村社会

私は日本的な村社会が大嫌いだと何度もこのブログに書いていますが、本音はちょっと違うんです。

似たような考え価値観を持った者だけが集まって、異質なものはいとも簡単に排除しようとする村社会。多様性は混乱を招くだけで、個性が大事、個性を伸ばそうと言いながら、その個性とはみんなが納得できる範疇の個性であって、それから飛び出す強い個性は異質であると烙印を押して皆で排除する。

でもねぇ、私はそういう村社会は大嫌いだと言いながら自分もその村社会の構成員であるんですね。

つまり、私は村社会そのものを否定しているんじゃなくて、特定の村社会が持つわけわからん価値観とか狭い考え方に腹が立つだけ。だから鷹揚な基準を持っている村社会なら良いし、いや、それこそが求められる理想の姿だと思っています。

所詮私も農耕民族の血をしっかり受け継いでいますし、一人で生きていく強さはないし、皆で助け合いながら笑って過ごせる社会が好き。たまにはお互いの中に入り込みすぎることもあるけれど、だからそこに親近感も生まれるし、一緒に泣いたり笑ったりしながら生きる楽しさがあるんじゃないかと思うんです。それの最小単位が夫婦であり、家族みたいな。それぞれが勝手なことをしてそれぞれが知らん顔が良いはずがないですもの。それぞれの自由を認めながらお互いが見つめ合い、関わり合えるような村社会、それが私の理想かな。狩猟民族的村社会がいいかも。

前に書いたアイデンティティに関しても似たようなことを考えていて、私は日本人としてのアイデンティティは必要不可欠だと思って生きてきたし、それがあるから子ども達も理不尽な差別には対抗出来たと思っています。

でもそれも本来はちょっと違うような気もしてるんです。そもそも日本人としてのアイデンティティというけど、じゃぁ、日本人ってなんだ?と聞かれても確かな答えを出すことは簡単じゃないはず。それぞれが考える日本人ってのも実はバラバラで同じ物はないんでしょう。

それぞれが自分の思う日本人の偶像を心の中に持っていて、俺は日本人だ。日本人としてのアイデンティティを持っていると言う。そしてそれとは全く違う日本人の偶像を持っていて同じく俺も日本人だという仲間がいたとして、俺たちは同じだと嬉しそうに握手をする姿、同胞だと認める姿ってヒジョーーに滑稽なものを感じます。同じだと思っているけれど、実は中身は別。

逆に自分がアンチ日本人であることを自慢しながら生きる日本人もいる。他の日本人は皆バカで自分だけが特殊であるような考え方を持った人も少なくない。これもはたから見ている方としては、凄いですねぇ、と言いながらも、実はただのナルシストとしか思っていないわけで、その人の生き方考え方が高邁であり本質をついているなんてこれっぽっちも思っていない。この人はこういう形で自分のアイデンティティを確認しているんだなと思うだけ。

結局、人間って弱いんだろうと思うわけです。いや、少なくとも私は弱い。本来は日本人も何人もなく、「俺は俺だ」ってのが大正解のはずなんだけれど、この俺ってのに自信がないんですね。で、そこそこ理想の姿を日本人という固まりに投影して、自分はその最高ではないけれどそこそこ素晴らしい人間グループの一員である、これが俺のアイデンティティだという風に感じて、孤独である恐怖や不安から逃れようとしているんじゃないかと思っています。あるいはそのグループを見下すことによって自分の居場所を確かめようとするアイデンティティの持ち方もある。どちらも弱虫で同じ穴のムジナ。

何かのグループに所属している。仲間がいる安心感は本能に根ざした物なのかもしれません。でもそこのところは我々農耕民族と狩猟民族には違いがあるようで、グループに所属したいという考え方に差が結構あるような気がしています。

国を代表してオリンピックで金メダルを取らなくてはならないとか、金メダルを取ったら泣くというメンタリティは農耕民族特有の物かもしれませんね。相撲で勝ってもガッツポーズをしてはいけないというのは狩猟民族にわからせようとしても無理かもしれない。

「俺は俺だ」という強い意志が欲しいと思います。

でも日本のために・・・なんて考えるのも嫌いじゃないし、国旗掲揚、国歌斉唱するときには鳥肌が立つような感激を覚えることもあるし、これが決して悪いこととは考えられない。日本のためというのは国粋主義者の危険性があるのではなくて、ある意味自己犠牲、利他主義でもあって、それの延長線上にはアジアのため、世界のため、人類のため、生きとし生けるもののためと繋がっていくわけで、「俺は俺だ」と国を無視するのは変。と同時に自分の村、グループを大事にしたいと思うのも道理で、小さな村社会を否定することもできない。それは各地の日本人社会も同じだし、それぞれの小さな日本人グループも同じでしょう。

願わくば、是非とも広い心で多様性のある価値観を受け容れることができる村社会であって欲しい。

ま、何が何だかわからないけれど、物事には裏と表があるし、見方によってまるで正反対の答えもでるってことでしょうか。で、どれも事実。

そんなことを前の日記のコメントを読んで感じました。

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