グアムウルルン物語 その6

グアムウルルン物語 その6

約束の時間に羽田に向かった。今日はグアムからフジカワの妹に皆が会いに来る日。トニーとアイダは間違いなく来るだろうが、他に誰が来るかは聞いていない。ホテルは新橋の第一ホテルを取ってあるという。飛行機の到着。約40分後、出てきた出てきた、御一行様が。アイダは体が大きいのですぐにわかった。そして干物のようなトニー。そして......何人いただろう。一目で数えられる人数ではなかった。こんな人数でどうやって移動するのだろう。アイダは私を見つけると、大きな声で「Oh! My ○○○○ !!」と叫んだ。そして私に突進してきて、抱き着きいつものチュッチュッチュッチュというキスの連発。これには慣れていたが、それはグアムでの話し。日本の公衆の面前で抱き着かれてキスされた経験はなかった。恥ずかしい。人目が気になって仕方がなかった。

人数としてははっきり覚えていない。でも20人以上だった。ホテルに行くにしても、どうやって連れていったらいいかわからず、当時、空港から便利なシャトルバスがあるということさえ、私は知らなかった。ましてや私は自分の車で行ったので行動を共にする事ができない。そこで仕方が無く、一番安易な方法、タクシーで移動ということになった。全部で何台だったろうか、4人づつ車に乗せて、私が運ちゃんに行き先を告げ、はい、お次という感じでどうにか皆送り出した。そしてホテルでチェックインを済ませた後、打ち合わせ。皆がいてもしょうがないので、アイダとトニーだけで話しをしたけれど、助かったのは他の連中が各々出かけていなくなってくれたこと。皆の面倒を見せられたら大変な事になる。彼らも疲れていたらしく、打ち合わせはすぐに終わった。さぁ、明日はフジカワの妹とのご対面の日だ。

朝8時だったろうか、約束の時間にホテルへ行った。彼らは皆、用意が出来て待ち構えていた。即、出発。新橋からだから横浜はすぐ。しかしこの電車に乗るのが一苦労だった。まず、電車が入ってくる時のスピードにびっくりして逃げる。ドアが開いてもグズグズして乗らない。人数が多いのだから何個所かに別れて乗らないとならないのに、怖がってバラバラにならない。今思い出すと日曜だったのだろう。考えてみればラッキーだった。普通の日なら、朝の通勤ラッシュにぶつかる。その後、どうにか電車に乗る。まぁ、本当に彼らは天真爛漫。皆電車に乗ったのは初めてで、はしゃいでいる。彼らは日本の習慣を知らない。電車に乗ったら、死んだような顔をして黙っていなければいけないというのを知らない。五月蝿く騒ぐのは子供だけだ。彼らはまさに、その遠足に行く子供たちと一緒だった。

横浜からオバーチャンの家までどうやっていったか覚えていない。2回乗り換えたような気もする。その降りた駅からオバーチャンの家へ行くまでも、好奇の目で見られたのを覚えている。当時、外人はそうそう町では見掛けなかった。銀座、渋谷、原宿などで見かける程度。それも多くは白人。ところが我らが団体は皆トロピカルで赤や青のハデハデの服装。アイダはどこかで見つけた花を髪に差しているし。それが外人なんか足を踏み入れた事の無いような、下町のはずれの小さな古い住宅地に現れたのだから、住民も何が起きたかびっくりしたことだろう。グアムの団体さんは歩きながらもガヤガヤ五月蝿い。大笑いしながら歩いている。通りすがりの人は皆、怖いものでも見るように、慌てて道を開けた。

