来るのが人間と他の動物とのたった一つの違いかもしれません。

その辺の考え方を的確に言っていると思ったのがこの動画。

三島が市ヶ谷のあの場所で演説した内容そのものは意味が無いと思っているくらいなんです。天皇万歳も上の動画の猪瀬氏が言っていた通りで、三島にとって何かを中心に添えなければならない状況があって、彼の行動の象徴としてまさに天皇を彼は選んだのだと私は思うし、猪瀬氏が天皇は三島にとって単なるジョーカーでしかなかっただろうというのは私もそう思います。彼が演説で言ったことは「ひとつの例」であって、あの時代彼が求めていたものの中のたった一つの事であって、あれが彼の目的の全てだとは全く思わないのです。「失ったものを取り戻せ」、「日本人よ日本人たれ」という、それが彼の言いたいことだったと私は思うのです。

この三島の動画がどうして今回の災害の動画を見ている中に紛れ込んできたのか私にはわかりませんが、今こうして三島が一体何を考え何を求めていたのか、また何を憂いていたのか考えますと、まさに今回の問題。原発はどうあるべきか、人は何を大事にするべきか、そして政府も官僚も企業も一体何を守るべきなのか、それを考える切っ掛けになるような気がします。石原氏や猪瀬氏が言う、「三島は今の日本を予見していた」「日本には中心になる価値観が無い」「正義とはなんなのか」という、これに私は注目したいと思います。

今の世の中には何が何でも自分の利益を守り立場も守るという考え方が強すぎると思うのです。それすなわち「生」のみに焦点が定まっている事だと思うのです。今の時代、よっぽどのことが無い限り死ぬ必要なんかないのですから、職を失うこと、金を儲けられなくなる事、そんなことはすんなり受け入れて正しいと信じることをする人間であって欲しいし、自分でもそうありたいと思うわけです。

今回どうして災害の動画を見ていたのに三島のこのビデオが混ざっていたのか。これは単なる偶然ではなく、それすなわち三島が今の日本人に言いたいことがある、私に理解しろと言っているような気がしてきます。

我々日本人が失ったもの、それは決して三島の言う価値観が正しいということではなくて、今何かがおかしいのじゃないかと考えるときが来たのだとは思います。

それが今回の原発事故の根っこにも通じるような気がしてならないのです。

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三島由紀夫” への4件のコメント

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    僕も最近、三島事件を深く知りました。 1970年から32年経っています。あの時、三島はマイクを用意していなかった。すべて用意周到なのに、マイクだけがなかった。必要なかったんです。もはや三島は、眼前の自衛隊に興味はなかった。 1970年にも興味はなかった。彼はもはや、未来の日本人に期待するしかなかった。まだ見ぬ同士に伝えるしかなかった。だから三島は、どうしても歴史の点になる必要があった。当時人気作家の三島が、まるで無名の革命家のごとく、あのような劇場型の事件を起こしたのには、その必要があったからだと思います。三島は、自らが日本人の道を照らす灯台の役目を、命を賭して引き受けた。未来永劫、その道を差すため魂を生かした。僕は32年経って今、その光を受けました。この先100年・200年と、三島灯台は道を差し続けるでしょう。三島は死んで、永遠に生きる道を選んだんだと思います。

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    まつさん

    どうも古い日記を掘り起こして読んでいただき有難うございます。

    まつさんの仰ること、100%同意します。

    彼が生きていたら・・・と思うこともあって、石原都知事が「彼はずるい。俺は生き残って変革に努力しているが、彼は言いたいことだけ言って逝ってしまった」というのも一理ある。でも三島氏がああいう形で終わったのはまさにあれが彼の役目だったんですね。

    もしそうじゃなかったらきっと私も彼の思想に出会うことはなかったろうし、自分の中にある「日本人」に気がつかなかったろうと思います。それ以上に、自分の考えは間違えていないという「自信」を持つことができなかったと思うのです。

    彼には尊敬の念と感謝の気持ちでいっぱいです。

    さて、これからどう生きましょうか?ここが問題ですね。^^

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    素晴らしい日記でしたので、思わずコメントさせて頂きました。何より、こうして共感できる方に出会えたことを嬉しく思っています。
    本当です。これからどう生きましょう。
    三島の問題提起にどう応えましょう。
    まさに大義ですね。
    どうか丁寧に生きていきたいものです。

  4. SECRET: 0
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    まつさん

    コメントを有難うございます。

    自ら灯台になってくれた(この表現、気に入りました。^^)三島にそれなりの礼を尽くさないとならないとは思いますが、凡人としてどこまで志を保てるのかが気になるところです。

    少なくとも自分に言い訳をしながら生きるのだけはやめたい。

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