オバーチャンの部屋にはアイダとトニーだけ連れていった。皆が入れるような部屋ではない。涙の対面の一瞬だった。感情の起伏の激しいアイダは大泣き。トニーも目に涙を浮かべている。意外だったのはオバーチャン。泣きもしないで、笑って有頂天。良く来た、良く来たと大喜び。でもこれで良かっただろう。若い私としてはいつまでもジメジメされたらたまったもんじゃない。オバーチャンは彼らに日本語が通じないということがよくわかっていないみたいだった。一生懸命日本語で話している。でもトニーはウンウンとうなずいていた。落ち着いてから、オバーチャンを皆が待っている外に連れ出した。その瞬間、ウォーーーという大歓声。皆がオバーチャンに抱き着き、キスし、握手した。小さなオバーチャンはもみくちゃにされながら、この時は涙を流していた。戦中戦後と兄と二人きりの生活。そして兄がグアムに渡ってからは彼が呼んでくれるのを待ちつつ長い間孤独しか知らなかったオバーチャン。その日は彼女にとって人生最高の一瞬だったのかもしれない。そのイベントはどのくらい続いたのだろう。5分なのか10分なのか、それとも30分だったのか、私にはわからない。横浜のはずれの住宅地の道路上での出来事だった。

皆でゆっくりする場所もないので、適当に記念写真を撮ってその日は別れる事になった。またすぐに会えるのに、皆別れを惜しむようにしてオバーチャンを抱きしめていた。帰りの道中で私がびっくりしたのは、電車に乗る頃には、今まで何があったのか忘れているようにはしゃぎだした彼らだった。さっきまで泣いていたのがケロッとしている。私はいい意味ではない、人種の違いを感じた。

この後、彼らをあっちこっち連れていったり、また次の日にオバーチャンを新橋の第一ホテルに連れていったり、学校も休んでいた私にも目の回るような忙しい4日であった。今ではあの数日間に何をしたのか良く覚えていない。ただ忙しかったのだけを覚えている。

数週間してからオバーチャンの様子を見に行った。私に深く感謝の意を表してくれた。考えてみると、19年の人生の間で、人様からまともに感謝をされたのはあの時が初めてであったような気がする。グアムで私が受けた恩からみればたいしたことでも何でもなかったが、私も嬉しかった。オバーチャンとお茶を飲み、おしゃべりしながら半日を過ごしたが、このままで終わらせてはならないと考え出した。それどころか、これは始めの一歩なのだ。私はオバーチャンに、グアムへ行ってみたい?と聞いた。オバーチャンは目を丸くして、え?俺がぁ?と言った。余談だが、この頃から段々わかったのは、このオバーチャンはチャキチャキの江戸っ子でべらんめぇ調で話すし、たまに自分の事を俺とも言った。歳のわりには威勢の良いオバーチャンであった。話しは戻って、オバーチャン、グアムへ行ってみようよ。俺がどうにか話しつけるからさぁ、と私は言った。私もこのオバーチャンを連れてフジカワの墓前に立ちたいという強い願望があった。オバーチャンは遠くを見つめるばかりで返事はしなかった。

グアムへ行こうよ、などと調子の良い事を言ってしまって、ちょっとまずったかな、とも思ったけれど、無理な事を自分から言ってしまって、その通りにせざるを得ない状況に自分で持っていくというのは、今も変わらない私の性格。そうでもしなければ、待っているばかりでは物事は進展しないし、楽しみがない。ただ、私には時間の問題もあったし、ましてや先立つ物がないのだから、私が連れて行くわけにはいかない。まして国の援助で生きているオバーチャンにその金があるわけもなかったろうし、あったとしても使わせるべきではない。でも、グアムの連中が絶対に金は出すと信じていた。当たり前のことだ。私は早速アイダに連絡を取った。私は二つ返事で喜んでくれると思っていたが、予想は裏切られた。渋っている。私には信じられなかった。自分と亭主はすぐに飛んでくる余裕があるのに、オバーチャンを呼ぶ金は無いというのか。それとも他に呼びたくない理由があるのだろうか。私は知っている限りのフジカワの血筋に電話をした。今回の日本訪問でさえも、フジカワの血筋が皆来たわけではないし、彼女と会えるのを楽しみにしている親族もいるはずだと思った。しかし、どこへ電話をかけても簡単には行きそうにもなかった。不思議だった。もし私にお金があったら、私がオバーチャンの旅費をだしてもいいと思うのに、親族である彼らが出さないというのは理解できなかった。そんなことなら、私にわざわざオバーチャンを探させる事もなかったろうに。腹が立って仕方がなかった。

その7に続く。

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